裁きのあとで
「……っ、あ……」
悲鳴はない。
もはや叫ぶ力すらも残ってない。
声にならない音だけが、竹原の喉から零れ落ちた。
「君みたいなのでも、悪は裁かないと」
淡々とした、勇者の声。
勇者が貫いたのは、肉ではなく――何か。
血は流れない。
傷にもなってない。
ただそこに、竹原の胸に、剣がある。
「『消去』」
小さな呟きと同時に竹原の身体から光が溢れ出す。
白く、小さな光。
無数の光の粒子が空間に弾け、剣へと吸い寄せられる。
そして、剣から勇者へと――まるで元の場所へ還っていくように流れていく。
流れはやがて止まり、光も……嘘のように消えていった。
勇者は何事もなかったかのように静かに剣を引き抜き、ゆっくりと鞘に収める。
カチン。
金属同士が触れ合う、軽い音。
「……お……おれ、は……」
竹原が必死に左手を伸ばしてる。
まるで、何かを掴もうとするように。
まるで、何かに縋ろうとするように。
だけど、その指先は虚空を彷徨うだけで――
どさっ。
そして、今度こそ竹原は……力なく崩れ落ちた。
その音だけが、静まり返った避難所の駐車場に響いた。
「竹原くん……!」
我に返った松下さんが、慌てて駆け寄る。
「マズいっ、このままでは……!」
「うん、死んじゃうね」
「何をっ! あなたがやっておきながら、約束はどうしました!」
松下さんが勇者へと食って掛かる。
まぁ、竹原が自分から自爆したってもなぁ……。
今の一連の流れ、勇者がそっちへ誘導した節もある。
というか、それしかない。
「松下さん、今はこの『イカれ勇者』より竹原を」
思わず、俺も口を挟む。
「僕はイカれてないよ?」
「うるせぇよ。ちょっと黙ってろ」
まぁ言ったところで、どうせまた謎理論で誤魔化されて押し切られるんだ。
だったら喋らせない、聞かない。
そのほうがいい。
「……そう、ですね。まずは竹原くんが先です」
松下さんが竹原へ手を伸ばした。
その時。
「それは、良くない」
勇者もまた、竹原へと一歩踏み出す。
「おい待て待て! 今度は何する気だ!」
お前のその「良くない」ってセリフ、怖ぇんだよ。
この状態の竹原に追い打ちとか、さすがの俺もどうかと思う。
「望月、違うわ!」
「あん? 何が……おっふ」
勇者を遮ろうとした俺の腕を、茜がぐいっと掴んで引っ張った。
……どうでもいいけど、さり気なく胸に挟むなよ。空気読めよ空気、相変わらずデケェな。おっふ。
「大丈夫だから、見てなさい」
「おっふ」
勇者が竹原に手を伸ばす。
いつの間にか、その手にはガラスの小瓶がある。
中には緑色の液体。
栓を抜くと、きゅぽん、と気の抜けた音がした。
「それだと、裁いた意味がない」
そう言って。
勇者はその中身を、容赦なく竹原へぶちまけた。
「な、何をしてるのですかっ……!」
その行動に、松下さんが勇者へと詰め寄る。
だが、勇者は穏やかな笑顔を向けるだけ。
――ポゥ、
柔らかな光が、竹原の身体を包みこむ。
暖かい光。
あれだけ噴き出していた血が止まり、痛々しく裂けた皮膚が嘘みたいにどんどん塞がっていく。
「傷が………!」
松下さんは言葉を失い、俺も目の前の光景から目が離せられない。
「あれ、もしかして……」
「そう、ポーションよ!」
マジか!
ファンタジーでお馴染みの、例のアレ!
