勇者と
なんで勇者がトイレ掃除してんだよ。
松下さんも、なんで勇者にトイレ掃除させてんの?
「アリスさんの驚異的なフィジカルのおかげで、避難所内の片付けはすぐに終わりました」
「いやいやいや、だからってそんな雑用頼むのはどうなんすか……」
「他になにかやることはないか、僕がマツシタに聞いたんだよ」
それにしたってトイレ掃除はないだろ。
お前、勇者なんじゃねぇのか。
世界救えよ。
トイレ救ってどうすんだよ。
しかも、こんな地方のド◯キの。
「アリスさん、ありがとうございました。あなたのおかげで避難民の方々も落ち着いて休めるでしょう」
「それはよかった。睡眠不足は悪だからね」
さらっと言うなよ。
悪って言っときゃ締まるみたいなのやめろや。
「では、また何かあれば」
「うん、僕にできることなら」
なんか二人で頷いて握手してる。
松下さんもいつの間にか扱いに慣れてきてるし。勇者相手に普通の対応してるし。
なんなんだ、この謎の空気は。
世界を救う勇者だろ、お前。
そんな町内会の役員みたいなノリで話しすんなよ……。
いや、ここでまた何かこっちに振られても困る。
いい加減、俺は疲れたんだ。
勇者にもらったポーションのおかげで傷は治った。
茜に切られた腕も足も、刺された腹も、もう痛くはない。
だけど、精神的なやつは別らしい。
勇者製ポーションといえど、精神ダメージはダメっぽい。
ゲームみたいにはいかねぇのな。
当たり前か、ここは現実なんだから。
というわけで、俺はもう休ませてもらう。
「じゃ、じゃあ俺はもう休みます」
俺は倉庫の扉へ向かって、そそくさと歩きだした。
ところで。
「ああ、望月さん」
俺の背中に、松下さんの声が飛んできた。
「……何でしょう?」
まだなんかあるのか。
嫌な予感しかしないんだが。
「アリスさんを案内してもらいますか」
「案内?」
「ええ。アリスさんも今晩はこちらで休んでいくそうです。……そうですね。応接室がまだ空いてますので、そちらへ」
……休むなよ。
勇者だろ。
休んでる場合か。
俺の知ってる勇者はな、世界を救うためなら不眠不休でフィールドを駆け回ってたぞ!
……ゲームの中で、だけど。
「……なんで俺なんすか」
ここには桐生さんも梅野さんもいるだろ。
なんなら、松下さんが案内すればいいじゃん。
わざわざ俺を指名するなよ。
「それはですねぇ、望月さん」
松下さんは仏の顔でニチャァ。
ま、マズいぞ。
この人がこの顔のときは決まってめんどくさいって時だ。
変なこと言われる前に、ここは逃げよう!
「俺、もう疲れてるんです。全身ダルいんです。じゃあそういうことで――」
ここは全力で
《望月は 逃げ出した!》だ!
だが、
「――あなたの寝床も、応接室だからですよ」
「は?」
《しかし、まわりこまれた!》
って言葉が頭に浮かんだ。
くそがっ!
松下さん、にっこり。
その顔やめろや。
☆
応接室は昼間よりも広く見えた。
さっきまでここで殺し合いしてたんだよなぁ。
壁や床には切傷や刺突の跡が入ってる。
元々あったヒビと混ざって、見た目だけはボロボロで廃墟と言われても違和感がない。
ちなみに、部屋に残っていた血痕は既にない。
呼ばれてないのについて来ていた茜が、ドヤ顔で血液魔法で綺麗にしていった。
血液魔法は便利だけど、なんでドヤ顔なんだよ。
元はお前が汚したんだろうが。
部屋から追い出した時も妙に勇者に絡んでたし。
彼女面して何かワーワー言っていたけど無視した。めんどいし。
これだから情緒不安定吸血鬼は嫌なんだ。
そんな応接室の中というと。
蛍光灯は割れ、ぶっ壊れた机や椅子も撤去済み。
そのかわりに、部屋の真ん中に簡易マットと毛布が置かれている。
二組。
寄り添うように並べて。
仲良しかよ。
「……配置になにか悪意を感じる」
「ん、悪?」
「違ぇよ、なんでもねぇよ」
悪って言葉に反応すんなよ。
なんだその悪センサー、感度良すぎか。
「……お前そっちな。俺はこっち使うから」
そう言って寝具を一組持って壁に引きずる。
こいつと並んで寝るなんて無理だ。
さっき会ったばかりの見知らぬ奴と並んで寝られる気がしない。
しかも相手はイカれ勇者だし、なおさら。
俺は繊細なんだ。
個室で、ちゃんとしたベッドと枕じゃなきゃ寝たくない。
幸い、目はギンギンに冴えている。
エナドリ数本飲んだときみたいなあの感じ。
茜の血の影響か、ポーションの影響か知らんけど。
最悪、今日は徹夜だな。
こいつ何するか分かんねぇし。
……まぁ、分かったところでどうにかなるとは思わんけど。
フィジカルモンスターに敵うわけない。
勇者はずっと黙っている。
俺は勇者を無視して、自分の寝床をセッティングしていく。
毛布が入ったビニールを開ける音が静かな部屋にやけに響く。
俺は無言でマットを広げた。
部屋の真ん中で勇者も同じことをしている。
世界を救うはずの勇者が、避難所と化した地方のド◯キで寝床を広げてる。
――なんだこれ。
意味が分からない。
松下さんは俺に何をさせたいんだ。
あの人のことだから、何か意味があるはずなんだが。
……あるよな?
