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畑は横に広く、隣の家の敷地にまで侵食している。尋ねてみると侵食ではなく買い取りだそうだ。「使わないらしくて、掛け合ったら譲ってくれました」とラスクさんは如才なく笑って言った。ラスクさんの家と隣接する側に畑を持っていて、その反対側に養鶏場がある。どうやら隣家は養鶏一本でやっているようだ。
ラスクさん一人で管理しているという畑は、努力のあとは見えるものの、雑草が生えている箇所も散見されて、これは骨が折れそうだと覚悟を強いる。春のうちに定植をしておきたいというラスクさんは助っ人待ちだったようだ。
「ジンさんは申し訳ありませんが、まだ整っていない場所を耕してくれませんか?」
ヴォルテナさんが苗を植えつけることに専念、俺が畑の整備に専念、ラスクさんは遅れるほうを適宜ヘルプ。うん、やっぱり妥当な判断。植物に詳しくない俺に大切な芋の苗を触らせるのは、ヴォルテナさんに力仕事を割り当てるのは、好ましくない。ヴォルテナさんは心得ているのか、さっさと作業に入って、俺が了承を伝えると本格的に畑仕事が始まった。
鍬を振りかぶる。バネみたいな筋肉の収縮を感じながら、振り下ろす。土に金属が食い込む感触。それは柄を通して指先に手応えらしきものを与える。固くもなく柔らかくもなく。一つ一つの動作はそれ単体では別段どうということはない。だけどただそんなオモチャみたいに腕を上下に振るだけの単調な作業を積み重なることで俺の心身を疲労させていく。左手を見ると更に欝になれそう。一体何平米あるのだろうかとラスクさんに問うことも考えたが、途方もない数字が返ってきたらいよいよ戦意喪失しそうでやめにしておいた。ザク、ザク、ザク。耳に入る鍬の音も何だか遠く感じる。地面に目を戻すと雑草が見える。これは根から掘り起こす。後でラスクさんたちが回収して行くのだ。地にウンコ座りする二人は時折何かをにこやかに話しながら作業の手は止めずに。ブランクのあったヴォルテナさんの方が作業が遅く、元々ただ耕していくだけの俺と苗を適当に植えつける作業の彼女では差が出るのは当たり前らしく、ラスクさんは向こうにつきっきりだった。俺の無駄に高い身体能力もそれを助ける。
「別に寂しいわけじゃないけどさ」
少し手を止めて、瞼にかかる汗を拭う。手を見ると木の柄を握っていたせいか、金属の錆が付着したのか、土を少し触った時のものなのか、薄茶に染まっている。疲れた溜息を肺から吐き、また鍬を握る手に力を込める。鈍い音を立てて地面に突き刺さる。集中力が落ちているのを自覚している。
ラスクさんたちのことを考えた。随分と人間臭くて、設定にしても家族まで有している。それに仕事の割り振りも適当だった。どんな人間が来るかなんてわかっていなくて、どう考えても俺達を見てその能力なんかを推察したとしか思えない。常識的な思考と言うか、現実的な思考と言うか、とにかく人間から見て妥当な判断を下せるほどに思考回路は洗練されている。それこそ人間と見分けがつかないくらいに……
奈々華たちは大丈夫だろうか。子供を泣かしていたりしないだろうか。と、そこで思考を遮る声。
「ジンさーん。休憩にしましょう」
右手を見ると少し離れた場所からラスクさんが手を振っている。もしかしたら…… もしかしたら俺が作業に集中しきれていないことを見抜いたのではないか、と勘繰る。申し訳なく思った。そして自嘲じみた考えも同時に浮かんだ。まだそうと決まったわけでもない、単に時間経過で休憩を提案したのかも知れないのに、もう謝ろうとしている。卑屈は誰も幸せな気分にしない。わかってる。肩にかけたスポーツタオルで顔一杯拭って、
「わかりましたー」
と声を張った。
結論として奈々華も沼田も乾さんも、きちんと与えられた仕事をこなしていたようだ。カリーナちゃんは眠ってしまったらしく、二階のベッドを見つめながら乾さんがやることもなくポケっと。沼田と奈々華は準備良くトーストやらクッキーやらを用意していた。どうもタイミングが良すぎることを鑑みるに、多分ラスクさんなりヴォルテナさんなりから時間を指定して軽食を用意するように言われていたんじゃないかと。俺の心配は杞憂だった。教科書の例文に使われてもいいくらいに杞憂だった。「お兄さんは自分に気を遣ってもらったのではないかと逆に気を揉んでいたが、そういうことではなかった」或いは「お兄さんは良く出来る妹の心配をしていたが、すっかり順応していた妹は兄以上にそつなく仕事をこなしていた」なんて。
それから皆で一階の食卓を囲み、カリーナちゃんも起こして、俺達は椅子がないので立食になって、皆でクッキーをつまみながら世間話をかわした。