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街は知らぬ間に雰囲気を一変させていた。馬車が忙しなく行き来する往来は今は歩行者天国よろしく。そんな馬車を道端に寝そべって鬱陶しそうに眺めていた家畜なんかもちゃんと住み家に帰されたのか、姿がない。良くも悪くも雑然とした雰囲気のあった通りが、祭に際してきちんと整備されているようだ。だけど根底にあった雰囲気、どこか町に成りきれず、純朴な印象を受けたそれは変わらずに在るような気がする。浮き足立つ人々の顔には祭を観光事業として捉えるようなスマートさは感じられず、自分達が楽しむためという感情が多分に現れている。いや、この街に限らず祭とは本来そういうものなのかもしれない。祭事を政としているのは役所ばかりだろう。
「これ昨日から夜通しらしいよ」
カナが誰にともなく言った。嬉しさを噛み殺したような声音。
「二日間不眠不休で楽しんでぶっ倒れる人も居るとか」
馬鹿だよねえと笑う。勿論本気で馬鹿にしている雰囲気はない。カナは伝えたいことは伝えたのか、それとも落ち着きを完全に失っているのか、面白そうなものを見つけたらしくパタパタ駆けて行く。道中にある大道芸の舞台に目を奪われたらしい。俺達もちょっと立ち止まってみる。巨漢が口から火を吹くと観衆から拍手と感嘆の声が上がる。歯笛を鳴らして囃していた男がアンコールを所望すると、次々便乗する聴衆たち。カナもそこに加わっているのを見てやれやれと首を振っていると、同じような顔をしていた奈々華と目が合う。
「なんていうかお祭だね。私達の世界のとはやっぱり違うのに、そう感じる」
俺達の知るのは、こういった芸事をやる感じじゃないし、
「屋台とかがないしね」
「うん。面白いよね。多分砂が舞うから食べ物なんかは屋外じゃ厳しいんだろうね」
乾燥しがちな気候。ダートの街。
「それにしても…… お前は結構冷静だな。祭あんまり楽しくないか?」
「え?」
冗談のつもりだった。付き合いが長いだけあって、奈々華がこういった賑わいに際してどういったスタンスを取るかくらいは重々理解している。例えば宴席だと少し離れたところから皆がわいわいやっているのをチビチビ焼酎をやりながら微笑ましく眺めているタイプ。決して本人は楽しんでいないとか、そういうことではない。そんなことはわかっている。だから冗談のつもりだった。
「……そんなことないよ。でも、やっぱりカナみたいに純粋にはしゃいでる方が可愛いよね?」
まさかのキラーパス。見透かされている。そう思ってしまうほどタイムリーだった。確かにさっきの興奮気味に楽しんでいる様子のカナを可愛いと思った。ただそれは多分大人が子供に抱くような類で、奈々華が思っているような感じじゃなくて、そもそもなんで奈々華はそんな風に一々俺の感情の動きを探ろうとするのか、それはあまり考えないようにしようかと思っている所存で…… ああもう面倒くさい。
「そんなこともないよ。奈々ちゃんみたいな子もそれはそれで可愛いと思うよ」
結局この子はこの言葉を引き出したいだけなんじゃないだろうか。というのが結論。それは間違っていなかったらしく、はにかんで笑った。そして変なシナを作ったかと思うと俺の腕に巻きついてくる。何を俺は祭で妹と良い雰囲気になりかけているのか。奈々華にばれないようにそっと溜息をついて、遠く太鼓の演奏を聴いていた。
ミスコンテストの会場にやって来たのは昼飯を済ませてからだった。会場は想像より立派だった。受付こそ麻のテントに簡易の長机なんて体育祭運営本部みたいなしょっぱい感じだったが、奥にはキチンとした建物があった。ちょっとした講堂のような外観。受付で確認を済ますと、その建物内で待機するように指示を受けた。どうやらイベントは午前と午後に分かれているようで、俺達は午後の部の方で出れるらしい。つまり二日開催で午前午後で二回ずつ、全部で四回行う計算になる。それにしても参加を申し込んだ時点でそのどこかへと明確に割り振られなかったが、そんなアバウトで大丈夫なんだろうかと受付のお姉さんに聞いてみると、「ぶっちゃけ今年はあんまり集まらなくて、どこの部も定員割れ状態だから適当でも大丈夫なんです」と本当にぶっちゃけてくれた。ともあれ指示通り中に入ってみる。奥行きがそれなりにあるようで、パイプ椅子が整然と並び、奥の方にはステージたる雛壇があった。脇に控え室兼更衣室があるようで、小さな扉がついている。さしずめ体育館のような構造で、卒業式のような様相だった。中では同じように指示されただろう女性たちが、ざっと三十人くらいか、いらっしゃった。俺を見る目はとても好意的とは言えず、中には覗きに来たのではないかとあからさまに疑うような視線もある。正直カチンと来る。
「ミスコンなんて言うからどんなゲロマブな美女たちの集まりかと思えば、とんだメス豚どもの犇めき合いだぜ。俺が入賞するまである」
とか言えたらどれだけ気持ち良いんだろうか。実際は視線を逃れるように壁際に避難するだけ。そして改めて内装をぐるりと見て軽口。
「おいおい。ミスコンでも開けるんじゃないか? これは」
まあ軽い口調で言っているが、実際感心していた。軋まない床は俺たちが宿泊しているボロホテルよりしっかりしている。壁をノックしてみても向こう側に倒れこんだりしない。真新しい木特有の瑞々しい匂いさえ漂っている。これをミスコンだけではないにしても、幾つかの催し物のためだけに設営して、終わったら取り壊すというんだから、勿体無いと言ったらいいのか、物凄い気合の入れようだと評価すれば良いのか判断に困るところ。
「お兄さんも出るんだからしっかりして、ってサナが言ってますよ」
「そいやそんな話だったな」
何せ仕事の方はいつぐらいにします? なんて質問を受けて初めて俺はそういやミスコンに出るんだったなんて話を思い出したくらい、異世界のことを忘れかけていた。それだけここ数日が濃すぎたのかもしれない。
「ちょっとしっかりしてくださいよ」
「冗談だよ。流石に覚えているさ」
そんな軽口を叩き合っていると、建物の奥から女性が出てきて、午後の部の参加者を呼ぶ。更衣室兼控え室の準備が整ったようだ。俺もついていけば良いのかと動き出したご婦人方の流れに合わせようとするとその女性が指示。
「あ、そこの男性の参加者の方は、おトイレの近くに衣装を捨てて…… 置いてますので、そこらへんで着替えてください」
「はーい」