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勘違い

 一方。


 避難所の駐車場に展開された、四角いリングの中。


 コンクリートの地面はそのままに、白いロープが四方を囲み、外界の音を遮断している。

 まるで世界から切り取られた、小さな箱庭のようだった。


 その中央で。


 竹原が腹を押さえながら膝を折っていた。


「……クソが……っ」


 喉の奥から潰れた声が漏れる。

 歯を食いしばり荒い息を吐くたび、腹の奥に残る衝撃が内臓を締め付けた。


「なんでだ……」


 拳をコンクリートに叩きつける。


「おかしいだろうが……!」


 ステータスは自分の方が上だ。

 レベルは松下と同じだが、ジョブも、スキルも明確に上のはずなのに。


 神に選ばれた《《正しい側》》の人間。


 そうであるはずだった。


「俺が正しいのに……!」


 正面に立つ松下は静かだった。


 血で濡れた拳。

 歪に曲がった腕。

 全身傷だらけで、明らかに満身創痍だというのに。


 一歩も退かず。

 竹原に向ける構えも視線も、全く崩れず、揺れていない。


「俺の方が……強ぇはずだ……!」


「ええ」


 松下は淡々と答えた。


「あなたは……強い」


 その言葉に、竹原の顔が一瞬だけ明るくなる。


「ステータスだけを見れば、ですが」


 その一言で表情が歪む。


「言ったでしょう。ここではそんなもの、無意味だと」


「ふ、ふざけんな! 俺の力は……」


「強さには、責任が伴う」


 松下が竹原の言葉を遮り、一歩踏み出す。

 ロープがぎしりと軋んだ。


「あなたは、それを放棄した」


「うるせぇ……!」


 竹原が叫ぶ。


「黙れよ……! 何が責任だ……!」


 声は怒鳴っているのに、どこか縋るようだった。


「俺は……俺は正しいんだ……!」


「正しいのなら」


 松下の拳が、竹原の腹に叩き込まれる。


 ドンッ!!


