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しばらく近況を話し合ったり世間話をしていると、ケツのポケットが震えた。川瀬の馬鹿かと思いきや、奈々華からのメールだった。微妙な顔をしたのだろう、先輩が窺うような雰囲気を作った。
「妹からです」
便箋のマークを開くと、「まだ帰ってこないの?」と。
「ああ、そういえば」
先輩は奈々華のことを知っている。一度、高校時代に当時中学生の奈々華と道を歩いている所に鉢合わせたことがあった筈だ。後日会ったときに、彼女かと思ったなんて所感を頂いた。手を繋いで歩いていたのだからそう思ってしまうのも無理はない。
「最近あんまり話してなかったけど、まだ仲良し兄妹継続中なんだ?」
「……ええ、まあ、そうなりますかね?」
継続と言って良いのか。あまり話題に上げなかったのは数年の断絶があったため。こう思うと川瀬は勿論、友人と言ってもあまり深い話はしてこなかったんだな、なんて少し空虚な気持ちになった。まあ人に相談してどうこうなる問題でもなかったわけだし、仕方なかったと言ったらそれまでか。なんとなく嘘をついたようでバツが悪くなって先輩から視線は外す。食堂内は長期休暇中ということで人はまばらだった。サークルの関係で来ている学生。くたびれた背広のおっさん。こっちは教員か大学職員だろう。天辺から豪快に禿げた頭が、三寒四温の温、暖かい春の訪れを期待させる明るい陽を浴びてキラキラと輝いていた。どいつもこいつも一人ぼっちで、長テーブルの端と端に牽制しあうように座って飯をむさぼっている。
「早く帰って来いって?」
エスパーですか? と聞きたくもなったが、何かしらさっきの問答で感じたものがあったのかもしれない、と口を噤む。もっと具体的に言えば、俺があまり仲良し兄妹というフレーズに快くなかったのが、じゃれつく妹から方々の体で逃げ出し、一人の時間を取ろうと大学に収まったという経緯。つまり俺が奈々華が面倒くさいものだから、仲良しと評されるのに不服という洞察。まあ80パーセントくらいは当たっている。
「まあ、そんな感じです」
「ふふ。本当に奈々華ちゃんはお兄ちゃんのこと大好きなんだね」
「……」
肯定すればシスコン、または自意識過剰。否定すれば家族の好意すら真っ直ぐ受け止めれないガキ。沈黙が金でございます。
「その携帯に貼ってるのも、奈々華ちゃん?」
プリクラのことだ。光量を玄妙に調整して俺ですら中々まともに映っているが、その横でそんな小細工なしでも十分に整った容姿をした妹様が満面の笑みで枠内におさまっている。思わず苦笑いして頷く。気がつくと携帯裏面に貼られていた、ということまで言ってしまえば墓穴を掘りそう。からかわれるにしろ引かれるにしろ。
「ねえ、奈々華ちゃんって……」
気がつくと空になった茶碗の上で割り箸をペンみたいにクルクル回していた。行儀が悪いと奈々華に散々窘められている悪癖。
「ひょっとして彼氏とか居ない?」
どっち? 居るんじゃないかと踏んでいるのか、居ないと踏んでいるのか、判断がつかないニュアンスだった。顔を見ても曖昧に笑っているだけで、それは踏み込んだ質問をしている自覚がそうさせているだけで、やはりわからなかった。居ますよ、と答えたくなった。
「……居ませんね。彼女が言うには、ですが」
「ふうん」
「あ、でも俺に嘘ついてるだけで本当は居るのかも知れないですよ」
「今も手繋いだりする?」
「え?」
話の繋がりが見えない。
「あっちからスキンシップしてきたりする?」
「……まあ、してきます」
ごくごく稀に、と嘘を重ねてしまいたくなる。ここまで来ると、俺の方も彼女の話の展開が見えてきた。
「私は一人っ子だから、良くはわからないけど、少なくとも、初めて彼氏が出来たりしたら、男兄弟とか男親とかに何となく近寄りがたくなったりするものだと思うの」
ああ、この割り箸木目がとっても綺麗だな。
「まあそもそも私もあんまり経験のないことだし、そもそも私は結構男っぽい所あるってよく言われるくらいだし、あんまり参考になるかはわからないんだけど……」
マレーシアから来たのだろうか、インドネシアから来たのだろうか。どこからにせよ、それが外国なら、原材である木は何を思うだろうか。遙か異国の地で、知らない人間が飯を食べるためだけに自身の体の一部を消費する。憤るのだろうか、それとも人よりももっと長生きな彼らは達観し、そんな贅沢すら許してしまうのだろうか……
「全く推測で悪いんだけどさ…… ちょっとそういう部分もあるのかな、って聞いてる?」
「聞いてますよ。厳粛に傾聴しております」
「すぐバレる嘘を平気でつく癖って直らない?」
「……」
「ごめん。色々お節介が過ぎたね。奈々華ちゃんも待ってることだし、帰ろっか?」
それでお開きとなった。割り箸を器の中にそっと置いた。