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目をさますと、見慣れた自室だった。寝る前から予測していたので、前回のように不必要に驚いたりはしなかった。ベッドの上の置時計を確認すると時刻は七時半だった。もう少し惰眠を貪りたいところだったが生憎すっきりと目覚めてしまった。

階下に下りると奈々華がまだ居たので、送っていくことにした。俺の姿を見た瞬間、幽霊でも見たような顔をして驚いて見せたのが少し悲しかったが、仕方のないことでもあった。

「お兄ちゃんのお弁当も台所に置いてるからね」

車中。

「ああ、ありがとう。えっと……」

ふりかけのことなんだけどさ、と切り出したかった俺は、あどけなく小首を傾げてみせる仕草に言葉を仕舞った。この子なりに俺への愛情をああいった形で伝えているのではないか。繋ぎとめているのではないか。三年。離れていた時間を思えば、軽々にやめてくれと言うのはヒドイのではないか。そんなことを考えてしまった。

「なあに?」

いつまで経っても続きを言わない俺に、奈々華が痺れをきらす。

「いや、やっぱりなんでもない」

弱いなあ、俺。サンタクロースの砂糖菓子とか言われても仕方ないのか。奈々華はクスッと笑って、その様子が大人の女性を思わせて俺をまたたじろがせる。

「変なの」

わざわざハンドルから手を放して、かゆくもない鼻の頭に手をやった。


奈々華を送って家に戻ろうかという段、俺は今日一日何をしようかと考えていた。近所の家を一軒一軒ピンポンダッシュして回ろうか、一人ジェンガでもやろうか…… つまりは暇だった。金も手に入ったのだからパチンコにでも行けばいい、というところだが最近マイホ(マイホールの略。自分がよく行くパチンコ店のこと)は菜種油でも出るんじゃないかというくらいに客から搾り取っている。新装リニューアルから二週間、今行っても殺されるだけだ。そこで意識の底にあった一つの義務を表面まで掬い上げてくる。川瀬の家までは、ここから一時間とかからないか。七万ほど借りているわけだが今なら返済は出来る。勿論返済の意思はあるし、早く返しておきたいという気持ちもある。だけどもっと余裕を持って返済したかったというのが本音だ。残り三万ではどうにも不安だ。次に惨敗したらまた借りざるを得なくて、それでは本末転倒だ。この思考回路がカスがカスたる所以なんだろうな。決してしばらくパチンコは自粛しようなんて殊勝な考えは欠片も生まれない。

「まあ、また向こうで稼げばいいんだろう」

そう自分に言い聞かせて、家とは間逆、駅前の方に車を走らせる。と、十分と走らせないうちに俺の目は歩道の一点に釘付けになる。あまりに見慣れた姿だった。いつも可愛らしく輝くどんぐり目は、見るも無残にどんより淀んでいる。日本人形みたいに肩口で切りそろえた髪は、とぼとぼ歩くたびに小さく揺れている。車の時計を見ると、九時手前。遅刻ではないだろうか。路肩に停めて、控えめにクラクションを鳴らした。その小さな顔が漫ろにこっちを向く。窓を開けて少女の名を呼ぶ。

「乾さん」

口が「あ」という形になって、てこてこと駆けてくる。随分とけだるそうだったが、走れるということは問題ないのだろうか。俺が走らせてしまったのだろうか。車のすぐ横まで来て、いつものように手を取り合うことが出来ないことに気付いてどうしようかと思った矢先、乾さんは鞄からメモ帳を、胸ポケットからボールペンをそれぞれ取り出して、何かを書き込んでいった。「おはようございます」と見せた。挨拶一つにこう苦労するなんて不便だろうな、と俺は思った。

「このままじゃあ遅刻じゃないの? 乗せてこうか?」

俺の言葉の前半部で苦笑、後半部で困った顔をした。いつもこの乾さんと対峙すると、人は存外相手の声のトーンなんかも感情の判断材料にしているんだなと不思議な実感をもたらす。彼女の場合はその表情から察するしかない。この子にしても、最初よりかは格段に多くの表情を見せてくれるようになった。試していたのは、相手との距離を測っていたのは沼田だけではないのかもしれない。「イエス」も「ノー」も紡ぎにくかったのか、乾さんはその困惑したような表情のまま「体が少しだるいんです」と遅刻の理由の方を答えた。女の子にあって男の子にないヤツだろうか。口にしかけて、どうにも方便ではないかと疑りたくなった。さっき走った様子を見るにどうもそういう感じではなかった。そして彼女の表情には何かを期待するような空気があった。

「……じゃあサボっちまうか?」

一瞬、それは魅惑的といわんばかりにパッと顔が輝く。その後すぐにそれを殺す。わかりやすい。

「おっさん暇なんだ。ちょっと付き合えよ」

わざと一昔前の不良のような口調で言った。また困った表情の乾さんを、強引に促して助手席に座らせると拉致が完了した。

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