「が――っ!!」


 肺の空気が一気に吐き出され、身体がくの字に折れた。


「力を持つのなら」


 松下は止まらない。


「守る覚悟を持ちなさい」


 顎にもう一発。


「踏みにじる言い訳に使ってはいけない」


 竹原は吹き飛びリングの端に転がった。

 ロープにもたれかかりながら、ずるずると床に崩れ落ちる。


 鼻血と涎が混じり、コンクリートを汚した。


「……は……はは……」


 竹原は笑った。

 引きつった必死な笑いだった。


「……まだだ……」


 虚空へと、震える手を伸ばす。


「……俺はまだ……終わってねぇ……!」


 《《正義》》に楯突く《《悪》》から『押収』した数々のスキル。

 そして、自分だけが持つはずの切札《スキル『押収』》。

 それらを意識して。


「……出ろ……!」


 指を振る。

 魔力を込める。

 正義を邪魔する目の前の障害を排除しようと。


 ――だが。


「……あ?」


 何も起きない。

 一瞬、間が空く。


「発動しろ……!」


 反応はない。

 スキルの発動はおろか、あるはずの魔力も感じられない。


「おい……なんだよ……!」


 声が裏返る。

 額から汗が流れ落ちた。


「出ろって言ってんだろ!!」


 叫び。

 もはや命令ではなく、懇願だった。


 それでも――リングの中に変化はない。


「……っ……!」


 竹原の顔から血の気が引いていく。


「嘘だろ……」


 視線が松下に向く。

 そこにあったのは、怒りではない。

 恐怖だった。


「……俺は……正しいんだ……」


 掠れた声で、繰り返す。


「俺は……選ばれた……」


 誰に言っているのか、竹原は自分でも分からない。


「神に……選ばれたんだ……!」


 松下は何も言わない。

 ただ、竹原を静かに見ているだけ。


「……そうだろ……?」


 竹原の声が急速に弱くなる。


「……そうじゃなきゃ……おかしいだろ……」


 拳を握ろうとしても力が入らない。


「……俺が……間違ってるわけ……」


 そのとき。


 別の感情が、胸を突いた。


「……あいつだ……」


 顔が歪む。


「……望月……!」


 憎悪が噴き出す。


「そうだ……あいつが、あいつが来てからだ……!」


 避難所にあの男が現れてから。

 すべてが、おかしくなった。


「……全部……!」


 喚くように叫ぶ。


「あいつのせいだ……!」


 従順だった幼馴染の美鈴は、言うことを聞かず口答えをするようになった。

 尊敬していた上司の松下も、自分をいつもフォローしてくれていた頼れる先輩の桐生も。

 あの男を頼るように、自分を除け者にするように。


「俺の正義を……!」


 唾を飛ばしながら。


「俺の世界を……!」


 地面を叩く。


「あいつが、全部、壊しやがった……!!」


 涙と鼻水と怒鳴り声。

 みっともなく、醜く、取り乱す。


「全部……全部あいつが悪いんだ……!」

「俺は悪くねぇ……!」

「正しいのは俺だ……! 俺が正義だ……!」

「正義は負けねぇ……っ! 負けちゃダメなんだ……!!」


「だから……正義《俺》を邪魔する悪《望月》を……倒して……」


 竹原が、ハッと顔を上げる。


「……吸血鬼……」


「……はは……そうだ……」


 震える唇で、笑う。


「俺は……まだ負けてねぇ……」


 自分に言い聞かせるように。


正義おれは……負けてねぇんだ……!」


 なぜなら。


「俺には……まだ……吸血鬼がいる……」


 最強の駒。

 支配下に置いた、完全な暴力。


 望月を殺させて。

 用が済んだら呼び戻して。

 この煩わしいリングごと、松下のジジイを吹き飛ばせばいい。


 それで、すべて――元通りだ。


「俺にはまだ、《《力》》がある……! 正義《俺》はまだ負けて――」


 だが。


 竹原の脳内に繋がっていた支配の糸が、


 プツリと。


 音を立てて、完全に消失した。


「……え?」


 思考が止まった。


 竹原の顔から急速に色が失われる。


「……なん……だと……」


 あり得ない。

 絞り出した声が震える。


「俺の……魅了だぞ……?」


 元の持ち主より、強化して使えるはずだったのに。


 喉が鳴る。


「解除された瞬間に……次が噛み合うように……ッ!」


 何度も、何度も重ねた。

 絶対に外れないはずだった。


「なんで……」


 声が裏返る。


「なんで消えてんだよぉ!!」


 叫びは、もはや命令ではなかった。

 ただの悲鳴だった。


「殺せ……!」


 喉が裂けるほど叫ぶ。


「殺せよ! 望月を! 早く……ッ!!」


「じゃないと……! 正義が……!」


 松下は、その取り乱し方を静かに見つめていた。

 怒りも、勝ち誇りもない。


 そこにあるのは、憐れみに近い感情だけだった。


 内心では、避難所の奥へ消えた望月と吸血鬼のことが気がかりではある。

 だが――。


 彼なら。

 きっと「力」ではない方法で、彼女を救い出したのだと。


 そう、確信していた。


「……竹原くん」


 松下は、静かに告げる。


「言ったでしょう」


 一歩、近づく。


「絆のない支配など、脆いものだと」


「う、うるせぇ……!」


 竹原が喚く。


「ジジイ……!」


 拳を、コンクリートに叩きつける。


「返せ……! 俺の力を……!」

「俺の……俺の……!!」


 松下は、首を横に振った。


「あなたのものではありません」


 その頭に――


 ゴチン。


 松下の拳が、落ちた。


「……いいですか竹原くん。人のものを盗っては、いけませんよ」


 スキルも、ステータスも関係ない。

 ただの、重いゲンコツ。


 いたずらをした悪ガキに向けるような、

 それだけの。


「……っ……く、そが……」


 竹原の意識は、そこで途切れた。


 カン、カン、カァン――。


 駐車場に試合終了を告げる音が鳴り響く。


 同時に、四角いリングが霧が晴れるように消えていった。


 ロープも境界も、最初から存在しなかったかのように。


 残ったのは薄暗い駐車場と、そこに倒れた「力」に魅了されていた人々。


 世界は何も変わらない。


 多くの人が振り回され、恐怖に晒され傷ついたというのに。


 その原因を作ったのは、たった一人。


 ほんの少し力を手に入れて、自分が特別だと勘違いした――


 たった一人の、それだけの若者だった。



「悪いことをした子には、ゲンコツ、ですか……」


 松下は傷を庇うようにして座り込む。


「それで済む話なら、よかったんですがねぇ……」


 呟かれたその言葉は、誰にも聞かれず星の輝く夜の空へと消えていった。

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