ある正義の終わり
――落ちていた。
確かに。間違いなく。
地面の上に竹原の右腕が転がっている。
鉄のような光沢を帯びたそれは、肘のあたりで綺麗に断ち切られていて――
「……っ、あ……あああああああああっ!!」
竹原が喉を裂くような悲鳴を上げた。
「う、腕っ! 俺の腕が!! な、なんだよこれ! おい! 戻らねぇ! 動かねぇ!!」
右肩を押さえ、意味もなく腕を振ろうとして空を切る。
あるはずの感覚がなくて、余計に混乱してるのが丸分かりだった。
「《《それ》》は、彼のものだ」
勇者は松下さんをちらりと一瞥して、まるで確認作業みたいに言葉を続ける。
「《身体強化系スキル。筋繊維や骨格を魔力で覆い、疑似的に金属化して攻撃力と耐久力を上げる》」
竹原の顔がみるみる青くなる。
俺も呆気にとられて思わず声を出す。
「お、おぉ……マジか……」
ずっと見ていたはずなのに、やっぱり勇者の動きは全く見えなかった。
これが単純な身体能力でやってるってのが……なんつーか、普通にキモい。
「って、ちょい待て勇者! お前、殺さないって言ってたよな!? 今のはどう見てもアウトだろ! 腕、落ちてんだけど! 思いっきり!!」
なに普通に腕斬り落としてんの?
いや、斬り落としたかは見えんかったし知らんけど。
「アリスさん。いえ、勇者アリスティア。あなたは『危害は加えない』と言ったはずです」
「そうだそうだ! 約束が違ぇぞ、勇者のくせに約束破るのか!? 嘘つきは悪だぞ、悪!」
松下さんが一歩前に出て、低い声で言う。
俺もそれに乗っかって、ここぞとばかりに勇者を詰める。
茜は俺の横で血霧を纏わせながら、何も言わずにじっと勇者を見つめている。
俺たちからの「どうなってんだ、あぁん?」て視線を受けても、勇者は慌てる様子もない。
どころか、逆に「何言ってんの?」という顔で不思議そうにしている。
「危害は加えてないよ?」
首を傾げながらきっぱりと。
「「………………は?」」
俺と松下さんの声が同時に漏れた。
何言ってんだこいつ。
二人並んでそんな顔をして勇者を見る。
「いやいやいや。腕、腕。落ちてる落ちてる」
勇者、うしろうしろー!
と、俺は思わず竹原の方を指差す。
「ほらそこ! 地面! 誰がどう見たって――」
「落ちてないよ」
勇者はキョトン顔であっさりと言った。
「……は?」
もう一度、俺と松下さんが固まる。
何言ってんだこいつ。
「ほら」
勇者は困ったように笑って、竹原の方を指差した。
「ちゃんと、見てみなよ」
恐る恐る、視線を向ける。
地面には、確かに《《なにか》》が落ちていた。
さっきまで鉄腕だった、金属質の――
「あれ……?」
俺は違和感に気づく。
竹原の右腕を見る。
――ついている。
肩から先まで、ちゃんと、ある。
血も出ていない。
皮膚すらも裂けてはいない。
でも、地面には――やっぱり腕が落ちている。
「……なんで?」
松下さんが目を細める。
「あれは……魔力でできた、腕?」
松下さんの『魔眼』にはどう映ってるのだろうか。
俺には竹原の右腕が二本あるようにしか見えない。
いや、おかしいのは分かる。
切断面から血は出ていない。
どころか断面がやけにぼやけてる。
「……ど、どういうこと?」
「やっぱり、ね」
俺が呟くと、横で茜が小さく息を吐いた。
「切られたのは、《《腕》》じゃないわ」
何か知ってそうに、茜が呟く。
「正確には『鉄腕』のスキルよ」
勇者が、こくりと頷く。
「そう。それだけ」
「……は?」
俺は思わず頭を掻いた。
「いや待て待て待て。スキルを……斬った? え、なにそれ。斬れんの?」
「うん」
「へぇ……すごぉい」
いや、うん、じゃねぇよ。さらっと言うなや。
「僕はスキルを切り離しただけ。だから危害は加えてないよ」
本当に、心底不思議そうな顔で言いやがる。
「約束は破ってない」
「……いや。いやいやいやいや」
俺は、天を仰いだ。
――何言ってんだこいつ。
今日だけで何回、そう思ったか分からない。
勇者も竹原も、ついでに茜も。
今日一日、「ちょっと何言ってかわからない」ことがやたらと多いんですけど。
「なるほどね」
そんな俺の横で、茜がしたり顔で頷いてる。
「勇者の権能で竹原のスキルだけを分離した。つまり、物理的な損傷はない。落とされた腕は……スキルが具現化したもの。……理屈としては、通ってるわ」
「通ってねぇわ」
即ツッコむ。
なんでお前がドヤ顔で言ってんだよ。
理屈以前の問題だろが。
「おい、お前までそっち側行くな。ちゃ・ん・と・説明しろ! いいか、ちゃんとだ!」
報連相!
