表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
39/85

39

初球だ。そう思っていた。外角のストレート一本に絞っていた。すると投じられた球は俺の体に近いところ、インローにずばっと決まる。踏み出した体では反応できず、見逃し。大きなストライクコールも相変わらずだった。唇を噛む。さすがにワンパターンな配球はしてこないか。いやもしかしたら外角狙いが打席からキャッチャーにばれたか。

マウンドで返球を受ける青年は涼しげな顔。またポーカーフェイスに戻っている。タフなヤツだなと感心する。五点差あるとは言え、ノーアウト満塁。そこで青年がサインに首を振る。また。二度振ってから頷いた。インコーススライダーか。救い上げるような打ち方を脳内で再現。振りかぶった。今度も俺は全く予期していない球、アウトコースをかすめるようなカーブ。ボールの判定。際どいコースだ。手を出さなかったんじゃなくて、出なかった。

「畜生、全然配球が違うじゃねえか」

誰にも聞こえないように、口の中だけで呟く。やめだ。ダメだ。所詮素人が配球読もうなんておこがましいにも程がある。来た球を打とう。ぼんやりとコースだけ絞ろう。


段々芯の近くで捉えられるようになってきた。目も慣れてきた。青年の顔にも疲労が隠し切れない。八球。くさいところはファールで、俺も粘っていた。フルカウントなのでもうストライクしか来ない。後は変化球かストレートか。塁上の味方も、内野の守備陣も一様に真剣な表情で俺を見つめている。一瞬先の未来に、快音を残して鋭い打球が飛ぶ光景或いはキャッチャーミットにすとんと収まる白球。どちらかを思い描いているのだろうか。青年が振りかぶる。汗が雫となって顎の方に伝っていくのを感じる。五感が研ぎ澄まされているのを感じる。

外角のストレートだろう。憶測のような言い方になるのは、本当に来た球にバットが勝手に出て行った感じだから。体が反応するというやつか。指先に残る、抜けるような感触はボールを真芯で捉えた証拠。弾き飛ばされた白球はぐんぐん遠ざかっていく。遠くの鳥を見るような心境だ。

あ、走らなきゃと思い出したのは、ボールが無人の左翼スタンドにポーンと大きく跳ねた頃だった。



惜しかったね、と奈々華が慰めの言葉をかけてくれた。休憩で見に来たという彼女は、丁度俺の第四打席のピッチバイピッチをご高覧なさったそうな。ホームランすごかったよ、と言うのが再会後の第一声だったもので大層驚いたが、事情を聞くとそういうことらしかった。試合は俺の満塁ホームランの後は沈黙し、九回も三人で終わってしまった。貧打と嘆くなかれ、相手の青年を誉めるべきだろう。俺のホームランの後はケロッと立ち直り、正直打てる球なんてなかった。彼は経験者なんだろうかと疑問が湧いたが、それを確かめる術はなかった。青年は整列、礼と儀礼を済ませた後にはそそくさと帰ってしまった。彼もまた俺達と同じようにこのゲームを違った角度から楽しもうと決めたのだろうか。他プレイヤーとの交流を極力避けるという強い意志があるのだろうか、と。

「でもラスクさんも一矢報いたって喜んでたよね」

奈々華は黙り込んで青年のことを考えていた俺を、落ち込んでいるとでも勘違いしたのか、更に労う。俺は奈々華の紡績工場まで迎えに行った。これから乾、沼田ペアの飲食店にも足を運ぶつもりだった。カラッと晴れていた太陽は今日もその役目を終えて沈んでいっている。道の左右を囲む畑、その中で農作業に精を出す人たちの影を長くしていた。

「……ラスクさん達には悪いけど、俺は楽しかったよ」

「え?」

そうなの? と続けて聞く。

「生まれて初めて打ったホームランだからね」

とても爽快だった。あの感触に虜にされた者が、毎日手の平にマメを作りながら素振りに明け暮れるんだろう。頭を下げてバッティングピッチャーに球を放ってもらうんだろう。

「そうなんだ。えっとそれって…… 私のせい?」

最後の方は聞き取れるギリギリの声量だった。

「違うよ。俺は友達が少なかったんだ」

特に草野球に興じる年代、小学生時代は皆無と言ってよかった。決して四つ離れた妹の相手をするためだけに毎日学校からダッシュで帰っていたわけではない。奈々華は何と言っていいかわからないようで、顔を曇らせた。

「良いんだよ。俺には奈々華ちゃんが居たから。せいじゃない、おかげなんだ。俺がこうして道を踏み外していないのは」

さらっと。それでも十分気取ったセリフだ。だけど本当にそうなんだから仕方ない。奈々華が一瞬で曇りを払いのけ、嬉しそうに笑う。そうだよ、そうやって笑っていてくれ。

「ところで、工場の仕事はどうだった?」

話を変える。

「私のこと愛してるって言ったら教えてあげる」

「愛してる愛してる。大体愛してる」

コイツは凄いな。俺は照れくさくって仕方ない話を蒸し返して調味料まで加えるか。奈々華は少し口を尖らせたが、まあいいかと俺の質問に答える。

「ポケットを作ってたよ?」

「ポケット?」

「うん。なんでも被服部とかで…… ズボンにポケットを縫うの」

「へえ。紡績工場って言ってたけど、結構多角なのな」

「この世界では結構大きな親会社とかって…… 設定みたいだよ?」

しばらく奈々華とお互いの仕事のことを話しながら歩いた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