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川瀬は本格的なカスだ。顔立ちは良いし、基本的に優しくて良いヤツだが、人間として大切なものが欠落している。圧倒的な労働意欲の低さ、現実逃避能力、軽犯罪くらいは犯罪という意識すらないモラルの低さ、どれを取っても一流で、何処に出しても恥ずかしい駄目人間だ。
「久しぶりだな」
キリッとした目元ではあるが、その奥の瞳は死んでいる。コレはボーナス、ART当選時や確変ラウンド中以外は輝かない。シャープな顎も無精ひげで汚らしくコーティングされている。駅前の歩き煙草禁止区域で悠々と煙草をふかす川瀬は相変わらずだ。人生の迷子らしく地べたに平然と座り込んでいる。金を返すと連絡をした。ちょっと相談したいこともあった。相談相手として決して適格ではないが、俺は友達が少ないので仕方がなかった。
「悪いな、いきなり」
いや、気にするなと立ち上がる川瀬の下半身が、見たくもないのに視界に入ってしまった。丁度立ち上がる時に煙草を地面に落としたからだろう。ちなみに俺はポイ捨ての際にはその後キチンと踏み消すが、コイツはほったらかしにする。ここまでは墜ちたくないものだ。と、今はヤツの股間を見てしまう。青いトランクスが見える。
「おい、チャック開いているぞ?」
注意してやる。途端に、川瀬は変な顔を作り、
「かあ~」
わざとらしく額に手を当てて苦悶してみせる。オーバーリアクションが妙に腹立たしい。
「開いているなんてよくそんな貧困な発想が出来るな?」
「ああ?」
「開けてるんだよ! 聞いてるこっちが汗顔ものだわ」
何を言っているんだ、この変質者は。そして警察は何をしているんだ。
「コレは」
そういって自分の穢らわしい下半身を指差す。
「何かあったらすぐに出せるようにしてるんだろうが。出すもの出しても良いんだぞ? っていう周囲への威嚇行為に決まってるだろうが。そんなこともわからんかね」
川瀬は本格的なカスである。
ファミレスに場所を移動すると、しばらくぶりの雑談に花が咲いた。台や店の情報、感想などを適当に話し合うだけで簡単に時間は過ぎていく。川瀬とは最初からこんな間柄だ。ギャンブル仲間。知り合ったのは大学構内であるが、学友なんて口が裂けても言えない。俺もコイツも大学に行くよりパチンコ屋に行く頻度の方が遙かに高い。だがコイツとギャンブルの話をしているときは時間が経つのが本当に早いのだから、きっとどれだけ憎まれ口を叩いても、俺はこの時間が大層好きで楽なのだろう。あまり他人に聞かせて気分の良い話ではないだろうから外でやる時は互いに心持ち声量を落として話し合うこの感覚も久しぶりだった。
「お前何か悩みでもあるんじゃないか?」
宴もたけなわというほどでもないが、一しきり下らない話をした後、川瀬は突然そう言った。相談事があることは事前に話していなかったものだから、吃驚した。ああそう言えば、コイツは意外と鋭いところがあったなと思い出す。
「ん、なんでそんな風に思うわけ?」
「最初に会ったときお前、相当しょっぱい顔してたからな」
それは生まれつきだけどな。
「そんなに出易いかね」
自然と顔に手が伸びる。何度も鏡で見た自分の造形をチョロチョロと撫でていたら、
「まあ無理に聞こうとは思わんがね。何となく俺に相談事があるんじゃないかと思っただけで」
川瀬の方はどう取ったのか、少し身を引く。
「ああ、いやまあそうなんだが」
どう切り出したものか。
「お前、姉貴が居るって言ってたよな?」
「何だよいきなり。まあ居るけど」
虚を突かれたような顔になって、それでも肯定を返してくる。コイツとはあまり家族の話なんてしないが、以前そんなことを言っていたのを思い出したのだった。
「姉貴とはどうだ?」
「どうだとはどうだ?」
「仲は良いのか?」
「まあ互いにもういい歳だからな。顔を合わせれば殴り合いなんてことは勿論ないけど。仲が良いかって言われると……」
どうなんだろうと考え込んでしまう。普通の兄弟とはこんなものだろうな、と思う。つまり川瀬の所は所謂普通の兄弟ということだ。
「一緒に寝たりはしないか?」
「……いや、普通にしないだろう」
俺も何を聞いているんだろうか、と自分でも少し可笑しな気分になる。
「まさか紹介しろとか言うんじゃないだろうな?」
川瀬は微妙な顔をして聞いてくる。なるほど、今の話の流れだと俺が川瀬の姉貴に興味があるのかと勘繰られてしまうか。
「そういうわけじゃない」
「だったらどういうわけだよ?」
さっぱりわからないといった感じでソファーに背を預けてしまう。手を広げてふんぞり返るような仕草になる。まあわからないだろうな。俺が寝起き一発、妹の胸を揉んで気まずくなって逃げ出してお前に会いに来たとは夢にも思わないだろうさ。
「まあ簡単に言うと妹の機嫌を損ねて家に帰りにくいって話だよ」
「お前妹が居たのか」
ああ、どうやら過去の俺は耳に入れるのも汚らわしいと判断して話していなかったようだ。とにかく詳細に話す気はなく、しかし頭は今日の昼下がりのことを思い出していた。