幽閉された独りぼっちのニセモノ聖女は、牢獄の中で〝希望〟と出逢う
「――おい、聞いたか? 今朝、百年に一度だけ実現可能っていう〝聖女召喚〟をしたって話」
「おぉ、聞いた聞いた! 召喚には成功したけど、聖女様は一人だけなはずなのに、何故か二人召喚されたんだって? で、どちらかがニセモノだ! って大騒ぎになったって本当か?」
「あぁ、本当らしいぞ。その時に、召喚された金髪の女が小さな板切れを上に掲げて、それをパッと眩く光らせたもんだから、『聖女の力だ! 髪の色も金色だし、彼女が絶対に聖女様だ!』ってなって、もう一人の黒髪の女はどこかの部屋に閉じ込めたらしいぞ」
「へ? 閉じ込めた? そりゃまたなんでさ? 聖女様じゃなかったんだし、必要ないんだからさっさと城から追い出せばいい話だろ?」
「それが、聖女様と一緒に召喚されて、聖女の力が少し移っちまったのか、軽傷を治す『回復魔法』を使えることが判明したんだと。だから怪我人回復要員としてここに置いとくことにしたみたいだぜ」
「ふぅん。いずれにせよ、本物の聖女様の邪魔をしないようにせいぜい頑張ってほしいものだな」
セリュシスが城の廊下を歩いていると、兵士達のそんな会話が耳に入ってきた。
(〝聖女召喚〟……? あぁ、確か団長がそれに同席するって言ってたな。ま、俺には関係ねぇし興味ねぇな)
セリュシスは青灰色の髪をガシガシ掻くと、欠伸をしながら騎士団長室の扉をノックもなしに開けた。
「団長、入るぞ」
開けた後にセリュシスは声をかけ、中へと入る。
そこには執務机に向かって、灰白色の腰まである長い髪と、黒曜石のように澄んだ黒い瞳を持った、珍しい風貌の男が書類を執筆していた。
彼がこの国の騎士団の団長である、アストール・フォーハウトだ。
「団長? おーい……」
執筆に集中しているのか、アストールから返事が返ってこない。
セリュシスは溜め息ひとつつくと、ズカズカと大股で足を進め、机に向かうアストールを無視して彼の後ろに回った。
そして、半分閉めてあったカーテンを勢いよく音を立てて開ける。
「あれ、もう見つかっちゃいましたか」
そこには、もう一人のアストールがニコニコしながら肩を竦めて立っていた。
「今回は捻りがなくて簡単だったぞ。――ったく、毎回俺とかくれんぼするんじゃねぇよ。しかもこの部屋に入ってから強制的に始まるもんだ。毎回思ってたけど、ここに入って来るのが俺だって事前によく分かるよな?」
「はっはっは。君の気配は身に染みるほど分かっていますからね。遠くても感じるんですよ。かくれんぼは親子のコミュニケーションです。このドキドキ感が楽しいでしょう?」
「そのドキドキ感は隠れる側の方だろうが。俺らの歳をよーく顧みてみろよ……」
セリュシスは眉間に指を置き、再び大きく息を吐く。
「私が三十八歳、君が二十四歳。――うんうん、大きくなりましたねぇ。年月が経つのは無情に残酷であっという間です」
「ちゃんと分かってんじゃねぇか。じゃあさ、この年でかくれんぼする親子がどこにいんだよ」
「はっはっは。ここにいるじゃないですか、こ・こ・に」
「……もういい……」
セリュシスは九年前、独りでスラム街に住んでいたところを、アストールに剣の才能を見込まれ騎士団に入り、彼の養子となったのだ。
なので、姓のなかったセリュシスは、今はフォーハウトの姓を名乗っている。
アストールの目は確かで、セリュシスの剣の腕は、今や騎士団の副団長に匹敵するまで強くなった。
アストールにはまだ全然敵わないのが、セリュシス的にはすごく悔しいところだ。
「君、最近この『幻影魔法』に引っ掛からなくなりましたね。完璧な仕上がりで私と瓜二つ、感触も人の肌そっくりなのに。以前は見事に引っ掛かって、幻影に何度も喋りかけたり肩叩いたりしてて、見ていてとても面白かったのですが。吹き出すのを堪えるのに必死でしたよ」
「俺で遊ぶんじゃねぇよ……。こう何十回も引っ掛かってたら、いい加減区別もついてくるさ」
「ふふっ。君だけですよ、私と幻影の区別がつくのは。流石我が息子です。遠慮なく『お父さん』と呼んでくれていいんですよ」
「遠慮しとくわ」
「つれないですねぇ」
アストールが執務椅子に座っている彼の幻影の肩をポンと叩くと、それは風のようにフッと流れて消えた。
「アンタさ、結構うっかりモンだから何度も言うけど、他のヤツらには絶対見せんなよ、ソレ。魔族にしか使えない、脅威とされる『闇魔法』のひとつなんだろ?」
「大丈夫ですよ、知っているのは君だけです。遠い昔、先祖に魔族の血を持った者がいたと聞いたことがあるので、先祖返りでもしたのでしょう。ま、仕事をサボった時の身代わりや、こういう遊びの時にしか使ってないので絶対にバレないですよ。ご心配なく」
「……そんな使い方される脅威の『闇魔法』が可愛く思えてくるぜ……。てか団長が仕事サボるなよな。アンタ、頻繁に城下町行ってるだろ」
「おっと、ついうっかり口が滑っちゃいました。城下町には、何か問題がないか様子を見に行く兼、君が町で悪さしていないかの確認ですからサボってはないですよ? 困っている人がいたらちゃんと助けますしね」
「物は言いようだな。町じゃアンタの信者が続々と増えてんぜ? 町人達に色々おせっかい焼いてんだろ。――てかなんだよ悪さって。俺はガキかよ」
