第39話 スペラーレ
「……限界が、近いんだと思う」
ユキノリは、シュウが否定したかった想像をいとも簡単に肯定してしまった。
できれば違う可能性を示してほしかった。
もしかしたら、そう遠くない未来にハルが消えてしまうかもしれない。
それも、得体の知れない物質によって。
シュウは受け入れがたい真実に生唾を飲み込んだ。
言葉が、出てこない。
なぜこんなことになってしまったのか。
どこで道を間違えたのか。
どうしてハルじゃなきゃいけなかったんだと、できることなら叫びたかった。
いまさらどうしようもないと頭では理解している。
しかし到底すぐには受け入れられそうにない。
「くっ……!」
世界は、なんて残酷なのだろう――。
「…………でもね、この状況を打破し、なおかつ彼女の寿命を少しでも長くする方法がある」
少しばかり躊躇しながらもそう口にしたユキノリの言葉に、シュウはうつむきかけていた顔を上げた。
示されたわずかな希望にすがる思いだった。
「それが、『スペラーレ』とよばれる者の存在。スペランツァと運命をともにし、彼女たちを守護する者だと、僕たちは仮定している。お互いの魂をキューブを介して繋ぐことで、スペランツァの生命力を補っているんだと思う。たしかに、科学では到底説明しきれない。妄想だと言われたらそれまでなのかもしれない。だけど現実に、僕らの前には実例がある」
「実、例……?」
「ホノカとアキトくんだよ。彼女もまた、過去にハルと同じような症状に見舞われた。いや、あのときはもっと深刻だったかな」
当時のことを思い出そうとしているのか、ユキノリがわずかにうなる。
シュウは彼の思考を遮り先を促した。
「ホノカは、ハルよりも先にスペランツァとして選ばれた。彼女は過去のデータを次々と覆すほどに順応力が高かったんだ。要領がいいんだろうね。ホノカは前例がないほどに早いうちからその能力を使いこなしていた。それこそ初回から弾き出したシンクロ率の高さには、研究者一同舌を巻いたほどだよ」
だからこそ、体にかかる負担は誰よりも大きかった。
彼女は頻繁に意識を失ってしまうほどの代償を求められた。数日間眠り続けることもしばしばあり、キューブとシンクロすればするほどホノカの健康状態は悪化していったのである。
しかし、研究の過程であきらかとなったスペラーレの存在が、彼らに希望の光をもたらした。
命を賭して運命をともにする役目に名乗りを上げたのは、当時からユキノリやマリアの助手をつとめていたアキトだった。
「するとね、それまでの症状がパタリと止まったんだよ。以前の状態が嘘のように回復した。もちろん能力値も上昇。とはいえ原理がわからないのは、研究者として非常にくやしいところなんだけどねー」
「…………」
「でも、ホノカは今、元気でしょ?」
突拍子もない話だと思った。まるで絵本の中の作り話だ。
だがシュウは、どういうわけかすんなりとその事実を受け入れることができた。
目の前の彼が嘘を言っているような気がしない。
そして、これから告げられるであろう言葉に、少なからず感づいてしまったのも事実である。
「きみに、ハルのスペラーレになってもらいたい」
予想どおりの言葉だった。
この話は、きっとごく一部の人間しか知らないのだろう。そんな話を経験の浅い自分に聞かせるということは、つまりそういうことなのだ。
もしかしたら、この男は最初からわかっていたのかもしれない。
ハルとシュウの以前の関係もなにもかも知り得たうえで、彼らをあえて同室にしたのかもしれないとさえ思った。
「すぐに答えを出せとは言わない。だがもし……きみがハルのことを本当に大切に思っているのなら、考えてみてほしい」
シュウは見上げた天井に向かって息を吐いた。
どのくらい時間が経ったのかはわからないが、シュウは一向にそこから動く気がしなかった。
体が、心が重たい。
部屋に響く時計の音が、やけに耳につく。
指一本ですら動かすのが億劫で、天井のシミを睨みつけるように眺めていた。
(スペランツァと……スペラーレ……)
ユキノリの言葉が何度も脳裏を駆けめぐる。
ハルのことはもちろん大切だ。
だが、自分には彼女を守りきれるだけの力も、ましてや覚悟もない。
(……『なんにも知らないくせに』……か……)
いつだったかホノカに言われた言葉。
あのとき以上に今のほうが胸に突き刺さるのは、すべてを知ってしまったからだろうか。
同時に脳裏をよぎったのは、ツカサの死の瞬間だった。
ユキノリの話では、彼女にもスペラーレはいなかったらしい。戦場で敵に背後を取られた原因となった異変が、キューブとのシンクロの代償なのだとしたら。
(いつ、ハルの身に同じようなことが起こっても、おかしくないってことか)
今はまだ戦場で症状は出ていない。
だが、いつそれが起こるかわからない。
もし戦場で異変に見舞われたら。
もし意識を失うほどの代償を求められたら。
「っ……!」
ハルの背負うものの重さに、感情が、思考がついていかなかった。
「……そういや、笑ってねぇな……」
再会してから一度も、シュウはハルの笑顔を見ていない。
ふとそう思った。
キョウヤやホノカたちと楽しそうに笑っているところはよく目にするが、自分だけに向けられた笑顔はない。
(もしも、ハルがそれを望んでないんだとしたら……)
そうなればもう打つ手はない。
おそらく自分が断れば、ユキノリはキョウヤをスペラーレにするのだろう。
彼女にとっては、心を許しているキョウヤのほうがふさわしいのかもしれない。
だが、どうにも釈然としない気分に陥った。
自分の中の黒い部分がうずくのを感じる。
シュウはその重たい感情を吐き出そうと、大きく息を吸い込んだ。
◇◇◇
闇に包まれた部屋の中、イスの背もたれに体重を預けて、男は妖しい笑みを浮かべる。
「ますます、欲しくなった」
「あたくしには、あの子にそれほどまでの価値があるとは思えませんが?」
かたわらの女が琥珀色の液体を注いだグラスを置く。
その表情はどこか嫉妬に駆られているようで、一方で声色は心なしか冷めたものだった。
「いずれわかるさ」
グラスに口をつけた男が、天を仰いで視界を閉ざす。だが口角は上がったまま、込み上げる欲に彼は無意識に歯を見せていた。
グラスに浮かぶ丸い氷の塊が、揺れて澄んだ音色を響かせる。
「……レン様の、思うままに」




