表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
追放された雑用係、実は神々の秘宝を持ってました〜辺境でスローライフしてたら勇者も魔王も頭を下げにきた件〜  作者: 妙原奇天


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

7/28

第8話 扉の縁

 歓声が遠のくにつれ、耳の奥に、かすかなきしみが戻ってきた。

 石畳に走った亀裂――そこから、黒い靄が、呼吸するみたいにゆっくりと漏れている。


「みんな、離れて!」

 俺が叫ぶと、村人たちは子どもを抱え、丘の縁まで下がった。

 エリナだけが残り、聖剣を半身に構える。剣身には、昨夜の光の実の薄膜がまだ宿っている。


 亀裂の底で、何かが揺れた。

 水面に落ちた石が作る波紋みたいに、石の隙間が丸く、丸く、均された輪になる。

 黒い輪。

 見ていると目が痛む。輪郭がずれて、世界の方が間違っているように感じる。


「……“扉”だ」

 エリナが低く漏らす。「あの影が言ってた。決闘は扉だって」


 黒が膨らみ、薄い膜を張る。膜の向こう、霧のようにぼやけた景色の中に、長い影がひとつ、ゆっくりと立ち上がった。

 黒騎士――ではない。

 それは鎧の形すら定まらず、見ている側の恐れを型にして、毎瞬、外形を変えていく。


 声がした。音ではない、耳の内側に直接触れる囁き。


――《輪の継承者。均しの子。手を取れ》

「取らない」

――《均せ。世界の傷は深い。均せば滑らかになる。痛みは消える》

「その“消える”の中に、この村は入ってるのか?」


 沈黙。いや、笑ったのかもしれない。黒が微かに震えた。


――《痛みは等しく均される。等しさこそ救い》

「等しく“奪う”ことを、救いとは呼ばない」


 黒の輪がひときわ濃くなる。縁から滴り落ちた靄が、草を触れただけで色を抜いた。

 葉は乾いた紙みたいにひしゃげ、指で触れたら灰になりそうだ。


「下がって」

 エリナが一歩出る。

 黒の表面に、彼女の映り込みが現れては消えた。鏡に手をかざすみたいに、向こう側にも“似た姿”が伸び、こちらに触れようとする。


 俺は若木の根元へ駆け寄った。銀の葉が、黒の気配に耐えるように震えている。

 根が――音もなく、輪の方角に“引かれて”いた。土の粒がゆっくりと移動する。

 村が、この丘が、輪の均しに巻き込まれていく。


「……そうか」


 俺は帯に織り込んだ井戸の記憶を、片端から指で撫でた。

 重さ、軽さ、水の行き来。滑車の軋み。

 “行って戻る”道を、掌の上で思い浮かべる。


――《手を取れ。均しの子。輪の内へ》

「内と外があるなら、道もある。行って、戻る。戻らせる」


 俺は帯を輪の縁に向けて投げた。

 布は空で一度、ふわりと浮き、次の瞬間、数個の見えない杭にかかったみたいに止まる。

 指先から温度が抜けた。

 ひどい寒気――いや、“無”の風。何も持たない風が、俺の掌を舐める。


「無茶だ、リオン!」

 エリナの声が飛ぶ。

「綱は“重さの記憶”で動く。相手は重さを消す“無”。相殺されたら、あなたの――」


「大丈夫じゃない」

 正直に言うと、彼女は目を丸くした。

「だから急ぐ」


 帯に、もうひとつ別の記憶を結び込む。

 畑の畝割り。

 雨のあと、土が流れないように作った小さなせき

 多すぎる水は一度受けて、迂回させて、元へ返す。


 黒い輪の内側で、形の定まらない“腕”がわずかに止まった。

 帯に沿って、見えない溝ができる。黒の流れが微かに迷い、そこに集められていく。