「親にとって、子どもは何歳になっても子どものままなんですよ。――そう言えば、ここに来たのはなんの御用ですか?」
「おいおい、アンタが俺を呼んだんだろう?」
「……あぁ! そうでしたそうでした。うっかりしてました」
「ホントしっかりしろよ……。まだボケる歳じゃねぇだろ」
セリュシスは三度目の息をついて頭をガシガシ掻くと、近くにあるソファに乱暴に腰を下ろした。
「今朝、聖女召喚の場に同席したんですよ。それで、どうしてか女性が二人召喚されてきましてね」
「あぁ、それ廊下で兵士達が話してたな。一人はニセモノだったから、どっかの部屋に閉じ込めたって」
「おや、知っていたのなら話は早いです。君にはその子のお世話係をして欲しいのです。騎士団から出してくれと命じられましてね。なら君が適任かなと」
「はぁっ!?」
セリュシスは思わず素っ頓狂な声を出してしまった。
「何で俺が!? その前になんで騎士団から出すんだよ!? 世話係なら城に侍女がいるだろーが!」
「『ニセモノに我らの世話をする侍女を付けるのは勿体ない、だったら人の余ってる騎士団から出せばいい』――まぁ王族の考えはこんなところでしょうか。人が余ってるわけではないんですがねぇ。カツカツなんですがねぇ。本当に上は下の状況が分かっていない者が多くて嫌になりますよ。しかも逆らえないから非常に困りものです」
「くっ……。だからと言ってどうして俺が――」
「君、仕事が何もないと町に行って女性遊びをしてくるでしょう? 親としては心配なのですよ。女性のいざこざが一番怖いですからね」
「そこら辺は心配無用だ。避妊も気を付けてるし、後腐れない女を選んでるからな。付き合えって迫られてもキッパリ断ってるぜ」
「君が選ぶ立場ですか……。君には今まで好きになった女性はいないのですか?」
「全くいないね。寧ろ『好きってなんだ? 美味いのか?』って感じだ」
大きく肩を竦めるセリュシスに、アストールは眉間に指を置き溜め息をつく。
「やれやれ……。こんな話を聞かされては、親として心配するなと言う方が無理ですよ。君をそんな美形に産んだ実のご両親が非常に恨めしいです」
「それは天国にいるオヤジ達を捜して直接文句言ってくれ。俺は悪くねぇし」
「善行を沢山積んでそうします。とにかく、お世話係は君にお願いしますね。まず、着替えが入っている袋と晩ご飯をその子に届けて下さい。朝とお昼のご飯は他の者が届けるのでしなくてよいとのことです。もうひとつ、その子がちゃんと眠ったかを確認してから戻って来て下さいね。脱走防止のためらしいですよ」
「決定事項かよ……。しかも夜か……。しばらく町通いはお預けだな……ったく」
ガックリと頭を下げ、セリュシスは何度目かの溜め息を吐いた。
「ずっとではないので安心して下さい。定期的にお世話係は交代させますから。記念すべき最初のお世話係は君です。気を引き締めて頑張って下さいね? ご飯と着替えを運ぶのは今夜からお願いします。一応忠告しておきますが、彼女に手を出しては――」
「出すわけねぇだろ。城ん中だし、誰に見られてるか分かんねぇし。ちゃんと任務遂行してやるさ、その代わり給料上げろよな」
「流石我が息子、私に似てちゃっかりしてますね。特別報酬あげますよ」
「よし、その言葉忘れるなよ」
こうしてセリュシスは〝ニセモノ聖女〟のお世話をすることになったのだが、彼女のいる場所を聞いて愕然とすることとなるのだった。
**********
セリュシスは着替えが入っている袋を脇に挟み、晩ご飯が乗っているお盆を片手で持ちながら、地下に続く階段を降りていた。
「〝ニセモノ聖女〟が生活する場所が牢獄とはな……。いくらなんでも酷過ぎだろ。間違って召喚されたってだけで、悪いことなんて何もやってねぇのに」
それも上が決めたことなので逆らえないとアストールに言われ、心がモヤモヤとしたまま晩ご飯を運ぶ時間となったのだ。
地下に着くと、牢屋が縦に六つ並んでおり、所々松明で灯されてはいるが、薄暗くて気味が悪い。
好き好んで入りたくない場所だ。
今は彼女以外、誰も入っていないようだ。
空の牢屋を次々と通り過ぎると、一番奥に彼女はいた。
奥の牢獄は要人や貴族が使う場所で、シャワーとトイレが個室で付いており、他の牢獄より若干広くなっている。
その中で、鉄格子の付いた小さな窓から差し込んでくる月の光に照らされ、彼女は膝を抱えながら、ボンヤリとその窓を見上げていた。
こちらの足音に気付くと、彼女はゆっくりと顔を向けた。
目は前髪で隠れ、気弱そうな印象を受ける。
長い真っ直ぐの黒髪を肩で結び、それを前に垂らしていた。
見た目柔らかそうな髪質だ。
「おい、着替えと飯だ」
セリュシスは一言言うと、預かっていた牢獄の鍵を使い、扉を開ける。
彼女が逃げる心配はなかった。
何故なら、片足が鎖で繋がれているからだ。
その鎖は、トイレやシャワーが行ける距離ギリギリの長さがあるようだ。
セリュシスはそれを見て顔を顰めると、着替えと晩ご飯が乗ったお盆を彼女の前に置く。
「ありがとうございます、イケメンさん」
そこで初めて、彼女が声を出した。
鈴を振るような可愛らしい声だった。
「イケメンさん……?」
「あ……すみません。私が住んでいた場所の言葉で、『カッコイイ人』という意味です」
「……あぁ、それはどーも」
