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再び視界が落ち着きを取り戻すとそこは街中だった。化粧レンガをふんだんに敷き詰めたメインストリートに降り立っていた。それに沿うように、縦断するように、河が流れていた。橋を渡した向こう側もやはり同じような赤茶の道が続いている。建物も景観を損なわないためか、レンガ造りのものが多かった。威勢のいい客引きの声に、視線を戻すとすぐ近くにアーケードがあった。軒先に出している。恰幅のいいおばさんが俺達兄妹に品物を掲げて見せている。アクセサリーのようだ。
「彼女にお一つどうだい? お兄さん」
俺はどうにも違和感を覚えた。何せおばさんの風貌はどう見ても日本人には見えなかったからだ。栗色の髪に緑がかった瞳をしている。よくみると往来を行き来する人間は皆、西欧風の顔立ちをしていた。
「やだあ。おばさん。私達兄妹なんですよ」
背中から雑音が聞こえる。今はそこじゃないだろう。
「僕達旅の者でして、街が見えたから入ったのですが、ここは何と言う街でしょうか?」
「おやまあ。うちは旅人さんは多いけど街の名前も知らないで入ってくるなんてねえ」
ふと、アーケードの下、長机の上に置かれた様々なアクセサリーの横に、木の皮で編まれたカゴが目にとまった。中に沢山のビー玉が入っていたからだ。斜陽に反射してキラキラと輝いているものだから目を惹いたのだろう。どうやらあの母乳マニアの変質者の言うことは、正しかったようだ。この世界ではビー玉が本気で通貨の役割を担っているらしい。
「ここはケーンズパーク。古い言葉で始まりの街って意味らしいよ」
始まりの街。もしヤツの言うとおり仮想世界だとしたら、ヤツやヤツの仲間が作った世界かも知れない。神をも畏れぬ所業、なんてフレーズが浮かんだが、実際に無から作り上げたのか、既存の世界に洗脳を施したのか。どちらにせよ並大抵のことではない。一体どうやって? そこまでで思考を切り上げた。到底思いつかないし、第一元々がビー玉を流通させていた世界なのかも知れないし、その起源を思うことに意味がなかった。今目の前に、そういう世界があってそこで俺達は奴等の指示通り動いてみる。金になればそれでいい。ならなければ多少乱暴な手段に訴えても元の世界に帰させる。それだけだ。
「おばさん。どこか休める場所はないですか?」
「宿なら沢山あるさね」
ケツのポケットの感触を確かめようとして、奈々華をおぶっていることに気付いた。そして更に意味がないことに気付いた。俺の財布に入っている札も硬貨も、ここでは紙切れと鉄くずに等しい。
「……まあ行くアテがないなら広場にでも行ってみたらどうだい? 何かサーカスでも来るのか人だかりが出来ていたようだからね」
あれ、と眉間に皺を寄せた。休める場所と聞いたのに、人だかりの出きる場所を薦めるとはどういった了見だろう。しかもおばさんの声はこれまで会話したものと明らかに違って、少し硬質な声だった。機械が出すような、何かに操られているような……
「ねえお兄ちゃん。行ってみようよ」
奈々華が俺の顎に手を当てて、無精ひげをショリショリしながら言う。アンタ呑気でいいわね。
その化粧レンガのメインストリートをずっと北へ進むと、おばさんが嘘を教える筈もなく、広場とやらにぶち当たった。河の水を利用しているのか、お約束のように噴水が中央にあり、落ちかけた太陽のオレンジを取り込んで綺麗だった。その噴水を取り巻くように人が、数十人は居ようか、ある一点を凝視していた。出で立ちはまちまち。俺達のように日本人らしき服装をした人も居れば、この世界にも溶け込めるだろう、キルトのドレスを着た女性も居た。
「あ! サナたちだ」
奈々華の反応は早かった。背中を見ただけで友人達を識別したようだ。彼女等と付き合いの浅い俺には言われるまで、そうではないかというアタリすらつかなかった。確かに奈々華と同じ制服を着た少女と思しき背中が二つあった。一つは金の髪を肩甲骨の辺りまで伸ばしていて、中背。一つは黒い髪を肩にかかるくらいで切りそろえた小柄。どうしてここに? アイツ等も拉致られたのか。偶然にしては中々憎い演出だ。偶然だろうか?
「早く行こうよ。サナたちが居るんだから大丈夫だよ」
ぺちぺちと俺の頬を優しく打つ。優しければいいってもんじゃなくて、それは俺がその場から足を動かすまで止みそうにない。
「わかったからぺちぺちすんな」
思考を一旦止めて、背中のお姫様の意思に従った。