2
霧雨はフロントガラスに小さな水滴をつくり、それをワイパーが定期的に端に追いやっている。端の方ではエンジンに耐えるように、プルプルと身体を震わせていた同じような水滴が、その度合流してきた粒と合わさってすうと下に流れた。信号待ちだった。ここのは何時も長い。近くに小学校があって、通学路になっているここは、意図的に住宅街に続く道への青信号が長い。
なんとなく、びしょ濡れになって泣いている奈々華の姿が思い起こされた。随分と小さな奈々華だった。過去にそういうことがあっただろうか、と探ってみるがちょっとすぐには思い出せない。俺の妄想の産物だとしたら、そろそろ本格的に通院も視野に入れておかないといけない。どっちにせよ、俺の方こそあの子を何歳だと思っているんだよ、と苦笑する。
ピッと後ろの車が遠慮がちなクラクション。信号が青に変わっている。心持ちいつもよりアクセルを踏む力は強かった。奈々華が傘を持たずに出て行ったのを思い出していた。
確か黒い髪をボブカットにしているほうが、乾沙奈で金髪の方が沼田叶恵だったか。沼田の方が逞しくて、良く言えば物怖じしない性格、悪く言えばクソ生意気で浅慮。最初に車に乗せてやったときも平然と「煙草くせえ」と漏らした。嫌なら放り出しても良いんだよ、と応じたかったけれど俺は一応彼女よりも四つは大人でなければいけない。四回我慢したらシャイニングウィザードを顔面にぶち込んでやろうと思っている。乾さんの方は間逆に喋っているのを聞いたことがない。のほほんとしていて、小動物のようだ。二人とも奈々華より小さいが、乾さんは特に小さくて140センチ台ではないだろうかと思う。だけど胸は中々あって、いつか触れないだろうかと頭を捻っている。沼田の方は最近の女子高生ってやつを地で行く女で、気だるげに伸ばす語尾も、中途半端な敬語も、パンダみたいなアイシャドウも、あまり好きになれずにいた。
「超ラッキーだよ。やっぱ足あるっていいっすねえ」
お前にも足は生えているだろう。それで降り注ぐ雨が身体に触れる前に家まで走り抜ければ良い。風になればいい。奈々華は俺の内心を汲んでいるのか、終始ゴメンねと繰り返した。お前が謝ることじゃないよ、と俺もその度返した。乾さんは雨しか見えないだろうに、それでも窓の外をポケっと眺めている。
奈々華を迎えに行くと、そこにはこの二人も同伴していた。大方俺の車狙いで沼田あたりが奈々華に無理を言ったのだろう。全くもってあざといガキだ。
「あ、お兄さん腹減りませんか?」
どっちかって言うと立ってる。
「いや、どうして?」
「飯行こうって話しに決まってるじゃないすか。マック行きましょうよ」
小馬鹿にしたような言い方が俺に二回目をカウントさせる。これで俺に奢らせるつもりなら三回目で、もし俺のポテトをつまんだ日には、跳び膝蹴りが炸裂するだろう。努めて冷静に助手席の奈々華を見やる。
「ちょっと小腹が空いたかも」
えへへと照れ笑い。仕方ないな。ハンドルを切って右折レーンに入る。ここを折れて道なりで駅前だ。
アメリカからやって来たそのファストフード店は、ハンバーガーを提供してくれるのだが、ソースやマヨネーズで肉とパンの間を滑りやすくすることに腐心していて、大抵最後の一口を食べる段になると紙包みの中でパンの上がなかったり、肉が少なかったりと、俺の神経を逆撫ですることにおいては他の飲食店の追随を許さない。店内に入ると雨降りだというのに人がごみごみしていた。半ドンを終えた頃だから昼飯時。他に行くところがないのかね。列に並ぶと前のサラリーマンの雨に濡れたスーツから何とも言えない匂いがした。不意に後ろから肩を叩かれて、振り返ると沼田が財布からいくらかクーポン券を差し出して寄越した。
「系列店で働いてるんすよお」
とのこと。乾さんはもう諦めているにしても、奈々華まで何も言わないで列の最前列の学生の頭頂部あたりに目をぼんやりと合わせているだけだった。あれ? これ俺が広げなきゃいけないのか? 興味ないんだけど。
「へえ。バイトしてるんだ?」
「まあね」
今タメ語きいたな。沼田は特にしまったという風でもない。俺は右ひざを軽く揉んでおいた。