裁くのは
「……勇者、か」
俺が呟く。
「おや。異世界人なのに君は僕を知ってるの?」
少しだけ興味を示したように。
「ああ。そいつから聞いた」
茜を顎で示す。
「こいつを助けてくれたらしいけど、結局騙して売ったんだろ。勇者サマ?」
「ふぅん。君……たしか、アネモネ、だったかな?」
アリスティアは茜を見ながら頷くが、騙して売ったのは否定しないのかよ。
それにアネモネ……?
アネモネってのは……花の名前だったか?
いや、そうか。
茜の前の――
「その名は捨てたわ!」
茜が叫ぶ。
「今の私は、茜よ! そんな名前じゃない!」
「へぇ、そっか」
アリスティアはたいして興味なさそうに頷く。
「それはどうでもいいんだけど」
この一言で分かった。
こいつ、最初からこっちと分かり合う気がねぇな。
また面倒くせぇのに絡まれたもんだな……。
いや、それよりももっも気になることがある。
「……なぁ茜。今さらだけどさ。アカネとアネモネ、ちょっと響きが似て――」
「うるさい!」
うわ、めっちゃ睨むじゃん。
ちょっと気になっただけなんだから、そんな即座に遮らんでもいいのに。
「いやだってさ、お前のトラウマみたいなもんだろ? 知らなかったとはいえ、それに似た名前ってのも……」
「意味が全然違うでしょ! 空気読みなさいよ! 貴方が私の為に考えてくれた名前だからいいの! それに、その名前は……」
言いかけて言葉を飲み込む茜を無視して、アリスティアは再び竹原へ視線を戻した。
「どうでもいいけどさ、さっさと本題に入ろうよ」
「はぁ? いやお前が――」
「それで、そこの悪はどうするの?」
こいつ、ほんっとに……!
それにしても、さっきから名前すら呼ばないな。
まぁ竹原に呼ぶ価値はないってのは同意だ。
「……あなたが決めることではありません」
松下さんが前に出る。
「彼を裁くのは法です」
「法?」
アリスティアはまた不思議そうに首を傾げた。
「我々の世界には我々の法があります」
「ふふ、おかしなこと言うね。法なんて今のこちらにあるのかな? あったとしても、それこそ機能してないんじゃない?」
「それは……」
「でしょ? だから、悪を裁くのは正義だけだよ」
「……」
「つまり――」
どこか楽しそうに息を吐く。
「僕がやるんだよ」
笑顔でそう言いのける勇者に、場の空気が微妙な感じになる。
つーか、ニコニコしながら何言ってんだコイツは。
若干、方向性が竹原と被ってんだよなぁ。
松下さんもそうだけど……正義だのなんだの、もうそういうのお腹いっぱいなんだが。
そんな空気の中で、最初に息を吐いたのが影山だった。
いや、お前いたのか。
相変わらず影が薄いな。
「あ、あの……」
「うん、なんだい?」
誰に向けたかわからない、蚊の飛ぶようなうっすい声にもしっかり反応してやるアリスティア。
実はいい奴……違うな、これアレだ。
陽キャが陰キャに興味本位で構うやつ。
アレと似た空気を感じる。
「あ、えっと、ぼ、僕は影山と言います。その……裁く、というのは、その、つまり……」
「殺すか、ってこと?」
アリスティアのきょとん顔。
「うーん……殺すかどうかは重要じゃないかな」
「は?」
「悪が、悪でなくなればいい」
そう言って前へ一歩。
「そういうことで、退いてくれるかな?」
「待ちなさ……っ!」
松下さんが遮ろうと一歩踏み出しかけ――
「正義の――」
圧。
「邪魔、するの?」
空気が重く沈み、肺が潰れるような感覚。
「……っ!」
「な、なん……!?」
身体が動かない。
息が浅くなる。
悪寒が背筋を走る。
足が地面に縫い止められたみたいだ。
誰も動けない、話せない、前に出られない。
そんな中、アリスティアが悪気のない顔で笑う。
「あれ? ああ、ごめんね。つい」
同時に、俺たちを押さえつけていた圧は嘘のように消える。
「い、今の、は……?」
這いつくばったままの影山を一瞥して、アリスティアが悪びれもせずに言った。
「正義の前に立ち塞がるからさ。でも安心して。君たちを傷つけるつもりはない」
「……それを信じろと?」
「信じなくていいよ」
さらっと言い切る。
「意味がないしね」
アリスティア以外、ここにいる全員が息を呑む。
「な、なんでこんな……」
「なんで?」
さも当たり前かのように。
「勇者だから、かな」
――だめだ、こいつ。
「だから、裁く」
話が通じるとか通じないとか、そんな次元じゃない。
そもそも、文字通り住む世界が違う。あまりにも。
茜がはっきりと一歩前へ出る。
「……あなたは」
震える声。
「あなたは、何様なの」
アリスティアは驚いたように、ありえない質問をされたみたいに目を丸くした。
「何様? 勇者だけど」
当然のように。
「っ! 勇者だからって」
茜が唇を噛み、吐き出すように叫ぶ。
「勇者だからって、何をしてもいいっていうの!?」
「悪を裁く。それが勇者である僕の役目だ」
「あなたの正義でどれだけの人が潰されたと思ってるの!」
「……?」
本気で分からない、という顔。