言われ慣れている言葉だが、口元に自然と微笑みを浮かばせた彼女から言われるとなんだかむず痒くて、ぶっきらぼうに返してしまった。
牢獄の扉を閉めると、その場にドッカリと腰を下ろす。
「言葉が通じるんだな。俺としては都合がいいが」
「はい、それは私も安心しました。どうやら召喚された際に、こちらの世界の言葉を私の住んでいた国の言葉に翻訳してくれる能力を授かったみたいです。逆に私が喋った言葉は、こちらの世界の言葉に翻訳されて聞こえるみたいですね」
「へぇ。それは便利な能力だな」
「はい、とても助かりました。あっ、ご飯ありがとうございます。有難く戴きますね。着替えもありがとうございました。――ところで、イケメンさんはまだ何か……?」
出ていかず、正面に胡座をかいて座っているセリュシスに、彼女は小首を傾げながら訊いてきた。
「あぁ、アンタが寝るまで監視してなきゃいけねぇからな」
セリュシスは正直に理由を告げる。
彼女は驚いた様子だったけど、納得したように頷いた。
てっきり泣くか怒るかすると思っていたセリュシスは、少し拍子抜けして彼女を見返してしまった。
「夜遅くまで大変ですね……お疲れ様です。私は逃げないので、横になって休んでいいですよ」
更に予想外に、彼女は近くにあった一枚の毛布を手に取り、セリュシスに渡してきたのだ。
「これ、使って下さい」
「使えって……。一枚しかねぇじゃんかよ。アンタはどうすんだ」
「私は大丈夫です。平気なので気にしないで下さい」
そう言って微笑む彼女の肩は少し震えていた。
この場所は暖炉なんて勿論あるはずがなく、常に肌寒い。
長袖のワンピース一枚では寒いに決まっている。
「ちっ……。ちょっと待ってろ」
セリュシスは牢獄から飛び出すと、騎士団が使っている倉庫に走り、保管してあった毛布を数枚引っ掴んですぐに戻ってきた。
牢獄の扉が開けっ放しだったことにその時気付いたが、彼女は一歩も動かず同じ場所にいた。
「これ使え」
「……いいんですか?」
「いいから持ってきた」
「わざわざありがとうございます、イケメンさん」
彼女はニコリと笑うと、嬉しそうに毛布を受け取り、それをギュッと抱きしめた。
セリュシスは無意識にその笑顔をジッと見つめてしまう。
「あっ……もうお手間を取らせないように、早く食べてパパッと寝ちゃいますね。少々お待ち頂けますか、すみません」
「気にしないでゆっくり食え。初対面のヤツに色々気ぃ遣い過ぎだ、アンタ」
「すみません……ありがとうございます」
彼女はまた礼を言うと、手を合わせて「いただきます」と呟き、お盆の上の料理を食べ始める。
「? なんで手を合わせんだ?」
「あぁ、えっと……私が住んでいた所では、ご飯をいただく前に手を合わせるんです。お料理の食材と、作ってくれた方に感謝と敬意を込めて」
「へぇ……律儀なもんだ」
セリュシスは、彼女の様子を何気なく眺めていた。
「アンタ、食い方キレイだな」
感じたことをそのまま口にすると、彼女は弾かれたように顔を上げ、続けて頬が真っ赤に染まっていく。
「えっ、あっ、そ……そうですか? そんなこと言われたの初めてで……。あ、その……ありがとうございますっ」
ワタワタしている彼女を見て、セリュシスは思わず吹き出してしまった。
「くっ……。動揺し過ぎたろ、アンタ。っかしーの」
「す、すみません……」
彼女は謝ると、赤い顔のままで食事を再開する。
食べ方といい挙動といい、彼女を見てると全然飽きない。
彼女が就寝するまで退屈な時間が流れるかと思っていたが、その逆だった。
彼女が食べ終わった後、セリュシスから話しかけ、他愛もない話をしていたら、いつの間にか夜がとっぷりと更けていた。
それに気付き、彼女が酷く慌てる。
「すっ、すみません! 結構時間経ってしまいましたよね!? イケメンさんの貴重なお時間なのに引き留めてしまってすみません! すぐに眠りますので、少々お待ち下さい!」
「いや、俺がつい話し込んじまった。アンタは悪くねぇよ」
「……お優しいお言葉、ありがとうございます」
微笑み頭を下げた彼女は横になり、毛布に包み込む。
「もう行かれても大丈夫ですよ。絶対に逃げませんから。お約束します」
「あぁ……」
セリュシスは頷いたが、まだ彼女と話していたかった。
楽しかったのだ。彼女との会話が。
けれど彼女はもう眠りの体勢に入ってしまったので、仕方なくゆっくりと立ち上がる。
「……明日の晩、また来る」
「はい、お待ちしてますね。今日は本当にありがとうございました」
『待っている』、彼女のその言葉が、何故か自然とセリュシスの気持ちを向上させた。
「おやすみなさい」
「……あぁ」
セリュシスは彼女を見下ろすと静かに頷き、名残惜しむようにのろのろと足を進め、牢獄を出て行った。
**********
それから毎晩欠かさず、セリュシスは彼女に着替えと晩ご飯を持って行き、彼女が眠るまで話をした。
日中は怪我人の治療も始めたようで、力を沢山使った日はやはり疲れるらしく、就寝が早かったけれど、それ以外は夜が更けて彼女が慌てふためくまで会話を続けた。
彼女といると、時間が経つのがあっと言う間だった。
セリュシスは会話が得意ではなく、あまり話す方ではないが、彼女が会話の引き出しを上手く開けてくれるのだ。
