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青年との一件は、俺に二つの示唆を与えた。まず一点、違法行為をしてまでビー玉を集める人間の存在は由々しい問題だった。金の魔力なんて話はもうわかりきっていることなので、思考の隅に追いやるが、実際動機がなんであれ、そういった危険な存在にこれからも出くわす可能性を考えさせる。本来なら俺の性格上、奈々華は仕方ないけど、サナカナの二人には、今となってはお尋ね者の俺とチームを組むのは得策ではないと別行動を勧める気持ちが湧きそうなものだが、それが今以て全くないのはそのためでもあった。彼女等が危険な目に遭った時、このゲーム内では俺以外に彼女達を守る者は居ない。
もう一つが警察の対応だった。いくら山中に逃げ込んだといっても、追撃の気配すらないのはおざなりと言わざるを得ない。もしかして、と推測を立てさせる。彼らが追ってこれるのは街の中だけなんじゃないか。そうプログラムされているんじゃないか。またテレビゲームを思い浮かべる。例えば敵が動ける範囲が決まっている。街を出るとそれまでやっていたことがリセットされる…… どうなんだろう、訝りながらも有り得る話だと思った。青年と女は、腕は未熟ではあったが、ああいった追い剥ぎみたいな行為には慣れているように感じた。もし過去にも何度かやっていたとして、いつもいつも俺を襲った時みたいに人気のない場所で行っただろうか。警察の対応に穴を見つけていたからこそあの手法を取り入れたんじゃないか。
「お兄さん。お兄さん!」
ふと顔を上げると、カナが呼んでいた。
「私達着替えるからリュックを出してください」
俺が思考の渦を頭の中でグルグルやっている間にそういう話になっていたらしい。今日はここで休むつもりだったが、なんにしても彼女等にとっては汚い服装のままでは居心地が悪いのだろう。背中からリュックを外して、体の前に押し出す。
「じゃあ俺も一緒に着替え……」
「ないよね? はいこれ巻いていて」
奈々華が俺のほっぺたを抓ると、ハチマキのような布切れを渡した。これで目を覆えということらしい。俺が覗くとでも思っているのだろうか。ガン見こそすれ、こそこそ覗くような真似は断じてしないというのに。
「サナ見張ってて。ウチ等が終わったら今度は私がやるから」
信用なんてこれっぱっちもないな。どうしてこんなことになったんだろう、ぼんやり考えながらハチマキで目を隠した。その後、サナちゃんが俺の傍に座る気配、二人が離れていく、木立の茂るほうに向かってだろう、気配。やがて衣擦れの音やリュックのチャックを開く音、様々、扇情的な音が聞こえてきた。これはこれでアリだな。そう思った。俺はもう一つ上のステージへと昇れるかもしれない。
全神経を耳に集中させていた俺は、暗闇の中で不意に掴まれた右腕をぎくりと硬直させた。サナちゃんはそんな俺に一瞬戸惑ったようだが、すぐに書き込んでいった。「お兄さん怖くなかったですか?」すぐに青年と対峙したときのことを言っているのだと気づいた。
「……俺は武道をやってたからね。武道家がチンピラに臆するわけにもいかんさ」
月並みな精神論で茶を濁した。サナちゃんは「それでも」と書きかけて、俺の手の平に大きくバツをうった。「お兄さんはどうして私達をそんなに必死に守ってくれるんですか?」と書き換える。
「別に必死になった覚えはないさ。本当に何でもないよ、あれくらい」
どうにも強がりに聞こえないか。さっきサナちゃんが書きかけてやめた言葉の続きはなんだったのか。「でも守ってくれます」と。
「サナちゃんに惚れているからかな?」
言葉の意味を飲み込む時間があって、ひゃっ、と声がした。繋がった手がバッと離される。
「冗談だよ、冗談」
とは言え、ちょっと傷ついた。気を取り直して、真面目な声音を作る。
「……君たちが何も聞かずについてきてくれた理由と多分同じなんじゃないかな?」
要するに友達だから。サナちゃんの顔は見えないわけだから、彼女が今どういった感情をしているか憶測することも出来ない。どうせろくな精度ではないんだから、それこそ青年の仮面を見破ることさえ出来なかった、とは思ってもやはり視覚に頼りたくなる。ハチマキを少し上げようと、手を近づけた。
「ダメ!」
サナちゃんの小さな手が俺の右手を差し止める。
「サナちゃんまで俺を信用していないのか? 確かに俺は変態だけど、嫌がる彼女等の下着姿を無理矢理見ようとは思わないよ」
やがて、サナちゃんは俺の手を膝の上に戻し、掌を天に向けさせる。「違うんです。信じてます」俺も冗談半分だった。彼女等の中に俺への信頼を確かに感じるし、俺の中にも彼女等への信頼がある。そもそもさっきも言ったように、信じていないのなら黙ってついてきてはくれない筈だ。まあもっともこうして目隠しまで強制されているのだから、そういった方面では全く信用がないのだが。「私男の人に告白されたの初めてだったから、ちょっとまだ吃驚してるんです」と続いた。
「アレは冗談だからね。気にしないでよ? っていうか驚かせてしまったんなら、ごめんね」
また考えなしに冗句を言ってしまった。どうして深く物を考えないままに口が動くんだろう。ホッチキスとかでとめておくか。どうせ放っておいてもろくなことを喋らないのだから。
「……はい」
サナちゃんの小さな声は、カナの馬鹿でかい「終わったよ!」と言う声に掻き消された。