 エリナが斬る。

 聖剣の光が、輪の縁のひと区画だけ、ほんの一手幅、白く欠けさせた。

 欠け目から、冷たい霧が“こちら側”へ噴き出す。観客のざわめきが悲鳴に変わりそうになる。


 俺は帯の撚りを逆回転させた。

 井戸の桶を上げる手を、下ろす手に。

 引き寄せる道を、押し返す道に。

 黒い霧は、作った“道”をたどって輪に戻る。

 帰り切らない分を、若木の根に流してしまわないよう、根の周囲に“土手”をイメージで築いた。


「持つか?」

 エリナの問いに、俺は首を横に振る。

「持たせる」


 輪の内側で、声が色を失った。


――《等しさを乱すな》

「ここは“均し”の畑だ。俺のあぜは、勝手には崩れない」


 黒が怒りにざらりと泡立つ。

 輪の縁から、刺のような影が数条、こちらに突き出された。

 エリナが迎え、光の刃で払う。

 火花の代わりに、薄い灰が舞い、踏んだ草が音もなく折れた。


 その瞬間、丘の下、王都の陣の方角で叫び声。

 振り返ると、勇者エルドがこちらに駆けてくるのが見えた。

 彼の背から、聖剣の光が走る。


「退け! 干渉するな!」

 聖女マリアの制止を振り切り、エルドは丘の縁で足を止める。

 目が輪を見て、わずかに見開かれた。

「……扉か。黒き“均衡”の擬態。王都の禁書と同じだ」


 彼は短く息を吐き、聖剣をこちらに向けないまま、地面へと突き立てた。

 光が地脈を走り、輪の足元に薄い網の目が広がる。

「固定する。だが“力”が強すぎる。俺一人じゃ保たない」


 視線が俺に向く。

 そこに、あの頃の高圧はなかった。

 ただ、戦う者の相談の眼差しだけがあった。


「貸してくれ」

 短い言葉。

 俺は一拍の迷いもなく、頷いた。


 帯の“戻す道”に、勇者の網を重ねる。

 網目からこぼれる分を、俺が畦で受け、再び網へ返す。

 聖剣の光に、若木の微かな光をあわせる。

 異なる光が角を落とし合い、互いの過不足を“均し合う”感触があった。


 輪の縁が、わずかに収縮した。

 黒の囁きが、低い軋みに変わる。


――《輪の外で輪をつくるな》

「畦は輪だ」

 俺は言う。「水は流れ、戻る。無は、来て、帰る。来た分だけ帰せ。帰りきらない分は――」


 言葉より早く、エリナが動く。

 刃先で、先ほど欠いた縁の“角”を、もうひとかけ、削いだ。

 その小さな欠け目から、黒がシュウッと音を立てて、風船の空気みたいに抜けていく。


 輪は小さく、小さく縮み――やがて石畳の亀裂の奥へ、音もなく沈んだ。

 残ったのは、薄い煤と、冷たい露だけ。


 長い息が丘に広がった。

 村人が、ひとり、またひとりと膝から崩れ、泣き笑いの声がいくつも上がる。


 勇者エルドは剣を引き抜き、刃をひと振りして光を収めた。

 視線が俺に来る。

 互いに息は上がっている。

 それでも、笑った。わずかに、ほんのわずかに。


「……助かった」

「こっちの台詞だ」


 聖女マリアが駆け上がってきて、エルドの前に立つ。

「危険です。あの“調律”は素人の真似で扱えるものではありません」

「俺は素人じゃないさ」

 エルドが軽口を返しかけ、言葉を飲み込む。

「いや。今のは――こいつが“プロ”だった」


 エリナが肩で息をしながら、剣を納めた。

 彼女の笑顔は、疲労と安堵と、ほんの少しの誇りで光っていた。


 若木の枝先で、光の実が一粒、丸く重く実っている。

 俺はそれに触れず、根元の土をそっと押し固めた。

 畦は輪。ここから先は、急がず、崩さず。


 村長が杖をつきながら近寄り、涙声で礼を述べた。