報・連・相!!
「……はぁ。あのね、考えたって無駄なの。勇者のやることなんて全部こうなのよ? こっちで適当に理屈を当てはめて、無理矢理納得するしかないの」
「えぇ……なんだそれ」
お前も実は本当のところは分かってないのかよ。
したり顔で言ってたくせに。
「……つまり、ただの錯覚ということでしょうか。しかし、錯覚にしては……」
うん、マジで斬り落とされたかと思ったし。
竹原、腕ないなってたし。
松下さんの言葉に勇者が答える。
「違うよ。腕を切ったのは本当。でもそれは彼の腕じゃない」
「……茜?」
「……こっち見ないでよ。私だって意味分かんないんだから。つまり、魔力よ。おかしなことは全部魔力のせいにしとけば、だいたい納得できるわ!」
できねぇよ!
理解を諦らめんなよ!
お前の方が勇者と長い付き合いなんだから、お前がやるんだよ!
「あと、特に君のような《《眼》》を持ってる人には、《《そう》》、見えやすい」
「私の……眼、ですか?」
「うん。『魔力視の魔眼』持ちはどうしたってね。まぁ、気にしなくていいよ。もう少し強くなれば、ちゃんと分かるようになる」
……松下さんの『魔眼』て、そんな名前なんだな。
いやそれがなんなんだよ。だから、分かるように言え。社会人舐めてんなよ。
報告連絡は分かりやすくが基本だぞ。
「じゃ、下がってて。まだ終わってないから」
誰か、説明してください?
俺に、きちっと、全部、わかるように、説明してください?
そんなやりとりをしてる間も、
「お、お前……っ! 俺の、俺の腕、違っ、違う! 俺は……」
竹原は切り落とされた右腕と自分の身体にある右腕を交互に見て、意味もなく首を振っていた。
「ち、違う……こんなの、おかしい……」
青褪めた顔。
流れる脂汗。
震える声。
「俺は……選ばれた……正義だった……!」
泣きそうな声で、縋るように叫んでいる。
腕は斬り落とされてないってのに。
「そりゃそうだよなぁ……」
見た目ほぼ腕切断の普通にトラウマ案件だもの。
物理的な被害がなければオッケーって、精神的にほぼ死んでんのはいいのか?
ブラックすぎるだろ異世界基準。
俺の内心のツッコミの嵐を知ってか知らずか、勇者は静かに竹原を見下ろしていた。
哀れむでもなく。
さっさと裁くでもなく。
《《道端に生えてる雑草》》を見るような、渇いた目で。
「君は……そうだね。確かに女神に選ばれた、とも言える」
その言葉に、竹原の顔が希望に揺れる。
「……そ、そうだ。俺は……っ!」
「でもね、それは《《君だから》》じゃない」
勇者は竹原の言葉を遮って続けた。
「別に《《君じゃなくても》》よかった」
「《《誰でもよかったんだ》》」
「……は?」
勇者は雑草《竹原》を見下ろす。
「世界が交わる時、女神はこちらの人間たちに力を配った」
勇者は独り言のように淡々と語る。
「誰が悪に抗うか、分からなかったから。だから、条件を満たした人間に等しく可能性を与えた」
それが「ステータス」だと。
「レベル」に「ジョブ」、「スキル」。
まるでゲームのような概念。
人間にだけ許された、女神から与えられた力。
でも、と。
勇者は少しだけ、困ったように眉を下げて。
「元々はあちらの世界の仕組みなんだ。こちらの世界では……少し勝手が違ったみたいでね」
俺は内心で舌を鳴らした。
なるほど。
ハードが違うんだから、それに合うようにソフトを最適化しないといけないわな。
それをこいつの言う、あちらの女神とやらは怠った、と。
「それに、あちらの敵対する神にも、こちらにいた大勢の神……のようなものたちにも邪魔されて、色々とイジられちゃったみたいだし」
……へぇ。
敵対する神に、こっちにも神っているんだなぁ。
でもここ、八百万の神がいるらしい日本だけど大丈夫そ?
他の国のも考えたら、結構エグいぞ?
質も量も。
つーかガバガバだな、おい。
セキュリティどうなってんだ。
「だから……意図しない形で、よく分からない力を配られてしまった人たちもいる」
それが。
その一人が。
勇者はそこで竹原を見る。
「偶然、君だった。それだけ」
え、じゃあ何?
いろんな神様がステータスのシステムをいじくり回したわけだよな。
てことは……竹原が言ってる神ってその異世界の女神じゃなくて、トイレの神様っていう可能性もあるの?