ただの嫌がらせとかじゃないよね?
「ねぇ。君」
勇者がマットを広げながら、こちらを見ずに言う。
「……なんだ?」
「君の名前、聞いてなかった」
「はぁ? 今さらかよ」
散々松下さんや茜が呼んでただろ。
「うん、でも君の口から聞いてない」
「……」
「僕は名乗ったよね。なら、君も名乗るべきだ」
そこで。
勇者が、こっちを見た。
あの、竹原を見ていたときのような、渇いた眼で。
「名乗らないなら、君は……」
言いながら腰の剣に手を――
「いや待て待て! 望月! 俺は望月友人だ! よろしくアリスティア!」
「うん、よろしく。ユウト」
即答。
剣の柄から手を離して、パッと笑顔で。
「……」
怖ぇよぉ……。
目があれだもの。
今一瞬、悪絶対裁きマンだったもの。
名乗らないだけでアウトとかマジでやめて?
こいつの悪判定ガバガバすぎるだろ!
「今の……」
俺は毛布を雑に引き寄せながら言う。
「名乗らなかったら……どうなってたんだよ」
「どうもならないよ。ただの冗談」
……冗談?
聞き間違いか?
「嘘つけ。お前冗談とか言わないタイプだろうが」
「酷いな、僕をなんだと思っているの? ただ……名乗らなかったら、少し残念かな」
なんだその感想。
残念で済む目じゃなかっただろ今の。
「名乗らないのは悪なのかよ」
「状況による」
「便利な言葉だなそれ」
勇者はマットの端を指でなぞりながら言う。
「名前はね、責任だよ」
「……は?」
「自分が誰かを定義する行為だから」
茜と同じこと言ってんな。
なんだ、異世界で流行ってんのかそれ。
意味がわからん。
名前はあくまで名前だろうに。
そこに他の意味を持たせてどうするよ。
「じゃあ定義しないのは?」
「逃げてる」
「えぇ……」
重いわ。
トイレ掃除してた奴の思想じゃねぇだろ。
少し沈黙。
蛍光灯の壊れた残骸が天井で揺れている。
俺は横にならず、壁にもたれたまま勇者を見る。
「さっきさ」
「うん」
「睡眠不足は悪って言ってたな」
「言ったね」
「いや分かるけど、マジで言ってんの?」
「うん」
これも即答。
さっきから全部、俺の問いに間髪入れずに返ってくる。
「判断力が落ちる。苛立つ。争いが起きる。事故が増える」
ほんと淡々と言うのな。
「人間は簡単に壊れる」
そこで、ほんの一瞬だけ言葉が止まる。
でもすぐ続く。
「だから防げるなら防ぐ」
「……トイレで?」
「トイレは大事だよ」
真顔で言うなよ。
いや、大事だけどさ。
「衛生が崩れると感染症が出る。感染症は人を殺す」
理屈は正しい。
正しすぎる。
「掃除は、ちゃんとしたほうがいい」
「いや、まぁ……うん」
そりゃそうだが……でもお前が気にするとこはそこじゃないだろ。
異世界の勇者様が言うとファンタジー感が壊れるんだけど。
「お前さ」
「うん」
「魔物が人を殺すのと、病気で人が死ぬのと、同じ扱いなのか?」
少しだけ、勇者の視線がこちらに向く。
「外じゃ魔物がウロウロしてるだろ。お前らの世界から来たらしいけど」
「……」
即答、しない。
「お前が勇者で悪を裁くって言うなら、なんで魔物を裁かない? 魔物のせいで、こっちの人間が何人殺されたと思ってる」
こちらを見つめる琥珀色の瞳。
「竹原みたいな小物に構ってる暇があるなら、そっちをどうにかしろよ。避難所の片付け? トイレ掃除? そんなことしてる間にみんな、殺されてんぞ」
勇者は何かを考える風に目を細めるだけで、何も言わない。
何を考えてるのか、その表情からは全くわからない。
「……君は」
勇者がポツリと。
「やっぱり、『勇者』に向いているね」
口元に笑みを浮かべて言った。
「あぁ? 向いてねぇよ。話を逸らすな。勇者はお前だ」
その話はいいんだよ。
蒸し返すな。
「……死は同じだよ」
「原因は違うだろ」
「原因で悲しみの量は変わらない。大事なのは結果だ」
……こいつ、気づいてんのか?