そして、セリュシスの話を真剣に聞いてくれて、その話に合わせて喜怒哀楽を見せてくれる。
彼女との会話も楽しいが、そんな彼女を見ていても楽しかった。
寧ろもっと見ていたい、と思ってしまった。
他の女達は、自分を見ればすぐに身体を求めてきて、自分も気分によって女を選び、それに答え、会話も必要最小限だった。
だが、彼女はそんな欲求が微塵にも感じられなかった。
自分の話をただ嬉しそうに、楽しそうに聞いてくれている。
――そんな女は、セリュシスにとって初めてで。
彼女が身体ではなく、〝内側〟の自分を求めてくれている感覚に高揚感を覚え、けどなんだかむず痒くて、落ち着かなくて。
――けれど、とても嬉しかった。
彼女と一緒にいられる時間は、セリュシスにとって一日の中で一番待ち遠しい時間となっていた。
何も知らない他の騎士達から同情され、「代わってやろうか?」と言われたが、首を左右に振って断固拒否した。
彼女との時間だけは、他の誰にも絶対に譲れない。
そんな生活を続けて三週間が経ち、今夜も二人はいつものように晩ご飯を食べ終えた後雑談をしていた。
「そう言えば、アンタは何歳なんだ?」
ふと気になって訊いてみたが、女に年齢を訊くのは失礼だったかと、セリュシスは今言った自分の言葉を後悔したが、彼女は気にも留めず素直に答えてくれた。
「私は二十二歳です。イケメンさんは私と同じくらいでしょうか?」
「大体予想通りだな。俺は二十四だ。……あのさ、その〝イケメンさん〟はいい加減止めてくれねぇか。俺、そんな名前じゃねぇし。前に名前教えただろ?」
「う……。そ、その……非常に申し訳ないのですが、お名前の発音が難しくて……。こちらの世界でお名前はとても大切なものみたいで、翻訳がされないまま聞こえてしまうんです。伝えていなくてすみません……」
「ふぅん、そうだったのか……。――リュス、は?」
「あっ、聞き取れました! 『リュス』?」
「そう、俺の昔のあだ名だ」
「リュスさんですね、格好良いあだ名です」
「ありがとよ。あと、『さん』はいらねぇ。歳近いし、リュスでいい」
「……リュス」
ニコリとして自分のあだ名を口にした彼女に、セリュシスはドキリと心臓が跳ねた。
セリュシスはその時、無性に彼女の瞳が見たくなった。
自分の目をその瞳で見つめて、もう一度、人生で一番楽しかった子供の頃のあだ名を呼んで欲しかった。
セリュシスは彼女に近付くと、手を伸ばしその前髪を掻き上げた。
思ったとおり、柔らかく触り心地の良い髪質だった。
「え……?」
窓から漏れる月光に照らされたその瞳は、アメジストのように神秘的にキラキラと輝く紫色で。
セリュシスは思わずその瞳に見惚れてしまい、ジッと見つめてしまった。
けれど彼女は慌てて下を向き、前髪を手で額に押し付け瞳を隠してしまう。
「すっ、すみません、気持ち悪い目ですよね……。子供の頃からこんな色で、皆から気持ち悪いって言われて――」
「バカ言うな、逆だ。キレイ過ぎて見惚れちまった」
「えっ?」
「隠すなんて勿体ねぇよ。こんなにキレイなのに。なぁ、もう一回見せてくれるか?」
「えっ? あ……は、はい……?」
彼女はおずおずと顔を上げる。
セリュシスは彼女の手を握り額からどかせると、反対側の手で彼女の前髪を掻き上げ、至近距離でその瞳を見つめる。
「……なぁ。俺の名前、呼んでくれないか」
「え……リュス……?」
「あぁ。……もう一度」
「リュス」
「うん」
鈴を転がすような可愛らしい声で自分の名を呼ばれ、セリュシスの心に、言い表せない切なさや、喜びや嬉しさが交ざり合って込み上げてくる。
「……リュス。私の目、本当に気持ち悪くないですか……?」
「あぁ。何度も言うが、見惚れるくらいにキレイだ」
「……うっ……」
彼女はセリュシスの言葉を聞くと、その瞳から大粒の涙を零し始めた。
その涙も月の光にあてられて輝き、セリュシスは吸い込まれるようにその涙を見つめ――ハッと我に返ると慌てて言った。
「ど、どうした!? 俺、何か泣かせることを――」
「……ち、違うんです。ずっと、ずっと気味悪いって言われ続けてきた目だったから、キレイって言われて、すごく嬉しくて……。ありがとうございます……」
潤んでキラキラ光るアメジスト色の瞳で微笑まれ、セリュシスの理性が一瞬飛びそうになった。
唇を強く噛んで何とか理性を保つと、誤魔化すように下を向く。
彼女のすぐ近くにいたので、自然と彼女の身体が目に入り、服から覗く腕や足に、赤や薄い紫の痣がいくつかあることに気が付いた。
「……? なぁ、その痣はどうしたんだ?」
「え……? ――あっ、その、ちょっと転んじゃって……。こんな狭い場所なのに、ドジですよね私ってば」
彼女は涙の残る目でアハハ、と笑うと、急いで服を引っ張り、その痣を隠した。
「……なぁ……」
「あっ、またこんな時間まで引き留めちゃってすみません……! 私、寝ますね? リュスは行って大丈夫ですよ。絶対に逃げませんから。約束します」
彼女はいつもの台詞を言うと、毛布に包まり横になる。
そして、セリュシスがいる場所と反対側の方を向いた。
まるで、それ以上その痣について触れてほしくないかのように――
「おやすみなさい、リュス」
「……あぁ、おやすみ」
セリュシスは釈然としないまま、牢獄を後にしたのだった……
**********
「あぁ、それは……。暴行されていますね、その子」
