表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
追放された雑用係、実は神々の秘宝を持ってました〜辺境でスローライフしてたら勇者も魔王も頭を下げにきた件〜  作者: 妙原奇天


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

8/28

第9話 古道の口

 森へ入る小道は、朝露を宿した草の匂いで満ちていた。

 鳥のさえずりが遠のくほど奥へ進むと、土の色がゆっくりと褐色から灰色に変わり、木々は年輪の深い肌を見せる。道の縁には苔のむした石がまばらに顔を出し、かつてここが人の往来だったことを辛うじて語っていた。


「古道って、本当に“道の記憶”が残るのね」

 エリナが足もとを確かめながら言う。

「うん。踏まれた回数と、運ばれた重さと、季節の湿り気が、土に筋をつける。——それが『口』を呼ぶ」


「口?」

「行き来の気配が濃く溜まる場所。世界の『ふち』が擦れて、丸くなる。輪になりやすい」


 やがて木の間がぱっと開け、崩れた石の鳥居のようなものが現れた。

 半分は地に沈み、半分は空を差している。輪の欠片。そこから、目に見えない風が“吸われて”いるのがはっきりわかった。草の穂先がそちらへ伏せている。


「ここだ」

 俺は口の中の乾きを飲み込み、帯を外した。昨夜、井戸の綱を織り直したそれは、もう“ただの帯”ではない。畑、井戸、舞台、さっきの扉——いくつもの“均し方”の記憶が撚り込まれている。


