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二日目の昼過ぎにギブアップとあいなった。俺の器が小さいということなのだろうか。それとも一人で過ごす時間が長すぎたのか。それでもまだ頑張った方だとも思ってしまう。何せ昨日はトイレと風呂を除いたほとんど、いや全てと言っていい、時間を妹様と過ごしたのだから。俺の膝の上に乗ったり、膝枕で寝転んだり、隣に座って肩を寄せたり…… とにかく離れてはくれなかった。彼女じゃないんだから、なんて軽口も、例の微妙な発言の後では喉の奥にしまいこんで彼女のしたいようにさせるしかなかった。一度、お兄ちゃん部屋に行きたいなと、やんわりと離れるように促したが、「ヤ!」と子供みたいに拒否された。その言い方が妙に可愛らしかったものだから強くは言わなかったのが運の尽き。寝る間も含めれば二十二時間程はぴったりとマークされていたことになる。
嫌だったわけではないのだ。ただ、あまりに長時間一緒に居ると疲れてしまうのも事実。これは奈々華に限らず誰だってそうなってしまう筈。寧ろ彼女は気心も知れているし、比較的楽であって然るべきなのだ。それなのに、こうしてエスケープを選択してしまう。やはり俺の器が小さいということになるのか。確かに、奈々華のそれを仮に横綱昇進を果たした力士が酒を注ぐ金杯のような大きさだとしたら、俺のそれはペットボトルのキャップにも満たない大きさだとは自覚している。何せ彼女は昨日は終始ご機嫌だった。俺の方は昨日の後半にはもう既に横綱奈々華の強烈な束縛攻撃に、徳俵まで追い込まれていた。そして今日の正午を過ぎた辺りにあえなく土俵を割ったということ。
逃げ込んだ先は大学。川瀬はこんな時に限って連絡がつかない。多分昼間っから寝ているんだろう。俺も奈々華と他人同居時代は相当乱れた生活を送ってはいたが、アイツは実家暮らしにも関わらずそれを今なお敢行している。あるときは昼から寝始め、あるときは深夜に寝始めたり、あるときは三十時間くらい起きていたり、あるときは二十時間以上寝ていたり。そして眠っている間は電話をしてもメールをしても全く起きない。というわけで俺はやることも行く場所もなく、大学へと赴いたわけだった。奈々華には春から始まる前期授業のシラバスを取りに行くなんて嘘をついた。ついて来そうになったものだから、すぐに帰ってくるよと嘘を重ねた。当然嘘であるわけで、シラバスの配布開始時期はもう少し後なわけで、つまり俺の勘違いだったということにして、もう一度本当に取りに来る際にエスケープが可能という二段構え。心が痛んだものだが、このままでは身がもたないのも事実。ごめんよ、と心の中で謝りながら家を出たのだった。
うちの大学は、東京ドーム何個分なんて広さは無くて、まあ歩いて端から端までは行けるくらいだ。といっても流石に時間が掛かるので、移動にチャリンコを使う学生も多い。景観のためにポツポツと緑を配し、化粧レンガのブロックを敷いた中央エリア。校門を潜ると、すぐ右手と左手に建物がある。一号館と四号館。右手の方は文理問わず必修科目の授業が行われる、いわば主要な棟である。左手の四号館は講堂があり、著名人を招いた講義や、保護者を招いた説明会、超人気講義なんかが割り当てられたりする。総勢四百人程が収容できるとか。それを過ぎていくと、十字路にぶちあたる。左手が学生館。学生課があって俺も留年時にはお世話になっていたりする。奥へ行くと三号館と二号館。文系のゼミ講義が開かれていたり、教員の部屋などが割り当てられている。右へ曲がると、メインストリートというのは少し違うかもしれないが、イチョウの並木道。その道の右手はまだ一号館の建物。一号館は他と比べて大きいのだ。並木道には各種インフォメーションが貼り出された掲示板が立ち並ぶ。学生の呼び出しや、就職説明会の案内、レポートの課題を貼り出す授業もあったりと、俺にとっては思わず目を背けたくなるような内容。左手は広場みたいにドンと広大な空間を作って、手狭な入り口付近を多少風通し良くしている。広場には芝生が敷き詰められていて、比較的並木道に近い位置に、しょうもないモニュメントみたいなものが飾られている。岩を組み合わせて造形したものだが、最初に見たときはどこぞの原始人の悪戯かと思ったものだ。並木道を更に突き進んでいくと、学生食堂と部室棟。もっと奥の方が理系の専門棟、体育館、果ては南門へと繋がる。
さて学食で茶でも飲むか、なんて考えていると、丁度一号館から出てきた女性とばったり出くわす。
「お、城山君」
俺が川瀬以外にもう一人、友達にカウントしても良いだろうと考えている人だった。