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戸部美咲さんは、俺の一年先輩になる。つまりは大学四年生である。彼女とは高校時代でも先輩後輩の仲である。俺が殺人なんて大罪を犯す一年前に卒業なさっていたのだが、まさか大学で再会することになるとは思いもよらなかった。越す前の、つまり二年半以上過ごした高校の同門が選ばないような大学を選んだつもりだったので、顔を見たときには大層驚き、そして慌てた。彼女は俺がやらかしたことについて知っている風に俺は思っているが、本当のところはわからない。俺からは勿論言い出せていないし、彼女からも何も聞いてこない。ただ高校時代と変わらない態度で接してくれる。ありがたいような、身に余るような、何とも言えない気持ちになった当時を今でも思い出せる。
彼女はサバサバした性格だ。俺が会って間もない頃に、戸部美咲って、何か今にも自殺しそうな名前ですよねなんて口を滑らせた時にも、ああ美咲と岬をかけてるんだね、なんてカラカラ笑っていた。ちょっと男っぽいとも言えるかもしれない。大学で再会してから麻雀を習いたいなんて言って俺に教えを乞うたこともある。俺は小学生の頃にあのクソゲーを覚えて、高校一年の時に雀荘なる場所で知らない人と金を賭けて遊び始めたりと、一応は人に教える位は出来るものだったから、教えた。飲み込みも早く、教え易かったのを覚えている。ただ覚えたはいいが、その腕を振るう機会はほとんどなかったようだ。自分のサークルに俺を呼んでやることが多かったのだが、部員同士だけで卓を囲む際には参加しなかったそうだ。サークルも三年になった頃には辞めてしまったらしくて、彼女が牌を握ることはもうないかもしれない。スロットもやってみたいなんて言ってきたりしたが、こちらもやはり単独ではやらないようだ。もう売り払ってしまったが俺の家にあった実機を少し触らせた程度で終わってしまった。こういうところは奈々華に通じるものがあると思う。あの妹も一応は俺に麻雀のやり方、役、牌効率、点数計算なんかは習ったのだが、実際にはほとんどやらない。俺がネットで少しやっているとチョコチョコやって来て見ている程度。きっとマトモなんだろう。俺や川瀬はどこか頭の螺子がおかしいのだ。金銭感覚だったり、退廃的なものへの幼い憧れじゃなく、本気で傾倒してしまう辺りだとか、気が触れているとしか思えない。根本的に一度楽を覚えると忘れられない、弱い心を持った人間がああいったものへ本気でのめり込んでしまうんだろうと思う。先輩や奈々華は違うということ。確固たる自分を持っているのだろう。
「ねえ、どうかした?」
先輩の顔が少し近くにあって、思わず半歩下がった。どうやら随分とこの先輩について考え込んでいたようだ。まあ途中から俺が如何にカスであるかの証明に移っていたような気がするが。
「いえ。なんでもないです」
「なーに? 考え事?」
似合わない、と言外に。口の両端を少し吊り上げただけの笑い方を彼女がするとき、俺をからかったりする合図。整った容姿でそれをされると、それもまた悪くないなんて変な考えを男にさせる。キリッと凛々しい眉、大きな目には何か吸い寄せられるような力があって、鼻梁も淀みなくスッと通り、少し厚めの唇も顔の構成にあって足を引っ張るどころかチャームポイントに変わるほどに艶っぽい。顔の系統から奈々華とは少し違う。目元辺りはスッピンのカナに少しだけ似ているかも。不思議なのはこれほどの美人だというに、浮いた話を一度も聞いたことがないということ。世の男性陣はどいつもこいつも節穴なのか。
「な、何? ひとの顔じっと見て?」
「クセです。考え事をする時の」
君が考え事? なんてからかい口調で言われそうだったので先手を打って、
「先輩は今日はどういう用件で大学に来たんですか?」
と質問をぶつけておく。
「え? ああ、ちょっと近くに寄ったから」
嘘をついている。そう思った。彼女が弱々しく笑いながら言う言葉は大抵嘘である。なんだかんだ付き合いは長いんだな、と俺は内心で思う。
「そうなんですか。じゃあ特に用事はないんですか」
「そうそう。結構暇なんだよ。就職先も決まった四年生なんてね」
大手の薬品メーカーだったか、と彼女の内定先を思い出す。高校時代から勤勉で優秀だった。秀才。彼女を褒める言葉は色々俺の中にはあるが、一番尊敬出来る部分を如実に表す言葉。ああそうだ、ここもまた奈々華とカブる。
「ははは。俺学食に今から行くんですけど、暇だったら来ますか?」
「あ、行く行く!」
しめしめ、暇つぶしの相手を見つけたぜ。暇なら家に帰れよ、なんて自分に突っ込みたくもなるが、まだ少し気がひけている。