あと茜、その謎のドヤ顔やめろ。
だからなんでお前が得意気にしてんだよ。
やがて、光が消える。
そこに残っていたのは――気を失っているだけの若い男。
傷一つない、穏やかな寝顔で。
だが――もう、何一つ持ってはいない。
「……終わりだね」
勇者が一仕事終えたと言わんばかりに、にこりと笑った。
「これで、悪はちゃんと裁かれた」
その横顔を見ながら、俺はただ、深いため息をつくことしかできなかった。
☆
そして、それから1時間後。
避難所は、ようやく落ち着きを取り戻しつつあった。
俺たちは手分けして、怪我人の手当てと後片付けをしていた。
倒れた机、散乱した荷物、割れた備品。
竹原が暴れ回った痕跡――いや、ほぼ魅了された茜がやった――は、あちこちに残っている。
避難民たちは皆はっきりと覚えていた。
魅了されていた間のことを。
自分の意思とは関係なく体が動き、恐怖と嫌悪を抱えたまま竹原に逆らえず命令に従わされたことを。
「ありがとうございます、本当に……!」
頭を下げてきたのは、さっきまで竹原の側にいた女性だった。
この人だけじゃなく、竹原に侍らされた女性たちには……泣きながら何度も頭を下げられた。
下手をすれば、一生、竹原の所有物として生きることになっていたかもしれないんだ、そりゃ泣くわな。
「今は、ゆっくり休んでください。それと、ハリセンとはいえ叩いてすんません」
俺に言えるのはそれくらいだ。
下手に慰めても、それはただの自己満足というか。
面倒臭くなったら普通に見捨てようとしていた俺が、今さら何を言ってもなぁ……。
言えるほど立派な人間じゃないし。
警察官たちも似たようなものだった。
市民を守る立場の人間が、逆に守られるどころかその市民に牙を剥いた事実。
安々と竹原に魅了され、命令に従ってたこと。
その現実を、みんなが重く受け止めていた。
「……本当に情けないです。警察官としても、人としても……!」
そう言って、みんなから謝罪と感謝を何度も繰り返された。
正直、少し居心地が悪かった。
「いえ、俺も殴り倒したんで」
「はい、ありがとうございました! 助かりました!」
いや、そう言われると余計に困るんだって。
魅了解除のためとはいえ、殴り倒した相手に感謝されるのはやっぱり慣れない。
つーか、構図がキモい。
そして。
松下さんは、相変わらずテキパキと指示を出している。
「外の警戒は交代制で。異変があったらすぐに知らせを。魔物が寄ってこないとは限りません」
ここは避難所だ。
世界はもう日常じゃない。
外には魔物が徘徊している。
いくら事前に排除していても、安心なんてできるはずがなかった。
☆
その一方で。
「……斬られた」
避難所の奥、倉庫の隅。
この騒ぎを起こした張本人てある竹原は――毛布に包まれ、床に座って丸くなっていた。
「なんで……俺が……」
虚ろな目で、傷一つない身体を抱きしめるようにしている。
「おい、竹原」
俺は竹原に声をかけた。
文句の一つでも言ってやろうと思って。
結局殴ってねえし。
「身体、どこも斬られてないぞ。被害者アピールやめろ」
だが、反応はない。
「おい、無視すんな。傷も全部治ってんだろ? 殴ってやるから顔出せ。ほら、一発は一発だぞ」
「俺は……選ばれたんだ……」
言葉が被さる。
「斬られ……俺は……正義……」
俺の言葉を無視して、竹原は必死に何かに縋るみたいに叫ぶ。
「女神……そうだ、女神が……!」
ブツブツ、ブツブツ何言ってんだおい。
斬られてねぇっつってんだろうが。
俺がキレそう。
「おい、竹原! お前いい加減に――」
「正しい側で……正義で……!」
「……」
……なんだこいつ、壊れたか?
まぁいいや。とりあえず殴っとこう。
もしかしたら直るかもしれないし。
腕を引き、竹原の横顔目掛けて腕を振り抜こうとして――
松下さんが、そっと俺の肩を掴んだ。
「望月さん」
「はい?」
「何をしようとしているのですか?」
「何って……ちょっと正気に戻そうと思いまして」
「……」
松下さんが仏の顔で俺を見つめてくる。
やめて、その顔。
夢に出てきそうな顔でこっち見ないで。
「望月さん。竹原くん……彼は、もう《《見ていません》》」
「見ていない……?」
「彼には……受け入れられなかったのでしょう」
竹原を見る。
「……ああ、なるほど」
その一言で、全部察した。
竹原はずっと言っていた。
――『自分は選ばれた。正しい。正義。上にいる側』
こいつに何があったのか知らないし知りたくもないが、それはこいつを守る鎧みたいなものだったんだろう。
最後まで「自分の正義」に縋るしかなかったんだ。
それを、そんな竹原を。
否定したのが、よりにもよって《《女神に選ばれた本物の勇者》》だった。
壊れないほうが、どうかしている。
「……生きてはいる、けどなぁ」
「ええ。これでは……」
松下さんは首を振る。
結果的に事態は収束したけど、やはり割り切れない思いもあるんだろうな。
「俺の、俺のせいだ……」
今まで黙って見ていた桐生さんが、視線を伏せたまま口を開いた。
