第15話 ペッカート
「っマジかよ……!?」
「本当にいた……!」
彼女たちの視線の先。
そこに、まだ記憶に新しい黒い塊がうごめいていた。
昨日バスの車内から目撃したときにはひとかたまりの黒い波のようにしか見えなかったのに、今はそれぞれの輪郭がはっきりと認識できる。
それほどまでに、敵との距離は近い。
「あれが、ペッカート……?」
「あんなの、巨大なおばけじゃないかっ……!」
なで肩から垂れ下がった長い腕。
起伏のない胴体。
まるで布を引きずっているように、歩いているのか這っているのかわからない足元。
一様に居並ぶ表情のない真っ白な仮面が、その不気味さにより拍車をかけていた。
「ど、どうすりゃいいんだよっ……!」
「戦うっていったって、こんなのに勝てるわけ……!」
ペッカートの群れは、左右に上体を揺らしながらゆっくりと、しかし確実にシュウたちに迫ってきていた。
「ちょっと! 早くあいつら倒してよ!!」
エリカが興奮気味に叫ぶ。
しかし、若者たちが救いを求めて振り返った先に、ホノカの姿もハルの姿も見えなかった。ましてやあれだけ「守る」と豪語していたツカサの姿さえも。
「おいおい嘘だろ!?」
「あんなのとどうやって戦えってんだよ!!」
「死にたくねぇ……! 死にたくねぇよぉ……!!」
戦場となる平原に置き去りにされた若者たちは、一瞬にして動揺と混乱に包まれた。
逃げるべきか。
隠れるべきか。
だとしてもいったいどこに――。
パニックに陥る思考の片隅で、いつかテレビで見た『戦場』の光景がよぎる。
ただなんとなく眺めていただけの映像が、現実に自分の身に襲いかかろうとしている。
(隠れたって無駄だ! こんなのから、逃げきれるわけねぇ……!)
『アレ』に見つかったらどうなるのか。
それを理解するのに、そう時間はかからなかった。
頭の先から一気に血の気が引いていく。
「っ! やるしか、ねぇってことかよっ……!」
シュウは奥歯が軋むほどに噛みしめると、そばの木の陰に身を隠した。
手にしたアサルトライフルの安全装置をはずす。
「お、おい! マジであんなのとやりあうのかよ!」
近くにいた青年が、シュウの肩を掴んで叫ぶ。
「オレだって自信はねぇよ! けどどうにかして生き延びるしかねぇだろ! それともお前死にてぇのかよ!」
「んなこと言ってねぇだろうがよ! クソっ!」
シュウに腕を振り払われ、青年は悪態をつきながらも自分の銃を見つめて安全装置に指をかける。
彼らのやりとりに触発されたほかの若者たちも、同様に物陰で息をひそめて腕の中の武器を構えた。
「シュウっ!」
「エリカ! お前は下がってろ!」
駆け寄ろうとするエリカを、シュウは鋭い口調で制した。
一瞬、不服そうな表情を見せたエリカだったが、さすがに彼女も今の危機的状況を理解しているだろう。
(クソっ! 落ち着け! 落ち着けよっ……!)
いままでに経験したことのない早さで脈打つ心臓が痛い。
ままならない呼吸を落ち着けようと深く息を吸い込むが、全身の震えが止まらない。
恐怖。不安。焦り。
口内はカラカラに乾いていたが、飲み込むのは空気ばかりで。
「っ!? うわあああああっ!!」
「やめろバカっ! 無茶だ!」
若者の一人が、弾かれたように敵の真正面に飛び出した。
フルオートの銃からは、彼の雄叫びに呼応するように連続して銃声が上がる。反動で安定しないままの銃身が、大きく左右に振られた。
「っ見たか! ぼくだって! やるときはやるんだっ!!」
若者が息をすることを思い出す。
同時に、銃もカラカラカラ……と無機質に空転して止まった。
ところが、やりきった表情で顔を上げた若者を待ち受けていたのは、称賛の拍手でも勝鬨でもなかった。
「なっ、んで……! ひっぃ!?」
彼の眼前に、黒い壁が迫ってきていた。
歩みを止めたペッカートが、長い腕をゆっくりと頭上に掲げる。
次の瞬間、若者の姿がシュウたちの視界から消えた。否、彼の体は弾き飛ばされたのだ。
若者は、遠い大木の根元に横たわっていた。
ケガをしたのかどうかは、シュウたちの位置からはわからない。
ただ、若者はピクリとも動かなかった。
「な、なんなんだよっ……!?」
「いやだっ……! 死にたくねぇ……死にたくねぇよ!」
とたんに、いままで経験したことのない恐怖が一気に若者たちに襲いかかる。
無意識に全身が硬直し、かと思えば奥歯が激しく上下した。
逃げなければと思うのに、足がすくんで一歩も動けない。
「っ! こんなの、冗談だよな……?」
ひんやりと冷たい銃の重みだけが、やけにリアルに感じられた。
「まったく……どいつもこいつも情けないわね。さっきまでの威勢はどこいったのよ」
ため息まじりの声が、一瞬で若者たちの意識を引き戻した。
全員がすがるような気持ちで声のしたほうを向く。
やわらかい風が、すばやく若者たちの汗ばんだ肌の上を駆け抜けた。
「ぜんぜん話になんないじゃない」
「しょうがないよ。ただの人間なんだから」
「もう、おふたりとも! そういう言い方はよくないですよ?」
再度ため息をついて肩をすくめたホノカは、「だってほんとのことじゃない」と言いながら硬直したままの若者たちを一瞥する。
「……すぺ、ら……?」
誰かの小さなつぶやきが、戦場の空気をにわかに震わせた。
狼狽する若者たちの間を、スペランツァの三人は横並びで悠々と進んでいく。
絶体絶命の状況下に慌てふためくでもなく、彼女たちはいたっていつもどおり。
「ツカサ、サポートよろしく」
「はい! お任せください!」
「ハル、準備は?」
「いつでも」
ハルの両手の内で、二本の剣が回転する。
深紅の剣身が揺らめき、炎がエッジに沿ってほとばしる。
「さっさと終わらせて帰りましょ。おなかすいたわ」
まるで死神の鎌を思わせる巨大な武器を肩に担いでホノカが言った。
凍てついた氷の刃が、周囲の熱を奪っていく。
次の瞬間、ハルとホノカは黒い群れに向かって駆け出した。




