三度目の正直
静かになった。
さっきまで鳴り止まなかった足音も、呻き声も、もう聞こえない。
「……はぁ、はぁ……しんど」
……やっと、か。
俺はハリセンをだらりと下げたまま、膝に手をつく。
肺が焼けるみたいに熱い。
傷口も痛む。
スキルとステータスの恩恵で動けてはいるが、身体の方は普通に悲鳴を上げている。
松下さんも同じだろう。
膝をついて、折れた腕を押さえて浅く息を吐いている。
「……ギリギリだな、マジで」
倒れた避難民。
倒れた警官。
全員、意識はない。
駐車場には動くものはもういない。
立ち上がり、ハリセンを肩に担いで息を整える。
五十人以上相手にするのは流石に堪えた。
倒れてる奴を踏まないように、無駄に広い駐車場を走り回る羽目になるし。
「終わりましたね……。望月さんのおかげで助かりました」
松下さんは低い声でそう言って立ち上がる。
「とりあえず、ですけどね」
俺は顔を上げる。
そして、竹原を見る。
あいつは、変わらず立っている。
さっきまでの余裕も、嘲りも、歪んだ笑みもない。
まるで足元が崩れ落ちたみたいな顔で、自分の周囲を何度も見回している。
あいつの兵士であり盾である市民は、もう全部動かない。
もう、あいつのものじゃない。
「……なん、だよ……」
竹原の声が、震えていた。
「……なんで……」
俺は一歩、前に出る。
松下さんも、遅れて並ぶ。
「さて……来ないのか?」
「……っ!」
竹原が、歯を噛み締める。
「こっちは手負い二人だ。お前一人でも、どうにかなるかもしれんぞ?」
今のこいつなら、やれるはず。
手負いの俺たち二人相手なら、勝ち筋は十分ある。
竹原は、スキルを奪って強くなったはずだから。
石頭、鉄腕……それ以外にも何か持ってる可能性は高い。
現に、松下さんの完璧な奇襲は防いだ。
その上でスキルを奪い、反撃までしている。
だけど、竹原は動かない。
ただ、俺たち二人を見ているだけ。
「……まぁ、理由は分かるけど」
こいつは、殴り勝ちたいわけじゃない。
自分が正しいって認めさせたい。
自分の方が上だってことを理解らせたいんだ。
松下さんにしたように。
だから、出てこない。
だから、手を出さない。
自分が強いから勝つ、じゃダメなんだ。
自分が《《正義だから》》勝たなきゃ意味がない。
「……面倒くさ。ほんっとに、どいつもこいつも。みんなもっと適当に生きりゃいいのに」
俺は、ハリセンを見下ろし――ため息をついた。
「もういいや」
そう言って背中に手を伸ばす。
ズルリ、と重たい感触。
背中から引き抜いたのは相棒――エクスカリバット2号だ。
「……望月さん?」
「こいつ、頭硬いでしょ」
ハリセンを放り捨て、金属バットを肩に担ぐ。
ハリセンよりも安心する、慣れ親しんだ重さが伝わる。
やっぱりいいな。
こっちの方が性に合う。
「おい、竹原」
一歩、踏み出す。
「お前の負けっつーことで、大人しく俺に一発殴られろ」
竹原の眉がぴくりと動いた。
「……俺の、負け?」
もう一歩。
「そうだろ? だってお前、もう詰んでるじゃん。負けを認めろよ」
ったく、こっちは残業の上に労災まで……俺は疲れたんだよ。
距離を詰める。
こいつに考える時間を与えるのは悪手だ。
こいつが正義を捨てて、あの札を切る前に仕留めたい。
……まぁ、無理そうだったら最悪放っといて逃げりゃいいんだけど。
「竹原くん、もう終わりにしましょう」
松下さんの言葉にも、少しだけ焦りが見える。
竹原はしばらく黙っていた。
視線を伏せ、歯を食いしばり――
やがて、小さく呟く。
「……負け、だと?」
震えた声。
「詰んでる……? 俺が……?」
竹原は何かを探すように視線を彷徨わせた。
倒れた人間か、崩れた秩序か。
それとも、自分か。
そして、顔を上げる。
こちらを睨むその目は、怒りと困惑が混ざっていた。
「こんな……こんなクズどもに?」
「お前が言うな」
即ツッコむ。
「俺は……!」
竹原は頭を押さえ、ぶつぶつと呟き始めた。
「違う……違う……!」
顔を上げ、叫ぶ。
「正義《俺》は負けてねぇ!!」
狂ったような目。
「俺は神に選ばれた! 世界に認められたんだ!!」
「いや、うるせぇな」
ガンギマリじゃねぇか。
どうでもいいから頭出せよ、殴りやすいように。
「詐欺師……いや、望月」
竹原が、俺を見る。
「お前は……分からねぇんだな、正義《俺》が」
「分かりたくもねぇよ」
俺は、バットを握り直す。
「つーか興味ねぇし」
一歩、踏み込む。
「とりあえず、お前も気絶しとけ」
バットを振りかぶる。
――今だ。
こいつを叩けば、終わる。
魅了されてるのは、もう一人だけ。
吸血鬼。
それに、竹原が吸血鬼の頭を吹き飛ばす命令なんて――
……いや、待て。
一瞬、脳裏をよぎる。
こいつなら、やりかねない。
でも、それをやったら切り札がなくなるよな?
保険として残しておくだろ、こいつビビりだし。
うん、だから、やらない。
頼むぞ竹原。
そこは信頼してるぞ。
でもまぁ、そうなったらそうなったで――
「そん時考えよっ、と!」
俺は、全力で振り抜いた。
「そうかよ」
ガキンッ!!
硬い。
手応えが、ない。
竹原の目がいやらしく細まった。
「……だったらよぉ」
微かな血の匂い。
「あー、もう! またこれかよっ!!」
血の障壁。
三度目だぞ、この流れ!
「いい加減しつけぇんだよ!」
叫んだ瞬間。
――ドンッ!!
空気が、爆ぜた。
轟音。
視界の端で赤黒い何かが膨張する。
「――やばっ!?」
反射的に、そちらへバットを構える。
直後。
ズガァァン!!
デケェ血の槍が、真正面から叩きつけられた。
「がは――ッ!!」
衝撃で身体が宙を舞う。
ガードは間に合ったはず、なのに!
勢いが殺しきれない。
背中から地面に叩きつけられる。
「……ぐっ、クソ……!」
視界が揺れる。
「俺の正義が分からねぇならよぉ……」
竹原が、嗤う。
「ハハッ、わからせるしかねぇよなぁ?」
――ドォンっ!
避難所の壁が、内側から破壊される。
「俺が、正しいってことをなァ……!」
ひび割れ。
崩落。
瓦礫が舞う。
血の匂いが、濃くなる。
「……やっぱり、来たか」
俺は苦笑した。
赤い霧が、空間に満ちていく。
集まり、渦を巻き――形を成す。
「……ずいぶん遅かったじゃないか、吸血鬼」
虚ろな目。
血の涙。
滴り落ちる、紅い血。
竹原の横に、彼女は現れた。
「……マジでしんどいんだけど」
盤面は、ひっくり返った。
――最悪の形で。