「リオン殿、エリナ殿、そして……勇者殿。命を、村を助けてくださって……」

 エルドは短く会釈し、視線を丘の下にそらした。

 陣の向こう――王都へ続く街道は、朝の光を受けて白く伸びている。


「今日は約したとおり、ここまでだ」

 エルドが言う。

「だが、王都は動く。魔王の動きも、今の“扉”も、無関係じゃない。……リオン、いずれ来る岐路で、お前は選ぶことになる」


「もう選んださ」

 俺は若木を見て答えた。

「“ここを壊さない”って」


「それが世界を救う道と一致すればいいな」

 エルドは背を向け、下り始めた。

 聖女マリアはまだ不満げだったが、彼の足取りを乱すことはしない。魔導師は一度だけ、石畳の煤を指先ですくい、不気味な笑みを残して去っていった。


 丘に、静けさが戻る。

 だがさっきまでの静けさとは違う。

 何かが開いて、閉じた。世界のどこかに皺が寄って、その皺がまた、別の場所を押し上げている――そんな感覚が、皮膚の内側に残っている。


「リオン」

 エリナが囁く。「見たでしょう。あなたの“均し”は、剣の補助だけじゃない。村の土台そのものを整えられる」


「……怖いよ」

 正直に言うと、彼女はふっと笑った。

「怖いなら、なおさら丁寧に。あなたはずっとそうしてきたじゃない」


 若木の葉が、風に鳴る。

 銀色の音は、朝日を浴びてやわらかかった。


 丘を下りる途中で、俺はふと足を止めた。

 石畳の一角――輪が沈んだ場所の近くに、煤ではない“線”が残っている。

 子どもが棒で砂に描いたみたいな、拙い線。丸が二つ、線で結ばれ、さらにその外側に、歪んだ丸がかぶせてある。


 昨夜、俺が若木の近くに刻んだ印と似ている。

 ただ、外側の歪んだ丸は、今見た輪の“変質”に似ていた。

 内の丸は村。外の丸は“主”。――その間にある線が、俺たちの畦かもしれない。


「誰が描いた?」

 呟くと、後ろから小さな声がした。

 振り返ると、昨日、芽吹いた畝を真っ先に見つけて喜んでいた少年が、帽子を握りしめて立っている。


「きのうの夜、丘の柵の上に、黒いひとが立ってて……

 ぼくの耳に“おまえの絵を見せろ”って。

 こわかったけど、描いたら、黒いひとは“扉は二つ、縁はひとつ”って言って消えたんだ」


 エリナと顔を見合わせる。

 扉は二つ――。

 今、閉じたのは一つ。

 では、もう一つはどこに。


 空気が、ほんのわずかに震えた。

 遠く、王都とも村とも違う方角。

 風が、その方へ向かって、ゆっくりと吸い込まれていく。


「……森の、もっと向こう」

 エリナが剣に手を置く。「古道跡。誰も通らなくなって久しいっていう」


 俺は若木の葉先に触れ、光の実がひとつ、掌に落ちる音を聞いた。

 冷たくも温かい、小さな重み。

 帯の撚りを確かめ、掌の輪に親指を当てる。

 脈が合う。呼吸が合う。


「行こう」

「うん。畦を、先に引きに」


 丘の上で振り返ると、村人たちがこちらを見ていた。

 笑っている者、泣いている者、まだ震えが残っている者。

 どの顔も、ここにある。ここで生きている。

 俺は深く頭を下げ、顔を上げた。


 扉は二つ。縁はひとつ。

 ならその縁を“こちら側”の形に――俺たちの暮らしの形に、織り直す。


 朝の光の中、森への小道に露がまたきらめいた。

 畦を引く者と、刃を振るう者。

 並んで歩き、呼吸を合わせる。


 足もとで、土が柔らかく鳴った。

 あの輪に聞こえるように、ほんの少しだけ、強く。


――続く――

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