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居間に戻るといつの間にか乾さんと沼田が居た。居間は広くて、さっきのテーブルはキッチンのカウンターに接しているわけで、部屋の奥まった場所に置いていて、専ら食事時に使うもの。普段はテレビに近い場所にガラスのテーブルを挟んで向かい合わせに置いた安物のソファーが憩いの場となっている。そこにちょこんと座る二人の姿が見えたのだ。丁度奈々華が盆に四人分の紅茶を載せて台所から運んでくる。
「服を着なさい」
「着てるよ」
パンツを履いている。言ってみただけだからそう睨むな、と鬼の形相の奈々華に心の中で屈して、シャツと半パンを取りに二階に上がった。
「改めていらっしゃい。二人とも」
いつの間に来たのだろう、と思案するがシャワーの音でインターホンが掻き消された可能性を考える。二人が予めソファーにそれぞれ向かい合って座っていたものだから、俺は乾さんの横、奈々華は沼田の隣に腰掛けた。その乾さんが俺の手を遠慮がちに取る。「さっきも聞きましたよ」と指は走る。
「え? 二人は俺が風呂に入っている間に来たんじゃないの?」
それは相当すっとぼけたことを言っているようで、沼田が対面でケラケラ笑う。「マジうける」とか何とか。
二人はこちらに帰って来てすぐに家に集まっていた。今後の予定について詰めるためだ。だが俺がくすぐっても叩いてもほっぺたを引っ張っても死んだように起きないので、もっとも一度目を開けて歓迎の言葉を吐いたらしいのだがさっぱり覚えていない、奈々華の部屋でゲームをして時間を潰していたそうな。起床の報が奈々華から入って階下に下りて来たというからくり。待たせた侘びを三人に入れて、紅茶に口をつけたあたりで本題が始まった。
「まずは一つ困ったことをお兄さんに。ついで皆がそれぞれ気付いたことを話そうと思います」
学級会みたいなノリだ。沼田が中々楽しそうだから余計にそんな風に見える。
「困ったこと?」
奈々華が携帯をつまんで開く。俺と一緒に映った写メールを待ち受けにしているのはこの際些事だ。意味なくそういうことをしているわけではないだろうから、しばらく見つめていて、はたと気付く。日付が昨日より一つ進んでいる。そしてすぐに今までのことを思う。なかったケースだ。異世界慣れした俺だが、今までのものは戻ってくると旅立った時間きっかりに帰って来ていた。
「こっちに時間の経過が反映されるのか」
「おかげで私達昨日は消失、今日はサボリだよ」
奈々華が冗談めかして言う内容は冗談でもなんでもない。
「まあ元々自由参加だからどやされはしないけど」
と沼田が補足。乾さんが再び手の平を掴んで走り書く。「最初に気付いたのアタシなんですよ」ということらしい。いつも奈々華や沼田に伝えている内容はこんなに可愛らしいのか、と頬が緩む。ってそんな場合じゃない。
「マズイんじゃないのか?」
「不味くても美味くても、仕方ないっしょ」
それはそうだが。奈々華の顔をうかがう。俺の視線に気付いて弱々しく笑う。折角真面目に勉強している彼女等が何だか可哀想だ、と単純に思った。
次は各自が気付いたことについてだった。ディスカッションの授業を思い出す。はぐらかすように教授と趣味の話に花を咲かせていると真面目そうな同級の男子学生に怒られたっけ。「まずは奈々華から」と沼田が振ると、奈々華はちょっと考えてから口を開いた。
「お兄ちゃんが靴を履いていた」
すぐさま乾さんが書き書き。「お兄さん靴履けないんですか?」ツボに入るからやめてくれ。俺は確かにカスだけど、まさか自分で靴も履けないほどではない。ギリギリひとりでできるもん。「なんとか履けるよ」と返してやると、乾さんも冗談だったらしくニコニコと虫も殺さないような笑顔を見せてくれる。案外ポヤポヤしているだけではないみたいだ。
「お兄ちゃんはトドみたいにいびきかいて寝てたはずなのに」
トドって。
「お兄さんっていつも寝てるの?」
人をナマケモノみたいに。
「大抵はね」
「……コラ。お前等」
本人を前にとどまることを知らない雑言の数々を、必死に止めつつ。俺もそれは気になっていた。確かにあっちに居た時には初めから靴下まで履いていた。
「周囲に迷惑がかからないように配慮されているのかな?」
奈々華が憶測を言う。
「別に俺が素足だって周囲に迷惑がかかるか?」
所詮は憶測だ。奈々華もまだまだだな。
「あんな臭いのに裸足だなんて…… バイオテロの域だよ」
「……」
「なるほど。それじゃあウチらも周りに気付かれないように消えてたかも。気付いたら居ないみたいな」
それだと確かにアイツ等ふけやがった程度の認識しか持たれない筈。乾さんがサラサラと手の平に。早くも慣れつつあった。「お兄さんの足そんなに臭いんですか?」乾さんはSかもしれない。