――鳴らせ
吸血鬼の体が、ぐらりと揺れた。
虚ろだった瞳に、一瞬――確かに、光が戻る。
「……モチ……ヅ……」
掠れた声で名前を呼ばれ、心臓が跳ねた。
――まさか……戻った?
だが、その期待はすぐに打ち砕かれる。
吸血鬼の目から感情がすっと消えた。
さっきまで宿りかけていた意志が、引き剥がされるように霧散していく。
「……って、一瞬かよ!」
思わず、声が漏れる。
今、魅了解けたはずだろ!?
なんだその「希望見せて即没収〜」みたいな演出は!
さっきから「やったか→やってない」が多すぎんだよ!
「おい! 吸血鬼! お前、俺より強いくせになに素直に魅了されてんだよ!」
ダメ元で声をかけてみるが、全く反応がない。
「お前うちの社員だろ! うちは副業禁止だ! 竹原との掛け持ちは許さんぞ!」
しかし、松下さんの言う通り、《《外からいくら声をかけても》》意味がないっぽいな。
吸血鬼は再び、糸の切れた人形のように立ち尽くす。
「……ちっ、やっぱ殴るしかないか――」
「……ははっ」
諦めてバットを肩に担ぐと、背後から楽しそうな嗤い声。
「クズ女とはいえ、こんな便利な駒よぉ」
いや、違う。
糸はまだ切れてない。
「そう簡単に解除させるわけ、ねぇだろ?」
糸を操っている張本人、竹原が肩をすくめて愉快そうに顔を歪める。
「……あぁん? なんだとコラ」
俺が睨むと、竹原は自分のこめかみをトントンと叩いた。
「俺の魅了はな、一枚だけじゃねぇ」
にやりと歯を剥く。
「こいつに関してはなぁ、解除された瞬間に次が噛み合うように重ねてある」
「……はぁ? なんだそれ」
「言ったよなぁ。俺は元の持ち主より強化してスキル使えるってよぉ」
吐き捨てるように。
「夜の吸血鬼は強ぇ。昼間は使えねぇゴミっつー弱点を差し引いても、なぁ」
だから、
「保険くらい、かけとくに決まってんだろ」
保険ってお前……。
まぁ確かに、ビビりだもんなこいつ。
そらぁ殴れば解除っていう明確な弱点、どうにかするか。
「……そんなことできんのなら先に言っとけよ」
後出しジャンケンとかほんとやめて。
お前そんなことばっかしてっから嫌われるんだぞ。
竹原は心底楽しそうに嗤い、また頭をトントンと指先で叩く。
「スキルは使いようだ」
トントン。
「お前らみてぇなバカには――難しかったか?」
……クソが。
トントントントン、その仕草マジでやめろ。
すげぇムカつく。
ドヤ顔と相まってマジで殴りたくなる。
そして――
竹原は、吸血鬼に向けて指を突きつけた。
「命令だ、吸血鬼」
お前、楽しそうだな、ほんっとに。
「望月を殺せ」
自分で来ないチキン野郎が。
「……ただし」
竹原の口元がぐにゃりと歪む。
「死ぬほど痛めつけてから、な」
瞬間。
――ぶわっ!
吸血鬼の周囲に、爆発するように血の霧が渦巻いた。
刃。
槍。
鞭。
血液魔法が、一斉に展開される。
「……おぉ、マジか」
数も圧も洒落にならんのだが?
こんなのまともに受けたら、今度こそ普通に死ぬかもしれん。
でも――
「一回でダメならさぁ……」
金属バットを握りしめ、吸血鬼へ踏み込む。
「戻るまで殴り続けりゃ、よくね?」
この際パワハラとか言ってられん。
業務を滞りなく進めるための対処だ、俺に大義はある。
幸い、吸血鬼の頭はものすごい頑丈みたいだからな。
あと数発、いや数十発殴ったところで大丈夫だろ。知らんけど。
吸血鬼に向かう俺にの背後で竹原が吐き捨てる。
「はっ、バカが。忘れたのかよ、テメェ如きじゃ防げねぇだろ」
血の刃が一斉に襲いかかる。
視界を埋め尽くす、赤。
竹原の言う通り、俺が万全な状態でもこれを防ぐのは無理だろう。
肩と足に攻撃食らって、ツッコミまくって体力も限界。
松下さんにも頼れない。
状況はさっきより悪いんだから、防げるわけがない。
「――悪くなってんのが俺だけならな」
金属バットを振る。
ガキィン!
カンッ!
弾く。
叩き落とす。
「よし、やっぱりな!」
さっきの柔らかい血の障壁。
あれ見てピンときたんだ。
「はっはぁー! 吸血鬼、お前――」
俺は叫ぶ。
「ガス欠だろ!!」
血の刃は遅い。
槍も狙いが甘い。
飛んでくる血の武器たちはどれもこれも精度が、落ちている。
「言ってたもんなぁ! 血液魔法は燃費が悪いって!」
応接室で見たときより、明らかに。
「俺の血、ちっとばかし吸ったくらいじゃよぉ!」
「魅了解除に応急処置!」
「おまけに、あれだけバカスカ撃ちまくりゃ!」
見えた勝ち筋に自然と息が荒くなる。
「そりゃ、魔力も持たねぇよなぁ!!」
血の刃を弾きながら、距離を詰める。
引き攣ったような竹原の声。
「……なっ!? ま、待て……っ!」
竹原が俺に向かってこようとする気配。
「おいおい、お前の相手は俺じゃねぇだろ!」
「……!?」
竹原の背後で、松下さんが呟いた。
「――『ゴングを』」
カァァァァン!!
場違いな乾いた金属音が、駐車場に鳴り響いた。
「……な、なんだ!?」
竹原が周囲を見回す。
気づけば。
俺と吸血鬼の外側。
竹原と松下さんの周囲に――
四角い柵。
張り巡らされたロープ。
「……は?」
思わず、間の抜けた声が出た。
「な、なにそれ!? かっけぇ!!」
まさか、松下さん……!
領域を展開する的な、そういう系!?
「テメェ……ジジイ!!」
竹原が怒鳴る。
「なにしやがった!!」
松下さんはただ静かに構える。
「竹原くん」
淡々と。
「あなたも、先ほど言っていたでしょう」
感情を乗せず。
「私には、切り札がある、と」
「……へえ」
「そう、私の切り札です」
松下さんはにこりともしない。
「とはいえ……吸血鬼さんのような必殺技、というほど派手ではありませんが」
拳を握り、竹原を見据える。
だが、さっきのパンチも竹原の『石頭』でガードされた。
そのせいで松下さんの拳は血だらけだ。
もう片方の手だって折れている。
おまけに頼みの『鉄腕』も竹原に押収されたままだ。
竹原が嗤った。
「ハッ! そのザマで何ができるってんだァ! 忘れたのか? さっきのラッキーパンチもダメージは――」
「スキルなど」
松下さんが遮った。
「要りません」
キュッ。
革靴が、コンクリートを噛む音。
「ステータスも」
一歩。
また一歩。
「レベルも」
間合いに入る。
竹原はまだ余裕ぶった顔で――
そして。
「……あ?」
眉をひそめた。
「……スキルが、発動……しねぇ?」
松下さんが竹原の目の前へ。
「――そんなもの、ここには必要ない」
――ドンッ!!
重く、芯に響くような打撃音。
竹日の目が見開かれ、
そして、
空気が抜ける音。
「――かひゅっ……!?」
完璧なフォームの、ボディブロー。
松下さんの血だらけの拳が、竹原の腹に綺麗に叩き込まれた。