「――は?」
翌日の夕方、セリュシスは魔物退治から帰って来たアストールに、彼女の身体に痣があったことを伝えると、そんな信じられない言葉が返ってきた。
「な……んで……。なんでだよ……っ!」
「怪我人は主に、城を守る騎士達や、魔物退治をする兵士達や雇われた冒険者達です。私の騎士団に所属する騎士達は、そんな下劣極まりないことは絶対にしないので、兵士達や冒険者達が、怪我を治してもらいに牢獄に行き、ついでに憂さ晴らしのために行っているのでしょう。〝ニセモノ聖女〟だからこれくらい許されるだろう』と思っていそうですね。性的暴行は絶対にしてはいけないことは分かっているでしょうから、それだけが救いですか……」
『性的暴行』と聞いて、セリュシスの心臓が大きく跳ね上がり、背筋に寒気が走る。
「そんなの……なんでしちゃいけないって分かるんだ……?」
「……あぁ! 君にはまだ話していませんでしたか。うっかりしてました、すみません。重要なことなので覚えておいてくださいね。聖女の力は、聖女という名のとおり、清らかな心と身体が必要なんです。清らかな身体――つまり、男女の営みをしてしまうと、聖女の力が喪失します」
「……! それって——」
「触れるのは問題ないですが、口付けからはアウトです。王族もそこは口酸っぱく兵士や冒険者に伝えているでしょう。逆に、暴力については黙認しているのでしょうね。一度滅んだ方がいいですね、この国の腐った王族どもは」
アストールは、自分が仕えている王族に対しとんでもないことを口にしたが、セリュシスも否定しなかった。
「フザけんな、そんなの絶対に許せねぇ! 止めねぇと——」
「王族に告発するのですか? 無駄ですよ、黙認しているのですから。兵士や冒険者達を片っ端からやっつけても駄目です。『お前チクっただろ』と、逆に彼女に対して暴行が激しくなりますよ。今は痣だけで済んでいるからいい方です」
「じゃあ、じゃあどうしろってんだ!? 王族のヤツらのように黙認して見てろって言うのか!?」
執務机をドンと力強く拳で叩き、セリュシスは吐き捨てるように言葉をぶつける。
アストールは、そんな彼に黒色の瞳を向け、ジッと見つめた。
「君はどうしたいのです? その子を助けたいのですか? 君がただ義務でお世話をしているだけの、〝ニセモノ聖女〟のことを?」
「アイツをそんな風に呼ぶなっ!」
セリュシスはアストールの胸倉をグイッと掴み、叫ぶ。
ありありと怒りの表情を見せる彼に、アストールはフッと笑みを浮かべて言った。
「君の、その子に対する様々な想いを思い返してみてください。他の女性には感じなかった気持ちが沢山あったでしょう? それが『好き』という感情ですよ」
「……っ!」
セリュシスはハッとして、アストールの胸倉を離す。
「俺が……アイツを……? ……あぁ――」
ストン、と何かが胸に落ちた気がした。
(――そうか。これが……)
「しかし、このまま放っておくのはその子の命の危険性にも関わりますし、なんとかしないとですね……」
「……世話に行ってくる」
「あぁ、もうそんな時間ですか。――セリュシス、くれぐれも早まったマネはしちゃいけませんよ?」
「なんだよそれ。わけ分かんねぇ」
セリュシスはそう低く呟くと、騎士団長室から出て行った。
「――やれやれ。我が息子の初恋を応援したいところですがねぇ……」
アストールは眉尻を下げながら腕を組むと、小さく息をついたのだった。
**********
「リュス。いつもありがとうございます」
セリュシスが姿を現すと、彼女は彼にニコリと笑みを見せる。
セリュシスは気付かれないように彼女の肌が見えている部分を食い入るように見回すと、案の定、昨夜より痣の数が増えていた。
「……っ」
セリュシスは無意識に歯を強く噛み締め、ギリリと音を鳴らす。
彼は牢獄の鍵を開け中に入ると、お盆と着替えを地面の脇に置き、すぐに彼女の傍まで詰め寄った。
「逃げるぞ、ここから」
「え?」
「このままここにいたら、アンタの身体がボロボロになっちまう。夜が更け城のヤツらが寝静まったらここから出るぞ。足の鎖はなんとか剣で斬ってやるから」
そう、彼女の耳元で囁く。
彼女は驚いた表情をしたけれど、すぐに困ったように笑って、小さく首を横に振った。
「は? どうしてだよ!? アンタ、暴行を受けてんだろ!? イヤじゃねぇのかよ!」
「それは……勿論、イヤ……ですけど……。私の中にある聖女の力に、『追跡魔法』がかけられているんです。逃げてもすぐに追手が来て捕まってしまいます。そしてきっと、逃げる気持ちが起きないように、もっとヒドイことを――」
「……くそっ! なんとかならねぇのかよ……!」
「ありがとうございます、リュス。私のことを心配してくれて……。私なら大丈夫です。ここに来る前も似たような状況でしたし、慣れているというか……。それに何より、毎晩こうやって、リュスと楽しくお話出来るんですから……。私は幸せ者ですよ」
「……っ」
セリュシスは弾かれたように顔を上げると、彼女はとても優しく笑っていた。
――諦めと、悲しみも含めた笑みで。
「っ!?」
薄暗くて気付かなかったが、間近で見ると、頬にも赤い痣が出来ている。
最近出来たと思われる、真新しい痣だ。
(……殴ったのか。コイツを……!)