「今まで裁いた悪の数なんて覚えてないかな。興味ないし。僕は等しく悪を裁いてるだけ」
おい……勇者のくせに、どっかの悪役みたいなこと言うなよ。
「今まで食べたパンの枚数を覚えているか?」とか言い出しそう……。
どっちが吸血鬼なんだって。
「それにね。僕に裁かれたってことは悪なわけだし。ほら、問題ないよね」
その一言で、茜の目から何かが消えた。
俺はため息をつく。
俺は今、なんとも言えないような顔をしてるはず。
松下さんを見ると、彼も同じように。
「彼を見てると……私が竹原くんからどう見られていたか、少しだけ分かる気がします」
「いや、アレとは違いすぎると思うんですが……」
「私もそう思いたいですが。しかし、される側から見たら……同じかもしれませんね」
松下さんはそんなことを零し、竹原を見下ろす。
「さて、そろそろいいかな?」
アリスティアも倒れたままの竹原に視線を落とした。
「じゃあ、悪を裁こうか」
「――待ちなさい!」
茜から鋭い声。
俺と松下さんの前に出て、勇者の前に立つ。
その背中は少しだけ震えていた。
「……」
アリスティアはその様子を見て、今日何回目かのキョトンとした顔。
それから、何かを思い出したかのように目を細める。
「ああ、そういえば」
ぽつりと。
「……前もこんなふうに庇ったよね」
「……は?」
「君、前も悪を庇った」
淡々とした声。
だけど、その声には少しだけ意図せずに漏れたかのように、圧が。
「だから、あの時は少し迷ったんだ。君を助けたのは間違いだったかなって」
「……待って。あなた、何を言ってるの……?」
「でもね」
アリスティアは続ける。
「あそこで君を村人たちに殺させるわけにはいかなかったし」
一歩前へ。
「人の気持ちを無視して、一方的に魅了して支配する。そんなことを続けてきた君が、ただ殺されるだけなんて――許されない」
茜の表情が凍る。
「だから奴隷に落とした。時間をかけて僕を信頼させて、その信頼する僕に、裏切られるという形で」
うわぁ……こいつ、やることエグい。
「でも――結果的に、君は裁かれた」
ちらりと、竹原を見る。
「まぁ、結果オーライかな。うん」
一人で納得したように頷く。
「なに……ごちゃごちゃ言ってるのよ!」
茜が我慢できずに叫ぶ。
「あなた、何様のつもり! 人の人生を――」
「君には関係ない」
アリスティアは優しく遮った。
「こっちの話だよ」
アリスティアの視線が茜を貫く。
「君はその男に、心の拠り所だったスキルを奪われた」
「……」
「それだけじゃない。魅了されて、支配された」
事実を並べるように。
「それなのに、庇うの?」
「庇ってるんじゃない!」
茜が吐き捨てるように言う。
「あなたが許せないだけよ!」
「……?」
アリスティアは、少しだけ考える。
考えてから、首を横に振った。
「それは同じことだよ」
「違うわ!」
茜は一歩も退かない。
「あなたが勇者だなんて、私は認めない!」
そして。
「……失礼します」
松下さんが茜の横に並んだ。
明らかに無理をしている足取り。
片腕は折れ、もう片方も血に染まっている。
全身、傷だらけだ。手当てする前にこいつが来たから。
「私は警察官です」
松下さんは息を整えながらまっすぐに勇者を見る。
「そして、彼は――少なくとも、我々の管轄にあった人間です」
「だから?」
「裁くのは、我々です」
きっぱりと。
「逃がすつもりはありません。ですが、あなたが処分する理由も、権利も、資格もない」
「……」
アリスティアは二人を見比べる。
茜。
そして、松下。
それから。
「何度も言わせないでほしいな……」
少し困ったように眉を下げ、
「邪魔をするの?」
その一言と同時に――
「――正義《僕》の」
ズンッッ
さっきとは比べ物にならない圧。
重い。
痛い。
息が、できない。
空気そのものが、叩きつけられる。
音が遠くなる。
視界が歪む。
あ、ありえねぇだろ、こんな……!
こいつ本当に人間か!
「――っ!」
松下さんが膝をついた。
影山は……あ、ダメだこいつ。既に五体投地だ。
竹原は拘束されたまま、気持ちよさそうに転がっているだけ。
……当然だ。
全員、満身創痍だ。
俺も応急処置してもらったとはいえ、身体はボロボロ。
心の方も、正直もう限界に近い。
残業代、出んのかよこれ。
いや、出ねぇよな。知ってる知ってる。
終末にそんなものはない。
そんな中で。
茜だけが、身体を震わせながらも勇者の前に立っていた。
血を吸ったからか、コイツやけに元気そうだ。
肌も……なんか心なしかツヤツヤしてるし髪もサラサラ。
二割増しで可愛く見える……ちくしょう、元気なやつだな。
「正義の邪魔をするなら」
アリスティアの声が頭の上から降ってくる。
「君たちも、悪なのかな?」
視線が冷たくなる。
「悪は裁かなければいけない」
松下さんの肩が震え、それでも前に出ようとする。
「……もう一度だけ、言うよ」
アリスティアはため息をつくように言った。
「退いてくれるかな?」
その声は、どこまでも穏やかだった。