言ってることとやってることが、違うことに。
「……じゃあ、魔物は悪じゃねぇのか」
「個体による」
またそれだ。
「人を襲うやつも?」
「襲うしか選択肢がないなら、悪とは言えない」
「選択肢?」
「理解していて、踏み越えるなら悪」
茜の顔が浮かぶ。
竹原の顔も。
俺は天井を見る。
なんでこうなんだこいつは。
答えがいちいち、わかりにくいんだってェ!
「……野生動物はどうなんだ? テリトリーに入ってきた人間を襲うのは?」
「悪じゃない」
「じゃあ吸血鬼。血を吸うのは生きるためだって、人を襲ったら?」
「……状況による」
「お前の匙加減じゃねぇか。便利だなほんと」
こいつの返答に対して思うのは、なんだそれ、だ。
結局、こいつも竹原と同じで自己中野郎なだけか?
だが、勇者は少しだけ首を傾げる。
「便利じゃないよ。面倒なんだ」
「は?」
「正直……全部斬った方が早い」
「でも、それは違う」
それだけ言って黙り込む。
理由は言わない。
俺は小さく息を吐く。
「……お前、めんどくさいな」
「よく言われる」
「誰に」
「君が二人、いや三人目かな」
俺は思わず吹き出す。
「少なっ」
勇者は少しだけ目を細める。
笑ってるのかどうか分からない、微妙な表情。
沈黙が落ちる。
さっきまでより、少しだけ柔らかい沈黙。
俺は毛布に潜り込む。
空気が少しだけ冷える。
部屋は静かだ。
外の風の音がかすかに聞こえる。
避難民たちの笑う声も。
「なあ、勇者サマよ」
「うん」
「もう一個聞いていいか?」
「なに?」
「世界がこうなったのって誰のせいなんだ?」
俺は軽い調子で聞いてみる。
別に聞いたからといって、俺に何かあるわけでもない。
むしろ俺からしたらありがたいまである。
だから、ただ単純な疑問。
「……理由が必要かな?」
「必要だろ。誰かが意図的にこんな状況にしたってなら、そいつのせいでみんな死んだってことだ」
人も、魔物も。
本来なら交わらなかったはずのこの世界も。
「だったら、そこだけ見たら、そいつが……お前の言う『悪』じゃないのか?」
「……」
「裁かなくていいのか? 勇者サマ」
勇者は黙り込んで答えない。
答えずに数秒、目を瞑って天井を見上げる。
そのまま、蛍光灯の割れた残骸をただ見つめている。
「……分からない」
「分からないってなんだよ。お前さっきからブレブレじゃねぇか」
「……そう、だね」
勇者は目を閉じたまま、静かに息を吐いた。
数秒。
それから、ゆっくりと腰の剣に手をかける。
金具が外れる小さな音が、やけに大きく響いた。
鞘ごと外したそれを、枕元に置く。
まるで、何かを手放すみたいに。
そして、勇者は言った。
「世界がこうなったのは……」
呼吸を、深く。
「女神のせい、かもしれない」
淡々としているのに、どこか擦り切れた声だった。