殴った当人に対し、沸々と莫大な怒りが湧いてくる。
彼女の身体に痣を付けた者達に対しても。
(……あぁ、ソイツらマジでブチ殺してぇ。けど今はコイツを助けることが先だ。どうすればいい? コイツをここから出すには……。そもそもコイツはなんでここに入れられたんだっけ? ――あぁ、そうだ。回復要員としてここに無理矢理連れて来られたんだ。じゃあ回復魔法が使えなくなればここから出られるんじゃないか? 回復魔法は聖女の力……。聖女の力を使えなくさせるには――)
セリュシスはここでアストールの言葉を思い出し、ゴクリと唾を呑み込んだ。
言葉を出さなくなった彼に、彼女は心配そうに声をかける。
「リュス? 本当に、私のことは気にしないで――」
「なぁ、ここから出たいか? 正直に答えてくれ」
「え? あ、えっと……それは……はい……。でもそれは……」
「アンタは回復要員のためにここに閉じ込められてるんだ。なら、その回復魔法が使えなくなればいい。聖女の力を失くせば、用無しになったアンタはここから出られるはずだ」
「えっ!?」
セリュシスの提案に、彼女はビックリして思わず声を上げてしまった。
「そ、それは……その――」
「俺は聖女の力の失くし方を知ってる。アンタにキスをすることだ。それにはアンタの許可が必要だ。そんなの、俺が強引にしちゃいけないことだからな」
「…………」
彼女は酷く戸惑っている。
そんなの当たり前だ。いきなり『キスさせろ』と、会って数週間しか経っていない男に言われているのだから。
しばらくして、彼女がおずおずとその小さな唇を開いた。
「あの……。リュスはそれでいいのですか? 私なんかに、その……」
「なんかって言うな。……あー……と、正直に言う。俺はアンタが好きだ。アンタといると楽しいし、ずっと一緒にいたいと思う。アンタにもっと俺の名を呼んでほしいし、アンタに触れたいと思っている」
「っ!?」
彼女の顔が一気に真っ赤に染まる。
セリュシスは今にも湯気が噴き出しそうな彼女の顔色に、思わず吹き出し笑ってしまった。
彼女は挙動不審にワタワタとしていたが、やがて動きを止め、胸に手を置き一呼吸すると、セリュシスを見つめた。
「えっと、その……。わ、私も……あなたが好きです。私も、あなたに触れたい……です」
「――っ!」
その言葉を聞いた瞬間、セリュシスは彼女を引き寄せ、強く抱きしめていた。
「――いいか」
「……はい」
彼女の返事を聞くや否や、その細い顎を指で持ち上げ、セリュシスはそっと彼女に唇を重ねる。
彼女の震える唇はとても柔らかく、温かかった。
喜びと嬉しさが、彼の心にしんしんと降り積もり埋まっていく。
それは、他の女には感じられなかった気持ちで――
「……セレン」
セリュシスは唇を離すと、以前教えてもらっていた、今まで気恥ずかしくて呼べなかった彼女の名前を初めて口にした。
セレンはそれを聞き、大きく両目を見開くと、嬉しそうに紫色の目を細めて笑った。
その表情に愛しさが溢れたセリュシスは、もう一度彼女に唇を落として。
これ以上すると自制が効かなくなりそうだったので、彼女を抱きしめたまま、ゆっくりと顔を離した。
「セレン。何か身体に変化はあるか……?」
セリュシスの問いかけに、セレンは胸に手を当てると、潤んだ瞳で小さく微笑んだ。
「……はい。私の中の聖女の力は、完全に失くなったようです。もう……回復魔法は使えないと思います」
「そうか……! じゃあ、出られるんだな……ここから」
「はい。ありがとうございます……リュス。私、今日のこと、一生忘れません。胸に深く刻み付けておきます」
その言葉を聞くと同時に、セリュシスはセレンを深く自分の胸に抱き込んだ。
「なぁ、ここを出たら俺と一緒に暮らさないか? ——いや、俺と一緒に暮らしてほしい。ダメか……?」
「そんな……ダメなわけないじゃないですか。すごく……すごく嬉しいですよ。ありがとう、リュス……。二人で暮らしたら、毎日がとても楽しそうですね……」
そう言ってポロポロと透明な涙を零すセレンを嬉し涙と察し、セリュシスは彼女の頭を優しく撫でる。
「さぁ……リュス、今日はもう戻って下さい。あまり遅くなると、怪しまれると思いますから……」
「あ、あぁ……分かった」
セリュシスはまだ彼女といたかったが、確かにいつもより時間が遅くなっているので、名残惜しそうに彼女から離れた。
そして、視界の隅で冷めてしまった晩ご飯があることに気が付く。
「あ……すまねぇ。晩飯、すっかり冷めちまった……」
「ふふっ、そんなの全然気にしないで下さい。冷めても美味しいから大丈夫ですよ。――さぁ、早く行って下さい」
「……分かった。明日の朝、迎えに来るから」
セリュシスは後ろ髪を引かれながらも牢獄から出て、鍵を閉める。
この作業も今日までだと、心に思いながら。
「毛布沢山かけて、暖かくして寝ろよ」
「ふふっ、ありがとうございます。リュスも暖かくしてくださいね。おやすみなさい」
「あぁ、おやすみ。――また明日」
「はい、また——」
これはまるで恋人同士のような会話だと気付き、一気に気恥ずかしくなったセリュシスは、大股で歩き通路を突っ切り、階段を駆け上がっていく。
「リュス、本当にありがとう。あなたはどうか、幸せになって――」
ポツリと、震える声で呟かれたセレンの言葉を聞かないまま――
**********
翌日、お昼前に起きてしまったセリュシスは、慌ててベッドから飛び起きた。
騎士達の宿舎から全速力で走り、城に駆け込んだ彼は、城内が騒然としていることに疑問を抱きつつも、地下へと走る。
彼女のいた牢獄の前まで来て足を止めると、そこはもぬけの殻だった。
「もう出られたのか? アイツはどこにいるんだ? 団長なら何か知ってるかも」
セリュシスはすぐに踵を返し、地下の階段を駆け上がると、騎士団長室へと向かう。
いつも通りノックもせずに扉を開けると、今回は本物のアストールが執務机に向かい書類を書いていた。
「団長! アイツが牢獄にいねぇんだ。出られたんだよな? アイツが今どこにいるか知ってるか?」