 足もとに指で簡単な畦図を描く。丸が三つ、ずらして並び、中心から細い線が八方に伸びる。

「水路じゃないの?」とエリナ。

「水路だよ。水じゃないけど。ここでは、風と音と、足音を流す。行って、戻る道を“先に”引いておく」


 エリナは頷き、剣を抜いた。刃に薄く塗った光の実の膜が、朝の光を受けて、ごく浅く呼吸しているように見えた。


 俺は落ち葉を両手で広げ、灰と土を混ぜ、畦図の線上に薄い帯を引く。踏めば消えるほどの淡さだが、足裏が覚える。

 最後に、若木からもらった二粒目の光の実を、畦のかなめに指で潰して染み込ませた。ぬるりとした冷たさが土を濡らし、そこだけ土音つちおとが深くなる。


「準備できた」

「合図して」


 俺は輪の欠片に手をかざし、掌の輪に親指を重ねた。

 脈が合う。

 “こちら側”の呼吸と、“向こう側”の吸い込みが、薄い幕越しに絡み合う。


 石の間の空気が、かすかに黒ずんだ。

 見えない“何か”が唇を開く前に、俺は畦の第一線を軽く踏む。道が、風の通り道に変わる。

 風は呼吸を学び、往復の癖を覚える。

 俺は次の線を踏み、次の線へ——。

 畦が輪を囲み、輪の“縁”が、すり減った皿の縁みたいに丸められていく。


 そして、音が変わった。

 さっきまで吸い込まれるだけだったのが、ほんのかすかな“返り”を含んだ。

 向こうから、声がする。


――《均しの子。きみは畑を愛した》

「違う。俺は“畑を壊さない”ことを愛した」

――《ならばなおさら手を取れ。痛みは差ゆえに生まれる。差を奪えば、泣く者はいない》


 言葉に乗って、森の影がふっと薄くなる。

 均一な灰色に塗りつぶされた森は、美しい“静けさ”を帯びていた。

 美しさに、膝がほどけそうになる。

 ——そこに“笑い声”はなかった。


 エリナが前に出る。剣の腹で、輪の縁を軽く撫でる。

 わずかに白が立つ。

「ここも、角を落とす?」

「落とす。でも、さっきより堅い。向こうの意思が近い」


 黒い膜がたぷん、と歪み、こちらに“手”を伸ばした。

 無数の指。それは土の湿りに触れて形を得、瞬く間に“腕”になった。

 腕は俺の帯を掴みに来る——ふりをして、すっと逸れ、エリナの影を掴んだ。


 次の瞬間、影から人が抜けた。

 エリナの形。顔も、髪の流れも、剣の角度も、ほとんど同じ。ただ、目の奥に“温度”がなかった。


「——来たわね」

 本物のエリナが笑った。刃を構えた角度が、影とわずかに違う。呼吸の置き場所が違う。

 俺にはそれが、はっきり“偏り”として見えた。


 影のエリナが先に踏み込み、完璧な軌跡で斬り下ろす。

 本物のエリナは、半歩遅らせて踏み込んだ。

 “遅れ”は失策ではない。畦図の八つの線のうち、いま“返り”が強い二本を俺は感じていた。

 俺はその二本へ、指先で空を撫でて印をつける。

 音と風がそこに集まり、わずかな渦ができる。


 本物の刃が、その渦に“乗る”。

 影の完璧な軌跡は、渦を知らない。

 ぴたりと合っていたはずの剣筋が、髪一本ぶん、外れた。


 キィン——と高い音。

 影の刃が滑り、本物の刃が肩口に“角”(つの)を作る。

 角。そこに差が生まれる。

 俺はすかさずそこへ“重さ”を落とし、影の肩に偏りを作った。


 影は“等しさ”を守るために、己の偏りを消そうとする。

 消すために、力を割く。

 力が割かれた分、次の一手がわずかに遅れる——。

 それを、エリナは逃さない。


 彼女は刃を返し、影の肘に浅い傷を刻んだ。

 血は出ない。黒い粉が舞った。

 粉は風に乗り、畦の線を辿って輪へ戻る。

 戻らない少量だけが、土に落ち、露に溶けて消えた。


 影が薄くなった。

 輪の向こうで、別の“目”が開く気配がする。


――《差を愛するのか》

「違う。流れを愛する」

――《流れは疲労を生む》

「だから畦を引く。疲れないように“戻す”。戻らない分は——」


 俺は光の実の二粒目、残りの半分を指に取り、畦の線と線が交わる“節”に塗った。

 土が、低い音を返す。

 節が鳴ると、線は“節に従う”。

 線全体が一瞬、固さを帯び——輪の縁が、ぎゅ、と締まった。


 エリナの影が、音もなく砕けた。

 黒い粉は輪の方へ吸われ、輪は不満げに震える。


「角、落とすよ」

「合図を」

「いま」


 エリナが刃先で縁を掬い、俺は畦の要に指を添える。

 要をわずかに“緩め”ながら、別の要へ“重さ”を回す。

 縁に一瞬、微細なたわみが生じ、その隙をエリナの刃が捉えた。


 コトリ、と小石が盆の外に落ちるような感触。

 輪の“角”が欠け、そこから黒が小さく、しかし明確に抜けた。


 息を吐く。

 森の色が少しだけ戻る。葉に緑が、土に褐色が、音に温度が戻る。

 輪はまだ完全には閉じていない。だが——“閉じ方を学び始めた”。


「次、来る」

 エリナの声に、俺は頷く。

 輪の向こうに、もう一つの“形”が立つ。

 今度は——俺、だった。

 俺の肩、俺の帯、俺の掌の輪。