「……俺の責任だ」
その声は低く、心なしか掠れていた。
「竹原をちゃんと、止められなかった」
桐生さんの言葉が倉庫の空気を重く沈ませる。
拳を強く握りしめている。
教育係として、先輩として。
自分が背負うべきものを、真正面から受け止めようとしている顔だった。
「兆候はあったんだ」
桐生さんは続ける。
「言動も、態度も……調子に乗ってるのは分かってた。でも俺は……」
言葉が詰まる。
「まだ大丈夫だって、自分に言い訳して……結果、こうなった」
そこで、松下さんが一歩前に出た。
「桐生くん」
呼び方は、いつも通り。
上司として部下を呼ぶ、変わらない声音。
「顔を上げなさい」
桐生さんは、ゆっくりと顔を上げる。
「……あなたが、彼を気にかけていたことは分かっています」
「ですが」
そこで一度、言葉を区切った。
「責任の所在を、履き違えてはいけません」
穏やかだけど、なにか逃げ道のない声だった。
「部下の行動を監督する責任は、最終的には――私にあります」
「松下さん……」
「桐生くん。あなたは教育係として、できる範囲のことはしていました」
視線が竹原へ向けられる。
「彼が越えた一線は、あなた一人で止められるものではありません」
淡々と。だが、はっきりと。
「組織として止められなかった。上司として、私が見誤った」
その言葉に、桐生さんが息を呑む。
「……だから」
松下さんは続けた。
「あなたが一人で背負う話ではありません」
それは庇いでも慰めでもなく。
上司として当たり前の、責任を引き取る宣言だった。
……あぁ。
俺は、内心で小さく息を吐いた。
この人……逃げないのは、《《らしい》》な。
自分が一番上だと、きちんと分かっている。 だからこそ、部下に背負わせすぎない。
正直、なかなか出来ることじゃない。
「ですが」
松下さんの声が少しだけ厳しくなる。
「桐生くん。あなたにも、そして私にも。考えるべきことはあります」
「……はい」
「《《止められなかったこと》》ではありません」
松下さんは、桐生さんをまっすぐ見つめる。
「《《もっと踏み込めたかもしれない》》。その可能性から、目を逸らさないことです」
桐生さんは黙って頷いた。
「それが出来るなら――今回のことは、無駄にはなりません」
その言葉に、桐生さんの肩から、ほんの少しだけ力が抜けた。
「……ありがとうございます」
深く、頭を下げる。
松下さんは、それ以上何も言わなかった。
その様子を、竹原の幼馴染である梅野さんが、少し離れた場所から見ていた。
彼女は口を挟まなかった。
ただ一度だけ、竹原に視線を向け――すぐに逸らす。
感情を整理するには、まだ時間が必要なんだろう。
茜が、俺の隣で小さく息を吐いた。
「……責任って、重いわね」
「上に立つって、そういうことらしいぞ」
「なんで他人事なのよ。あなたもその『上に立つ』立場でしょ?」
「俺はそういうのいいっす」
「ふーん。ふふ、そういうことにしておくわ」
「おい、なんだよそれ」
その時。
「望月さん」
また松下さんに呼ばれた。
「はい、今度は何でしょう」
「ええ、勇者さんの件です」
ああ、そうだった。
あの化物のことがあるんだった。
「竹原くんを治したあの液体。回復薬を、いくつか譲ってもらいました」
「へぇ、それは助かりますね」
あの状態の竹原を完全回復させるようなチートアイテム、あればあるだけ良いからな。
素直に助かる……んだけど、
「ただ……見返りは求めない、と」
それが妙に引っかかる。
そういうのが一番厄介なんだよ。
「タダほど怖いもんはないってやつじゃん……」
「彼が何を考えているのかは……正直、私でも分かりません。文字通り、住む世界が違いますので」
そりゃそうだ。
奴が本当に善意だけでそう言ってるなら、まだ……いや、善意だけで動く奴ほど扱いづらいわ。
特にあの勇者は。
「しかし、意外にも……彼は色々と片付けを手伝ってくれました。こちらの指示通りに、ちゃんと」
「……普通に従うんすね」
「ええ。彼は人を助ける、ということには協力を惜しまないそうです」
俺は、さっきまで瓦礫を運ぶ勇者の背中を見ていた。
本当に淡々と、文句も言わず。
松下さんの指示を受けて、淡々と熟していた。
人間を助けるのが当然だと言わんばかりに。
悪を裁く人間の勇者、か……。
外には魔物がいる。
突然あちらの世界からやってきて、こちらの人間の世界は終わりに向かっている。
それに関わってるのが女神。
その女神から力を与えられたのが勇者。
その勇者は、こちらで好き放題してる魔物を裁かずに、人間《竹原》を裁いてる。
俺は胸の奥に引っかかる違和感を抱えたまま、ふぅっと息を吐いた。
……そんで、その勇者アリスティアだけど。
「やぁ、ここにいたんだね」
倉庫の入り口から、場違いなほど明るい声。
「トイレ掃除は終わったよ。僕は次は何をすればいいかな?」
このイカれ勇者――なぜかまだ、この避難所にいる。
用が済んだなら帰れよ。
なんでまだここにいんだよ。