セリュシスの質問に、アストールは顔を上げると静かに立ち上がり、彼のもとへと歩いてくる。
そしてセリュシスの正面に立つと、アストールは真面目な顔で彼に告げた。
「落ち着いて聞いて下さいね、セリュシス。彼女は今朝、『処刑』されました。聖女の力を失い、回復魔法が使えなくなったので、〝用無し〟として」
「…………は?」
アストールの言った言葉が理解出来ず、セリュシスは我知らず聞き返していた。
「処刑……? 今朝……?」
「彼女の中にあった聖女の力には、王族直属の魔道士の『追跡魔法』がかけられていたんですよ。逃げてもすぐ捕まえられるようにね。謂わば彼女は四六時中監視されていたんです。それが昨夜、反応が急に途絶えた。魔道士が牢獄に向かうと、彼女はいましたが、聖女の力を失い回復魔法が使えなくなっていました。夜どおし厳しい尋問を受けましたが、彼女は最期まで、決して相手の名前を言いませんでした。聖女の力を消した者は大重罪になりますからね」
「あ……」
セレンがすぐに戻るように言ったのは、自分を早く逃がすためだったのだと、セリュシスはここでようやく気が付いた。
「彼女は〝ニセモノの聖女〟。本来一人だけを召喚するところを、誤って二人召喚してしまった。この失態が他の国に知られてしまったら、この国は大恥をかいてしまう。彼女は、この国……いえ、王族の所謂汚点だったのですよ。本来は隠蔽のためすぐに処刑するところだったのですが、回復魔法を使えたが故に、牢獄に隠して生き延びられていたんです。その回復魔法が使えなくなってしまったら――」
セリュシスの心臓の音が、段々と大きく激しくなっていく。
周りの音が聞こえなくなるくらいに。
「君は、王族が聖女の力を失くした汚点を、この城からただ追い出すだけと思ったのですか? 汚点が他国に行った場合、その失態が知られてしまうかもしれないのに? そんな汚点を、体面ばかり気にするこの国の王族が絶対に逃がすはずがないでしょう? 役に立たなくなった彼女に待っているものは、たったひとつ——『処刑』という道です」
「…………」
セリュシスは呼吸することも忘れ、石のように固まったまま、アストールの話をただ聞いていた。
「彼女は、最初から知っていたんですよ。聖女の力が失くなったら、自分は処刑される、と。けれど、君の提案を受け入れた。君に本当のことを言って希望から失望の顔に変わって欲しくなかったし、このまま飼い殺しの痛くて辛い日々が続くのなら、大好きな君に触れ、最高の想い出として胸に刻んで死にたいと思ったそうですよ」
「思ったそうって……。団長、セレンに会ったのか!?」
「……彼女へのご飯の提供、君が持ってくる晩ご飯の一回だけだったそうですよ」
「は……はぁっ!? 飯が一回だけ!? アイツそんなこと一言も言ってなかった……!」
(くそっ、俺に心配かけたくないからって黙ってたのか……!)
薄暗く肌寒い牢獄の中で、食事が一回だけ。
鎖に縛られ何も出来ない、自由もない。
回復魔法を強要され、挙げ句暴行されて――
(そんな毎日、誰でもイヤで死にたくなるに決まってるじゃないか……!)
「彼女から、君に伝えて欲しいと遺言があります。『私はあなたを利用した悪い女です。あなたは決して悪くありません。これは私が決めた道だから、どうか自分を責めないで下さい。こんな悪い女のことなんて忘れて、あなたは幸せになって』――と」
「……っ!」
――セリュシスは、昨夜のセレンの言動を思い返していた。
『なぁ、ここを出たら俺と一緒に暮らさないか? ——いや、俺と一緒に暮らしてほしい。ダメか……?』
『そんな……ダメなわけないじゃないですか。すごく……すごく嬉しいですよ。ありがとう、リュス……。二人で暮らしたら、毎日がとても楽しそうですね……』
セリュシスの問いかけに、セレンは『はい』とも『いいえ』とも、具体的な返事を返さなかった。
(来るはずのない未来を想像して、あの言葉を言ったのか……? あの時の涙は、嬉し涙じゃなくて――)
『ありがとうございます……リュス。私、今日のこと、一生忘れません。胸に深く刻み付けておきます』
(あの時、アイツはどんな気持ちであの言葉を――)
「……っ! 出来るわけねぇだろがそんなことっ!」
セリュシスは血の滲むほどに唇を噛み締めると、勢いのままに叫んでいた。
「忘れるなんて出来るわけねぇだろうがっ! 初めてこんなに好きになった――愛したヤツのことをっ! 幸せになんて……なれるわけねぇだろ? 俺が……俺がアイツを殺したんだから……。アイツのいない世界に……希望なんて……幸せなんて、あるのかよ……」
最後の方は声が掠れ、セリュシスの蒼い瞳から、ボロボロと涙が零れ落ちる。
それは幼少時以来の涙で、制御が全く効かず次々と瞳から溢れ、頬を伝い、床にいくつも染みを作っていく。
「ぐっ……う、うぅ……っ」
アストールは、男泣きに泣くセリュシスの肩に優しく手を置いた。
「……君は感情が高ぶると、周りを見ずに突っ走ることがあります。一度立ち止まって気持ちを落ち着け、周りをよく見て下さい。一人では無理そうなら、信頼出来る者に協力を仰いで下さい。そうすれば、このような結果は免れたはずです。冷静になり、他人の思惑や魂胆を読み取って、自分や大切な人のために最良な選択を――」
「…………アストールさん」
不意に、咎めるような女性の声が騎士団長室に響いた。
セリュシスはバッと頭を上げ、素早く左右を見回す。
「あっ、こら。まだ早いです。もう少し黙っていて下さいよ。最後に親としての忠告をですね……」
「人の思惑や魂胆を読み取るなんて、あなた以外でそう簡単にできる人はいませんよ。それに、私がもう耐えられません。彼をこんなに泣かせてしまって……。私の遺言だったものは、もう言わなくてよかったんですよ? 私、ここにいるんですから……。うぅっ、自分の遺言を自分で聞くことになるなんて……かなり恥ずかしい……」
