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厳粛かどうかは知らないが、実際聞いていた。聞いていたからこそ耳が痛くもあった。言われなくても知っているよ。川瀬が相手ならそんな風にあしらっていたかもしれない。もっともアイツなら俺のメールに興味を持つなんて有り得ないから、込み入った話に発展することもなかっただろうけど。先輩の面倒見の良い性格があってこそのものだろう。そして敢えて踏み込んできた厚意の内容はこうだ。
奈々華ちゃんはひょっとすると寂しいんじゃないかな。確か女子高に通ってるって前言ってたよね。上手くは言えないんだけど、一番恋愛したり彼氏作ったりしたい時期なのに出会いが少ないわけじゃん。その代替ってわけでもないだろうけどさ。斜に構えてしまってるのかもしれないね。家族が居るから恋人なんて居なくても大丈夫だよ。みたいに。達観したフリしているのかも。私もそういうところあるし、何となくわからないでもない、かな。でも何だかんだでふとした時に虚しくなったり、寂しくなったり、そういうときに思いっきり甘えて紛らわせる。
彼女自身、どこかしら探りながら、言葉を厳選しながら話しにくそうにしていた。実際去り際に、
やっぱり忘れて。私がどうこう口挟むことでもないし、推測だし。あーあ、何で私あんなこと喋ったんだろう。なんか城山君たちの兄弟の絆を侮辱してるみたいにも聞こえたかも。本当にごめんなさい。
そんな後悔も覗かせた。すいません、割り箸に思いを馳せていたものですからあまり聞いてませんでした、と軽く流そうとした。だけど先輩は、優しいねと呟いた。どうやらしょうもない猿芝居は奏功しなかったようだった。
「ウィンカーくらい出せよ、ハゲ」
帰り道は混んでいた。少しでも空いた車線に素早く入り込んでいく、その図太さが俺にはどうにも持てない。これくらい強引で、自己中心的な部分を前面に押し出せたなら、短絡的に生きられたなら、ひょっとするとこんなことで悩んだりしないのか。
「お前ばっかり構ってらんないよ」
ってピシャリ。今一人きりの車内で呟いただけで、奈々華の泣き出しそうな顔が容易に脳裏に浮かぶ。無理だ。そんな可哀想なことは出来ない。気を遣いすぎだよ。でもな、どちらも百パーセント我を通すなんて出来ないんだよ。家族内では気を遣わないのが円満の秘訣、そんなの嘘だ。そう思っている人間は、きっと自分が円満だと思っているだけで他の家族がその人の分も余計に気を遣って我慢しているんだ。何も一挙手一投足ビクビクと相手の顔色を窺えなんて話じゃなくて、もう少しよく見たら良い。近すぎて見えにくくても見れば良い。そうすれば相手は自分と居るために少なからず妥協してくれているのがわかる筈だ。だから、気を遣うという表現がよそよそしいなら、感謝と謙虚を持てばいい。それらが相手のキャパシティーの範疇におさまってなければ、一見円満に見えてもいつか破綻してしまうかも知れない。
奈々華は沢山のことを俺にしてくれている。割り箸を回す癖も、靴下を脱いだままほったらかしにする癖も、所構わず屁をこく癖も、注意はするが我慢してくれている。ギャンブルでヒドイ負け方をして、部屋の隅で小一時間膝を抱えていても、自業自得も甚だしいのに、優しく慰めてくれる。だから俺もあの子の家族として感謝と謙虚は忘れずに居るつもりだし、彼女と家族を続けるための努力も妥協も惜しむつもりはない…… でも……
「……ちょっと違うんだよな」
先輩の考えはちょっと違うかもしれない。代替ではなく、そのものの如く、依存が激しいのだ。時折ではなく、いついかなる時もなのであって、時折感じる虚無や寂寞から来るものとも思えないのだ。もう少し兄離れしてくれないと、このままいくと……
ハンドルを握る手が嫌な汗をかいているのがわかる。将来のことを考えると大抵嫌な気持ちになるが、これはまた別格だ。きっとまだモラトリアムが二年残っていて、まるで誰そ彼時に見るぼんやりとした人影のように、それが妖とも確定していない状況。それとは違って、よりクリアーで身近なんだろう。逃げ出したい現実が近く訪れる可能性。
ブーブーとポケットの携帯が震える感触がした。運転中なので取れませんよ、お姫様。
「……はあー」