こいつ、うんこマンだしトイレの神様に認められたなら納得。
うっは、なにそれ激アツじゃん。
臭。じゃなくて草。
「……それと」
ちらりと、勇者が俺を見た。
何も言わず、目を細めて……。
……なんだよ、こっち見んなよ。今俺関係ねぇだろ。見ないで、お前の目、怖ぇんだから。
「ふ、ふざけんなよっ!」
しょーもないこと考えていたら、竹原が叫んだ。
「……ち、違う……」
「俺は……選ばれた……」
「正義だった……!」
なんとか喉から絞り出すように出したその声。
それを聞いて、勇者はもう一度だけ首を振った。
「……ねぇ」
声のトーンが少しだけ落ちたのが分かる。
「君はさっきから、『選ばれた』って言ってるけど」
一歩、距離を詰める。
「《《本当に選ばれた》》のなら、今……正義《僕》に裁かれてないよね?」
直後、落ちていた右腕が光の粒子となって消え去る。
輪郭が崩れ、魔力の残滓がゆっくりと霧散していく。
「……あ?」
同じように、竹原の体から《《何か》》が抜け落ちた。
鉛色に変色していた左腕が元の色に戻る。
「なっ……!?」
「私のスキルが……戻りましたね」
竹原が息を呑む。
松下さんも、自分の手を見つめて目を見開いた。
「何を、何をした……俺の、スキルが……!」
勇者は静かに言う。
「ただ、君が他人から奪った力を元に戻してるだけ」
「……っ!?」
顔が完全に引きつったまま、竹原はそれでも食い下がる。
「ふ、ふざけんな! 俺が使ってた、俺の力……俺の正義に!」
「違うよ」
勇者の即答。さらに重ねていく。
「それは、最初から君のものじゃない」
視線は冷たく、渇いている。
「奪ったものを、ただ使っていただけ」
「う、うるせぇ……!」
竹原は頭を抱えて後退る。
「俺は……俺は正しい……!」
うわ言みたいに同じ言葉を繰り返して、現実を受け入れられないらしい。。
「選ばれた……正義なんだ……!」
勇者はそこで、小さく息を吐いた。
「……もう、いいかな」
剣を構える。
竹原へ近づく。
「ま、待て……!」
竹原が顔を上げた。
「テメェ……本物の勇者なんだよな……?」
勇者は答えない。
「くっ……だ、だったら……ハハッ! その力を、その剣を!」
血走った目で叫ぶ。
「テメェみてぇなコスプレ野郎に! そんな愚図な女神なんかに! 俺の正義が分かるわけねぇだろ!」
竹原は、左手を勇者に突き出した。
「寄越せ! 『押収』――!」
だが何も、起きない。
「……っ!?」
もう一度。
「『押収』!!」
沈黙。
勇者は首を傾げる。
「な、なんで奪えないっ!?」
「僕に、奪うようなモノはないよ」
「……は?」
「条件が揃ってない。僕は君に危害を加えてないし、加えない。加えるつもりもない。そもそも、僕にそんな力はない。僕が女神から貰ったのは」
そう言って、勇者は剣をくるりと回し――竹原へと差し出した。
「この剣だけ」
「……っ!?」
一同、息を呑む。
「待ちなさい! それはアンタの権能が具現がしたもので……!」
「はぁ? じゃあマズいんじゃないのか!?」
茜と俺が声を出すと同時に、竹原が飛びついた。
「ハハッ……! そうだ! これだ!」
剣をそのまま奪い取り、勝ち誇ったように笑う。
それを見た勇者がぽつりと言う。
「一応言っておくけど、やめておいたほうがいいよ」
「うるせぇ! いや……さてはテメェ、これがないと何もできねぇんだろ? スキルがないとか言ってたもんなぁ! ハハッ、何が勇者だ。テメェも、俺と同じじゃねぇか!」
竹原が奪い取った剣を掲げる。
「これで! これで俺が本物の、選ばれた、勇者に――」
――直後。
「が、ぁ……!?」
突然、竹原が血を吐いた。
全身の穴という穴から血が噴き出し、皮膚が裂け、崩れ落ちていく。
「っ、ぁああぁぁあっ―――!」
あまりの惨状に、俺たちは完全に凍りついた。
言葉も、呼吸も、忘れる。
竹原は剣を取り落とし崩れ落ちる。
全身を掻きむしり、痛い痛いと叫んで地面を転がる。
「……うっわ、グッロぉ……」
ドン引きである。
俺も松下さんも茜も、みんな呆気にとられて見つめるしかできない。
そんな中、勇者だけが小さくため息をついた。
「だから言ったのに」
竹原が落とした、勇者の剣を拾いながら。
「この剣は、ただの剣じゃない」
血を吐きながらのたうち回る竹原には、その声は聞こえていない。
「女神から貰った権能を、無理矢理に剣の形に押し留めたものなんだ」
だから、と。
勇者でもない、選ばれたわけでもない。人の力を奪うだけの、勘違いしたただの悪である人間の君に。
「扱えるはずがないよ」
勇者は、優しく――本当に、優しく。
子どもを諭すみたいに言った。
「これで分かったでしょ?」
「人のものを盗むのは、良くないよ」
そして。
勇者は一歩踏み込み、倒れ伏す竹原の胸へ。
剣を突き立てた。