「いやぁ、それを伝えた方が現実味が増すでしょう? 人は一度ドン底に落ちて、そこで己を顧みて反省して這い上がってきた者は大きく成長するものなんですよ。我が息子にはそれができると信じてですね、一度奈落のドン底に突き落として――」
「もう少しお手柔らかにいきましょう、アストールさん……?」
聞き間違えるはずのない、愛しい人の声が聞こえる。
「セレンッ!?」
「ごめんなさい、リュス。アストールさんがしばらく黙って隠れていてほしいって言うものだから……」
カーテンがそろりとめくられ、そこには申し訳なさそうな顔でこちらを見るセレンの姿があった。
前髪は眉毛の辺りまで切られ、綺麗なアメジスト色の瞳が見えるようになっている。
後ろ髪も肩くらいまで短くなっており、一見すると牢獄に閉じ込められていた〝ニセモノ聖女〟と別人のように見えるだろう。
「セレンッ!」
セリュシスは涙を拭わないままセレンに駆け寄ると、その華奢な身体を引き寄せ強く抱きしめた。
「よかった……生きてて、無事でよかった……。本当によかった……! 尋問、大丈夫だったか!? ごめん、ごめんな……っ。俺、何も……何も全然分かってなかった……っ」
「心配かけてごめんなさい、リュス。本当に、あなたは何も悪くないから気にしないで下さいね? 尋問は、乱暴な言葉で責められただけで、暴力はなかったから大丈夫ですよ」
「そうか、よかった……いや、乱暴な言葉はよくないけどさ……。けど、どうやって処刑を免れたんだ?」
セリュシスの質問に、セレンはニコニコとこちらを見ているアストールに顔を向けた。
「牢獄で処刑を待っている私のもとに、アストールさんがコッソリやって来て、私の幻影を作って身代わりにして逃がしてくれたんです。だから、実際に処刑は実行されたので、この国で私は死んだことになっていますよ」
「……っ! そうだったのか……。団長、ありがとな……」
「そこは『お父さん』って言ってほしかったですねぇ。サボりと遊び以外には使えないかと思っていたけれど、息子の大切な人の命を救う貢献が出来て、脅威の『闇魔法』も涙を流して喜んでいることでしょう」
「……いやいやいや。コイツを助けてくれたのは本当に感謝してるけどさ、ソレ、もっとすげー使い道できるって……。脅威の『闇魔法』サン、嬉し涙じゃなくて悔し涙流してると思うぜ……」
そんな親子のやり取りに、セレンがクスクスと笑っている。
アストールがコホンと咳払いをし、真面目な顔で口を開いた。
「――さて、彼女の今後のことですが、このままこの国にいるわけにはいきません。髪型を変えてパッと見ただけでは気付かれませんが、彼女の顔を知っている者はいますからね。この国を離れることになるのですが――」
アストールの言葉に、セリュシスは自分の言葉を被せた。
「俺もセレンと一緒に行く。セレンは俺が傍にいて一生護っていく」
「リュス……。私は嬉しいのですが……いいんですか? この国を……アストールさんと離れることになるんですよ……?」
「団長は俺がいなくても大丈夫だ。寧ろ、アンタと一緒に行かない選択肢を取るとネチネチネチネチ言ってくる、絶対に。ま、行かない選択肢なんて最初からねぇんだけどさ」
「はっはっは。流石我が息子、分かっているじゃないですか。私は君の初恋を応援しますよ」
「ぐ、初恋って……。恥ずかしい言葉使うんじゃねぇよ。それに、最後じゃなくてさ……。その、たまにこっちに帰って来るから……これからも至らない俺に忠告してくれよ。――な、父さん?」
「……っ!」
セリュシスの最後の言葉に、アストールは黒曜石色の瞳を大きく見開いた。
「――ははっ。アンタの驚いた顔、初めて見たな?」
「……い、いきなりは卑怯ですよ!? 危うく涙まで出そうになったじゃないですか!」
「おぉ、泣いてくれ泣いてくれ。俺もアンタの前で盛大に泣いちまったからな、おあいこだ」
「……流石、我が息子は私に似てイジワルですねぇ」
「自分で言うか? それ」
二人の掛け合いに、セレンは再び可愛らしい笑い声を出す。
「ふふっ、本当に仲の良い親子で羨ましいです」
「いずれ団長もアンタの『義父さん』になるから心配すんなよ」
「えっ!?」
「はっはっは、確定事項ですか。私もこんなに可愛らしいお嬢さんが私の『義娘』になるなんて大歓迎ですよ。いやぁ、その日が楽しみですねぇ」
「お、お二人共……? それはちょっと早過ぎるお話では……?」
「「そんなことは「ないぞ」「ありませんよ」」
「わ、わぁ……。ホント息ピッタリな仲良い親子ですねぇ……」
――そして、二人は共に旅立つ。
手をしっかりと握り合って。
セリュシスは騎士団を辞め、セレンは聖女の力を失い、二人はただの『男』と『女』になってしまったけれど。
楽しそうに笑い合う二人の未来は、眩い光で満ち溢れている――
――その後、〝本物の聖女〟として周りから過剰にもてはやされていた金髪の女が、全く聖女の力を使えないことが発覚し、処刑された〝ニセモノの聖女〟が、本当の聖女であることが判明する。
ただの小さな板切れを眩く光らせていたのは、金髪の女がいた世界の道具についているライトだったらしく、聖女の力でもなんでもなかったのだ。
本当の聖女を処刑したとして、王族は国民から大批判を受ける。
結果反乱が起こり、王族は全員、金髪の女は国民を騙したうえ、国庫金を私利私欲の為に使用していたとして全員処刑された。
本当の聖女を暴行していた兵士や冒険者は、騎士団長アストール・フォーハウトによって身元を洗い出され、全員重罰を受けた。
新しい王に、国民達が声を揃えて推薦した、元騎士団長のアストール・フォーハウトが就任する。
その補佐の為に、息子のセリュシス・フォーハウトとその妻セレン・フォーハウトが国に戻り、三人の貢献により、その国は永きに渡り安泰の道を辿っていく――
――その国の正式な歴史書には、そうしっかりと綴られている――
Fin.
ここまでお読みくださり、誠にありがとうございました。
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