 目だけが、湖の氷みたいな無色だった。


 自分の影を見るのは、妙だった。

 よく見ると、帯が違う。撚りが“均等すぎる”。

 記憶の歪みがない帯は、美しいが、道にならない。

 行って、戻るためには“太さの差”がいる。節には節の硬さが、撚りには撚りの粗さが。


 影の俺が帯を投げるふりをして、手を止めた。

 止めたまま、“こちら”の畦の要を狙ってくる。

 見えている。

 俺は自分の右肩の古い痛み——雑用で桶を担いで擦り切れた筋の“よれ”を思い出した。

 痛みを、あえて強める。

 右肩に“差”をつくる。

 差は、流れの勾配になる。


 影の帯が、俺の要に触れる前に、俺の帯がその“前”で待ち受け、絡む。

 絡みは、相手の均しを受け流し、空へ逃がす。

 影の俺は、それを知らない。均等は絡みを解けない。


 俺は畦の節を軽く叩いた。

 音が森に広がり、葉が震え、鳥が一斉に奥へ飛んだ。

 影の俺の体が、音に合わせて硬直する。

 硬いものは、角が立つ。角が立てば、落とせる。


「いまだ」

 エリナが横から入り、影の俺の“掌の輪”の縁を、そっと撫でた。

 撫でただけ。

 それで十分だった。

 完璧な輪は、撫でられても“撫での余地”を持たない。

 ほんの微塵の歪みが、全体に波紋のように走り、影の俺は、砂像のように崩れた。


 輪が鳴いた。

 今度は明らかに怒りではない。

 どこか、古い鐘に似た、低く、遠い音。

 森の奥、さらにそのまた奥で、何かが応える。

 風向きが変わる。

 王都でも村でもない、第三の方角——山影の向こうから、冷たい匂いが届いた。


――《扉は七、縁はひとつ》

 声が、初めて“音”になった。

 輪の向こうから、ゆっくりと現れる影。

 黒騎士に似ているが、輪郭が古い石像のように角ばって、目が空洞だった。

 その胸に、薄い光の輪が嵌め込まれている。

 輪は欠けていた。欠け目が、いびつに光る。


あるじ……?」とエリナが呟く。

 影像——主は、こちらを見なかった。

 足もとに視線を落とし、苔むした古道を見ていた。

 かすかに、嘆息に似た気配。


――《わたしは“願い”だ。名前は要らぬ。七つの口は、七つの嘆き。

  収穫祭の月に、すべて開く。等しさの雨で、火は鎮む》


 俺は、言葉より先に、胸で“嫌だ”と思った。

 巧い理屈を連ねる前の、単純な嫌悪。

 等しい雨は、畑を泥にする。

 足の遅い者も、早い者も、同じ深さで沈めるなら、それは救いではない。


「閉じる」

 俺は主の影像に言う。

「この口も。他の口も」


――《ならば、ふちを保て。崩れぬ畦を。

  輪の継承者。きみの“均し”が、最後の縁だ》


 主の影は淡くなり、風に溶けた。

 輪は音を残し、石の欠片に戻った。

 古道に朝が満ちる。

 木々が緑を取り戻し、鳥の声が帰ってきた。


 俺はその場にしゃがみ込み、畦図を靴の先で消した。

 線が消えても、道は残る。土が覚えている。

 エリナが肩に手を置いた。


「七つ。うち二つは、今日閉じた。残り五つ」

「収穫祭の月——今月末。時間がない」

「王都の下にもある」

 俺が言うと、エリナは目を細めた。「どうしてわかるの?」

「勇者の網の“返り”に、地下の空気の手触りが混じってた。あれは石室と地下水の匂いだ」


 ふたりして顔を見合わせ、息を吐いた。

 森の風が背を押す。

 村へ戻る道すがら、俺は掌の輪に親指を当て直した。

 脈はいつもより早い。

 怖い、けれど——手は、もう迷わない。


 村の外れに差しかかると、丘の上にひとつ、旗が見えた。

 王都の紋。

 その下に、金髪が光る。


 勇者エルドが、ひとりで立っていた。

 俺たちを見ると、彼は開口一番、短く言った。


「禁書庫が開いた。王都の地下に“輪の記録”がある。

 ——協力してくれ、リオン。『口』は王都にもある」


 聖女マリアの姿はない。

 エルドの声は、騎士の命令でも、神託の宣告でもなかった。

 ただの人間の声だった。

 頼るでもなく、縋るでもなく。

 重さを自分で持とうとする声。


 俺は頷き、右肩の“よれ”を意識してから、答えた。

「協力する。ただし条件は一つ」

「言え」

「村の畦は守る。王都へ行く道も、戻る道も、ここに繋ぐ。

 行って、必ず——戻る」


 エルドは一拍置き、口の端を上げた。

「それでいい。道は、行って戻って、初めて道だ」


 若木の枝先で、小さな光の実が、ぽとりと一粒落ちた。

 土に当たる軽い音が、奇妙にはっきり聞こえた。

 畦の節が、遠くで呼応するように鳴る。


 七つの扉。ひとつの縁。

 時間は少ない。

 でも、畦はもう引き始めている。


 俺たちは丘へ向かった。

 村の屋根が朝日に光り、井戸の桶が上がる木の音がした。

 行って、戻るために。

 壊さないために。


――続く――

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