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俺は更衣室にはデフォで出禁のようで、さっさと着替えを済ませると、会場に無駄に設置された椅子の一つに腰掛けて所在無くしていた。二十分くらいだろうか、ようやく開いた更衣室のドアから三人が出てきた。馬子にも衣装。そんな言葉も浮かんだけど、どうにもガキ臭い照れ隠しだと自分でも気付いていたので、余計なことは言わないことにした。よく知る少女達のハレの衣装は、どうやら色違いの同一デザインのものらしい。奈々華の説明では、公平を期すために参加者のそれらは統一ということらしい。個性というものを無視した斬新な規定だ。そしてその衣装というのが、一言で現すに、ドレス。ひらひらした感じではなくて、シックな感じ。上質な素材を使っているのか、ラメなんかの加工はしていない様子なのに、生地自体が光に反射してテカテカと光っている。残念ながら女性の服、しかも見慣れないものとなると、形容しようにも中々言葉が出てこない。ワンピースタイプではあるが、テレビで観る著名人が着ているような、胸元や背中が大きく開いたものではない。奈々華が純白、カナがちょっと派手な赤、カナちゃんが落ち着いた感じの薄い青、とそれぞれ着こなしている。
「どうかな?」
奈々華からくると思った質問は、自信なさげなカナからだった。そう言えば参加に際してもなにやら表面上は自信がないような態度を取っていたのも彼女だった。
「いいんじゃないか。よく似合ってる」
カナの評が終わったところで、サナちゃんと目が合う。じゃあ私はどうですか。そんな目をしている…… 気がする。
「いいんじゃないか。よく似合ってる」
なんともむず痒いが、こういうのは気にした方が負けなのは定説。
「じゃあじゃあ。私は?」
「イインジャナイカ。ヨクニアッテル」
「顎を叩き割るよ?」
随分と凶暴な子に育ってしまった。いい加減察せ。身内を褒めるのは一等こそばゆいのだよ。同意を求めるように他の二人にも目を向けるが、カナは口を尖らせているし、サナちゃんも不機嫌な感じに目を細めている。まあ皆同じ感想じゃちゃんとした意見として役立たないのはわかるが、こっちとしてもカドが立たないようわざと画一的にしたわけで、そんな顔をされても困る。だが同時に俺のような社会ゴミの見解でも参考にしたいと思う気持ちもわからんでもない。これから衆目に晒され、あまつさえその美をああでもないこうでもないと評価される、そういう場に臨もうというのだから。三人の意思が固いことを表情から察して、渋々詳説することにする。
「まあ…… そうだな。カナは何と言うか健康的な感じが上手く赤で引き立っている感じかな。選んだ色としては全然悪くないと思う。スタイルも良いし、そういう服自体が似合うんだと思うよ。だからさっき言ったのはまあ本心ということで」
うろたえ始めるし。キョドキョドと視線が定まらず、そのくせ俺の方は決して見ようとしない。ほらあ。俺が口説いてるみたいになってんじゃないかよ。だからやだったのに。どうすんだよこの空気。
「案外お前褒められるのに耐性ないよな」
一人でこの疲弊ぶり。悄然とした顔を作って残りの二人を見やる。お前等も忌憚なき意見が欲しいのか。本当にいいのか。なんか青春みたいな雰囲気になるけど良いのか。期待に満ちたようなそれでいてどこか照れたような顔を両者浮かべている。イエス、のようで。
「うーん…… サナちゃんは元々小柄で可愛らしいんだけど、ドレスを着るとどっかのお姫様みたいに見えるな。カナとは方向性は違うけど、元来持ってるものを引き立てられてるような気がする。それに肌が白いから青がよく馴染んでる気がする。配色も良いってことかな。似合ってると思う」
それに胸も、と続ければきっと奈々華に顎を割られるのだろう。俺の意見を聞くと、サナちゃんはカナとは対照的に俯いてしまって、恥ずかしさに耐えているようだ。そんなになるくらいなら聞かなきゃ良いだろうに。まあ褒められて悪い気のする人間なんて居ないわけだから、聞きたくなる気持ちもわからないでもないけれど。
「まあそんなところか」
「ちょっと。一番大事な人を忘れてるよ? 最愛の妹を忘れるなんて若年健忘にしても早いよ!」
ああ居たな、そんなの。っていうか、何でそんな若手芸人みたいなノリなんだろうか。まあ、こいつも一丁前に照れているということか。おべっかを色々考えても見るが、どうにも見たとおりの感想が先に立ってくる。そういう辺り俺って凄いのかも知れない、と思う。一番近い異性を今更評価するなんて異常事態に、まるっきり他人事のように公平な分析眼をもって遂行する心構えを瞬時に纏め上げれる、沈着冷静さ。いつからこんな考え方が出来るようになったんだろう。まるで感情を一切排したようなロボットみたいな…… 何を俺はよくわからないシーンでシリアス入ってるんだろうか。ちょっと落ち着こうと胸のポケットからタバコを取り出して火を点ける。最初の一口を肺に一杯溜めてから吐き出す。
正直な感想は綺麗だ、という一言に集約される。三人を一目見たとき気付かれないようにハッと息を飲んだのも、彼女に対してだったのが悔しいところなのだ。何せずるい。カナのスタイルの良さも、サナちゃんの色白も、奈々華はそれぞれよりもきっと高い水準で持ち合わせているのだ。くびれた腰は、高名な芸術家がロクロで仕上げた渾身の茶器でも敵わないと感じる曲線美。無駄な肉がなく、それでいて健康的且つ女性的な柔らかさを感じさせる二本の足。丸く澄んだ瞳はこれまた芸術のような比率で保たれている二重の瞼に収まっている。凝視されていて恥ずかしいのか、少し朱がさしはじめた頬は少し下膨れているのだが、決して顔全体の調和を損なうこともなく、また決して太っているという印象など与えようもなく、どちらかというとあどけなさや親しみやすさを感じさせる。おまけにキチンと産毛まで手入れされていてモチモチした感触だと知ってしまっている俺としては、思わず撫で回したい衝動がこみ上げる愛らしさも持ち合わせている。肩から流した長髪がドレスを黒く彩る様もまた、間逆の色同士なのに不思議と潰しあうことなく、どころかそれが至極自然であったかのように馴染んでいるように映るから怖い。コレが、こういう人間が盃を戴いて尚天を仰ぐことを許される選ばれた存在なんではないかと、どこか女神や天使を目の当たりにしたような現実感の喪失さえ味わっているのかもしれない。近づき難い程の美貌と、近づいて愛でたおしたい程の愛くるしさが矛盾なく共存できるものなのか、と俺は純粋に理解が及ばない。馬子にも衣装という言葉が決して万能でないと知った。美女にもまた衣装だ。何を着ても綺麗な人は綺麗なのかもしれない。だけど、綺麗な人が綺麗な衣装を纏えば、最早こちらの理解が及ばないほどに変わる。
「お、お兄ちゃん?」
何度か呼ばれていたのは気付いている。
「ああ…… 綺麗、だと思ふ」
随分と落ち着いた声の調子だった。陳腐ではあっても、思ったこと感じたことをそのまま言葉にしただけだからかもしれない。実際心も落ち着いたもので、奈々華の反応の予測も立っていた。照れて憎まれ口を叩くか、照れてふざけた調子で応じるか、照れて無理くり平静を装うか…… そのどれもが違った。