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結局三時間ほどあの恐ろしいゲームをやっていたことになる。そろそろ夕飯の支度をしないと、とカナが言い出したのが天使の声のように聞こえた。誰もゴールまでは辿り着かず、暴力の嵐に晒されていた俺はそそくさとゲームを片付けた。片付けながらも、なるほどと思った。弟は小さいし、お母さんは仕事で帰って来ないのだから彼女が家事をするしかないのか、と。部屋を出ると、中々に広いマンションだった。十畳以上ある居間は台所と繋がっていて、廊下にはカナの部屋、お母さんの部屋、弟さんの部屋へと繋がる扉があった。居間からは大きなベランダがガラス戸越しに見えた。
「飯も食っていきますか?」
「いやあ、さすがに悪いよ」
他二人も同様に遠慮気味な面持ち。カナも言ってみただけといった感じで、すぐにそうっすかと小さく笑った。彼女は弟さんと二人でいつも夕食を食べるのだろうか。夕飯時にはお母さんも帰ってくるのだろうか。そんなことがふと気になったが、踏み込みすぎだと判断して言葉にはしない。分譲にしても賃貸にしても、そこそこ値が張りそうな所に住んでいることを考えると、お母さんは中々の高給取りなのかもしれない。いやらしいことを考えているのはわかっているが、そこらへんを加味するとお母さんは帰りが遅いのが常かなとあたりをつけてみた。
「カナは寂しがりなのかな?」
奈々華も知らなかった一面、ということになるか。助手席の彼女をチラと見る。サナちゃんは自宅に送り届けた後だった。
「かもね。憶測で物を言うのも、気が引けるけどさ」
「うん」
「上の兄弟も欲しかったってのは、そういうことかもね」
サナちゃんには少し胸中を吐露したのだろうか。中学の多感な時期、家族が一人減った。それがどんなに嫌っている相手でも何も思うところがないはずもない。影響がないはずはない。もしかしたら父親と共働きだったかもしれない母親は当然仕事の量を増やしただろうし、彼女が高校に上がってすぐにバイトをし始めたのもそういった兼ね合いかもしれない。弟も大きくなり、お姉ちゃんばっかりでもなくなったろう。小さな孤独を抱えているのかもしれない。痛みはさほどなくて、苦しさもほとんどなくて、それは出来物に抱く違和感のように、意識のどこかに小さく確かにある。騒ぎ立てるほど大きくなくて、でも少し寂しくて……
「お兄ちゃんにちょっと甘えてたね?」
「……どうかな」
彼女のその空洞を埋めるには、確かに上の兄弟が適切かもしれない。彼女よりも大人なその姉や兄は、それを敏感に察知して、少し構ってあげる。弟にそれをするばかりの立場の彼女にとって、叶わない憧れ。そう思うと、弟に対しても複雑なのかもしれない。何故自分だけがという思いもあるのかもしれない。
「だってあの子、お兄ちゃんが眠たいのわかってたよ?」
奈々華は責めるような感じではなかった。むしろ微笑ましいという感じだった。こういう時には自分本位に嫉妬ばかりでもないから、俺はこの妹が好きだった。
「はは。俺を蹴りつけたかっただけじゃないか?」
クスクスと奈々華の忍び笑いが聞こえてくる。バツが悪くてフロントガラスだけを見つめる。少しずつ暗くなっていく空に、街灯が明かりの役目を担っていた。
「……今度また遊びに行こう」
自然とそんな言葉が出る。俺はいつだって暇なんだから、彼女が暇なときに遊んでもらおう。サナちゃんの時と同じように何の下心もなくそう思える。そうだね、と奈々華も同意してくれる。
「携帯の番号くらい交換しておくんだったな」
「いいんじゃない? 遊ぶときは私も一緒だから」
そこらへんは抜かりないらしい。