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隠れ家的な雰囲気を出そうとして失敗したような佇まいのその店は、大学の近くにあった。授業がある日なんかは女子学生で賑わい、味が良いと評判になっていた。店先に小さなホワイトボードがあって、「今日のおススメ:当店自慢のイチゴタルト」とか書いている。蹴っ飛ばしたろか。ちょんちょんと裾を引かれて、手に体温。「蹴っ飛ばしちゃダメですよ?」何でばれてんだよ。俺の瞳にかすかな苛立ちを見たのかもしれない。

店内はレトロを意識したのか、踏むと軋む床板や黒ずんだプロペラがテーブルの上に回ったりしていた。ウェイトレスも大学生くらいだろうか、そつなく注文を取っていく。去り際一度振り返った顔には好奇の色があった。別に誘拐してきたわけじゃないぞ、と心の中で反論しておく。

<学校サボるのなんて初めてです>

と乾さんがメモ帳に書いて俺に見せてくる。

「一昨日とか昨日もサボったじゃん?」

<自主的にってことです>

俺のせいにしない辺りは、彼女の優しさなのか、やはり内に秘めていた願望だったからか、俺には判断つかなかった。

<なんかドキドキします>

言葉通り、文字の通りと言うべきか、落ち着かない様子で萎縮している彼女が微笑ましく、口を覆うように手を当てて笑った。

「中々オツなもんだろう?」

今度は乾さんがクスリと小さく。

<お兄さんは慣れてそうですね>

「ミスター勤勉とは俺のことだ。学校をサボるなんて……」

「うそ」

子供のような発音で、乾さんが笑いながら言った。短い単語なら話せるのか。どの程度の長さまでなら相手が聞き取れる言葉を発せられるのか、少し気になった。やってみて、と提案しかけてやめた。もう少し長くても聞き取れるのなら、俺といるときはそうすればいいと思った。その方が彼女としても楽なんじゃないかと。だけど冷静に考えてみると、何と言う? 「もう少し長い言葉も喋ってみてよ」と言うのか。デリカシーがないし、興味本位とも取られかねない。彼女の好きにさせようという結論に至った。もっと強い信頼関係が築けたなら、多少健常者とは違う発音で話しても大丈夫だと思われるくらいになれば、話してくれるかもしれない。奈々華たちにもしていないところを見ると、誰にもそうしないのかもしれない。どっちでもいいか。どんな方法でも彼女の意思は俺に伝わるし、彼女の人柄を俺は好きだ。それだけのことだ。店員が盆を持ってやって来た。

「お待たせいたしました。イチゴタルトのお客様?」

黙って乾さんの方に手の平を差し向ける。俺はアイスコーヒーを貰う。店員が去り、早速タルトのヘリにフォークを入れる乾さんはその味を脳内で膨らませているのだろうか、嬉しそうだった。「女は甘いもの食わしときゃ何とかなる」とは川瀬の言。どうしようもないアイツの言葉を思い起こしたのは癪だが、ある種真理だと思う。別にそんな単純な図式で女性を蔑視したいわけではない。女の子は大抵甘いものが好きだ。そして人は好きなものを食べれば機嫌が良くなる。だから「人は好きなもの食わしときゃ何とかなる」が正しい。

<おいしいです>

「いいから。食べなよ」

わざわざ手を止めて、紙に書いて知らせてくれる。おごりだと伝えたから変に気を遣ったのだろうか。ちなみに彼女は遠慮したが、俺が無理に付き合わせたのだからと譲らなかった。大体、ややもすると中学生にも見える背格好の子を連れた無精ひげの汚いおっさんがレジで割り勘なんて罰ゲームに近い。「格好つけたい年頃」そんな風に受け止められただろうか。

パクパクとタルトを口にしまっていく所作が、失礼だがとても子供っぽく見えて、俺は微笑んでしまいそうなのを堪えていた。がっつかないように、だけど美味しくて手が止まらなくて、そんな葛藤の狭間のスピードに見えた。奈々華とはまた違った可愛らしさだ。じっくり見すぎたようで、乾さんが手を止めて、またも紙にペンを走らせる。

<お兄さんは何か食べなくていいんですか?>

退屈していると勘違いしたのか。と、自分が頭の中で紡いだ退屈という単語が引っかかっる。

「いや、俺は甘いものはあんまり好かないんだ」

そして、なるほどそうかと合点がいく。彼女にしてみればコレが、相手を退屈させないための会話の唯一の手段なんだから、俺の目には手間に見えても、こうするしかないんだ。もうわかっていたことだろうに、未だに慣れきってはいないことに気付く。本当にどうしようもない愚鈍だな、俺は。おもわず失笑してしまう。

<どうしたんですか?>

正直に言うわけにもいかず、俺はさっきから言おうか言うまいかと悩んでいた、全く別のことを口にする。

「クリーム、口の端についてるよ」

慌てて小さな指で口元を拭うと、はにかんで笑った。まだちょっと付いていたものだから、俺は頬が緩むのを抑え切れなかった。




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