11、とんちんかんちん政治屋さん
11、
この次の日曜日に参議院選挙がありますよね。
もう入れる党も候補もありませんよ。みんな五十歩百歩ですからね。
ボクの見方から何かに例えて言わせてもらうと、下記のような感じ。
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一休さんのとんち話にある、『このはしわたるべからず』で例えてみませう。
まあ、この逸話は大半の方がご存知なので詳細は記しませんが、
ある商人の家に、ここでは桔梗やさんとしておきましょうか、お呼ばれした一休さんは、桔梗やさんの策謀で、
『このはしわたるべからず』
という立て札を立て掛けられ、川向こうの桔梗やさんの家に渡ることができません。
さあ、一休さんは、この難題をどう切り抜けるのでせうか?
というのが、この逸話の核となる部分ですね。
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もちろん一休さんは、見事な頓智でこの難関を切り抜けるのですが、
さて、現在の為政者たちの文言はどんなもんでしょうか。
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ボクから観た為政者の文言の趣旨は、
1、「いいよ、今は経済が優先だから、そんなくだらない問題は後回しで、強引に渡ってしまえばいいんだよ」
2、「そうじゃないよ、やさしい世界を作りたいから、橋は渡らないのが正解だよ」
の、(これが本音かどうかは分かりませんが)大体二つの道しか考えていません。
つまりですね、
『このはしわたるべからず』
という問題に答えようとしていないんですね。
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一応、言葉のギミックなどを使って、その問題に立ち向かっている素振りこそは見せていますが、本来の問題を回避しつつ別の物事に関心を引き寄せているのが実情ですね。
そんなの以前からだ、と言えばそれまでなんですがね。
今ある政党のどれを見ても、そんな感じ。
しかも、若者票が少ないから今回から“ネット選挙活動”を容認していますが、本当にそんなことで若者に関心を持ってもらえるんですかね。
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物語には、ある程度の“カタルシス(浄化)”が必須だと言われています。
なら、現実で“カタルシス”を感じるのはいつかと言うと、それは普段からの、
『情報の処理』=『問題解決』であったり、『相手に理解してもらえたとき』
だったりと様ざまです。
誕生日で、自分の人生に区切りをつけるのも、いわゆる一つの『情報処理』行動であったり、
女性同士が、何気ないガールズトークに花を咲かせるのも、一つの『情報処理』であるし、
本当はいけないことだと分かっていても、相手をいじめる行為も一つの『情報処理』であると仮定できます。
そうそう、昔行われていた『敵討ち制度』や西洋の『決闘』なんかも、ある意味、精神的な決着をつけるべくための『情報処理』であると考えられますね。
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さて、現実世界での人間の行動は、一つ一つが何らかの意味を持つ『情報処理』であると推測すれば、
それは絶えず蓄積を繰り返している『情報処理行動=問題解決=カタルシス』であると仮定できます。
つまり、今現在の為政者に求められるのは、
『現実世界における事実上の情報処理行動』
であると言えます。
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人間は、常に情報処理を求む動物なんだと思うんですね。
「なぜ情報処理を求むのか」
と言えば、
『絶えず入り込んでくる情報に対して、情報オーバーロードを起こさないため』
とか、
『人間が何のために生きているのか、という部分への探求』
であるとか、
『何かしらの心の平穏を求めている』
だとか、そういったものが無意識に働かせているのではないでせうか。
だから、時どき人間は適当な情報同士を結びつけて、無理やり“ストーリー性”を求めてしまうのではないかと。
まあ、眠っているときに夢を見るのも、蓄積した情報の残骸みたいなものを無理やり繋げて、情報オーバーロードを防いでいると考えられるし、宗教とか哲学とか、武道などの免許皆伝なんかも、個人個人の心の平穏へと導く『情報処理のための指南書プログラム』であると推測できます。
しかし、それらは時代によって変化したり、特定の人物によって都合よく解釈されてしまったりと、まあ色々ですね。
正直、その『情報処理プログラム』を政治に持ち込むのは、それの効果が絶大なだけに大変危険な行為であると個人的には感じています。
いわゆる、『情報処理プログラム』というのは、『ケーススタディ』の蓄積された塊だというイメージですね。
つまり、誰かに都合の良い『ケーススタディ』のみの解決方法を、頭脳に埋め込まれたら、それ以外の計算式は成り立たないというわけです。
だから『ケーススタディ』は、自分で考えたり、自分で経験したり、自分と相手によって学んだり、先人から学んだりすることを絶えず繰り返さないと、考えが広がってゆかないんですね。
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ほんと、こんなの、単なる一人の戯言だと受け取ってくださって構いません。
なぜなら、それでいいからです。




