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それはそれ

 松下さんは片腕だけで構え、残った拳をぎゅっと握り込む。


「ハハッ……一か八か、って顔してんなぁ」


 竹原が、楽しそうに言った。


「やってみるか? 上手くいけば、犠牲は最小限で済むかもなぁ」


 それを無視して、松下さんが腰を落とし、踏み込もうとして――


「あぁ、言い忘れてたが」


 竹原が、まるで思い出したかのように軽い調子で付け足す。


「俺に攻撃した瞬間、こいつら全員――廃人だぞ?」


「……っ!」


 空気が、止まった。

 松下さんの動きも、完全に止まる。


「そう、命令してある」


 竹原は指先で自分のこめかみをトントン叩く。


「俺に向けて敵意のある攻撃が行われた瞬間、魅了した連中の頭ン中にある魔力をな……ぐちゃぐちゃにかき混ぜる」


 こいつ……!

 やることが本っ当に!!


「精神を直接、だ。壊す。廃人一直線。こういう使い方もできるんだよなァ」


 竹原は、にやにやと松下さんの顔を覗き込む。


「まぁ、そうなった後のあんたの顔も、ちょっと見てみたいがな?」


 松下さんの拳が、わずかに震えた。


「それに――」


 竹原は肩を竦める。


「俺を気絶させた程度じゃ、魅了は解除されねぇ」


「……どういうことです?」


「なんだ、俺を落とせば全部終わりだとでも思ってたのか? つくづく甘いなぁ、あんた」


 竹原はやれやれと言わんばかりに首を小さく振った。


「少し考えれば解るだろ。その程度で解けるなら、吸血鬼があんなに苦労するわけねぇ」


 竹原は楽しそうに続ける。


「殺せば……まぁ、どうなるかは分からねぇな。前例がねぇもんでな」


 そして、ゆっくりと首を傾げる。


「だがよ。あんた、俺を殺せるか? 部下や一般人を巻き込んで?」


 その言葉が、深く突き刺さる。


「それ以前に、人を殺した時点で――あんたの『正義』ってのは、どこに行くんだろうなァ?」


 言葉を重ねるごとに。

 松下さんの表情から、選択肢が一つずつ削られていく。


 沈黙。

 長く、重い沈黙。


 竹原は、ただそれを眺めていた。

 勝ちを確信した者の顔で。

 ヘラヘラ笑いながら。



 やがて――


 松下さんは、拳を下ろした。


 ほんの数センチ。

 だが、決定的だった。


 竹原の口元が歪む。


「は、はは、ははは! 良ぃぃい顔だァ!」


 心底、愉快そうに。


「そうだよなぁ。あんたはそういう人だ。……だから好きなんだよ、松下さん」


 竹原の顔が、ぱっと明るくなる。


「ハハッ! あー、本当にいい顔だ松下さん!」


 心底楽しそうに、声を上げる。


「そうだよ、その顔だ。あんたの『正義』が『現実』に負ける瞬間ってのをなぁ……俺はずっと見たかったんだ! ハハッ!」


 竹原が、松下さんへと歩み寄る。

 無防備に、護衛も置かずに、一人で。


 そして、目を伏せる松下さんの顔を覗き込むようにして。

 醜く、楽しげに顔を歪めた。


「――最ッ高に面白ぇ! ハハハッ!」


 今まで以上に声を上げ腹を抱えて、嗤う。


「ハハハッ! ハハッ! ――はぁ……」


 だが突然、スンッと無表情になる。


「……その程度かよ」


 短く、吐き捨てる。


「その程度の覚悟で、正義ヅラしてんじゃねぇよっ!」


 ドゴっ!


「……ぐっ!」


 松下さんの身体が強く蹴り飛ばされる。

 駐車場を転がり、俺のすぐ近くで止まった。


「松下さん!」


 駆け寄るが……何度も俺を庇った傷、折られた腕、さらに今の一撃。

 松下さんはもう、ボロボロだ。


「……大丈夫ですか? その、色々と」

「えぇ……はい」


 ゆっくりと立ち上がり、竹原を見る。


「大丈夫。まだ……私は折れてませんよ」


 そう言って微かに笑う。


「手は……折れましたけどね」


 いや、ツッコめねぇよ……。

 その笑顔は、少しだけ疲れたように見えた。


 そして、竹原の視線がこちらに向く。


「さて、ジジィはもういい。もう何もできねぇからな」


 俺を睨み、指を差す。


「……次はお前だ。詐欺師」


 俺は黙っていた。


 松下さんがどうするか。

 それを、ずっと見ていた。


 「お前はどうする? 望月ィ」


 俺が見返すと、竹原は鼻で笑った。


「いや、テメェは違うな」


 ニヤリ、と。


「分かってるぜ。テメェは目的のためなら他人がどうなろうが構わねぇ。必要なら俺も殺す」


 ……分かってるじゃないか。


「さっきナイフ振るった時も、目は本気だった」


 こいつ、ここ最近で一番俺を分かってる人間かもしれん。


「だがな」


 竹原は、ゆっくりと手を広げる。


「今は動けねぇ。違うか?」


 周囲には、魅了された警官と女たち、それに大量の一般人。

 そして、店の奥――避難所の方角。


「ここでテメェが暴れりゃ、誰かが壊れる」


 俺の胸の奥が嫌な音を立てる。

 避難所の奥にいる、あいつの顔が脳裏をよぎったからだ。

 

 ……気にはなる。


「ほら、その顔。やっぱりだ」


 竹原は満足そうに頷く。


「強がって冷徹ぶっちゃいるが、テメェも状況には縛られる」


「……」



 気には、なるっちゃなるけど――



「つまり、何もできない。ジジィと同じでな」


「……」



 それはそれ、これはこれ――



「この勝負、俺の勝ちだ。ハハッ、俺の『正義』が正しいと、今、証明され――」



 ――じゃね?



「え?」


 思わず、声が漏れる。


「いや、別に俺は構わんけど?」


「……あ?」


 竹原が、間の抜けた声を出す。


「何が」


 俺は肩を竦める。


「ん? いやだから、別に構わんて。避難民がどうなろうが俺、正直どうでもいいし」


 俺の言葉を聞いた竹原が驚いたように目を見開く。


「……は?」


「俺さぁ……知り合いとか、子供とかが死ぬならさすがに後味悪いけどさ。でも後味悪いってだけだし。廃人くらいなら、ふーん、って感じ」


 自分でも驚くくらい、淡々と言えた。


「そもそもな? 松下さんが頑張ってるから付き合ってるだけで、元々お前殺して終わりにしようとしてたよな俺。お前攻撃すれば全員片付くなら……楽でいいかなって」


「て、テメェ……! 人としてどうなんだそれは! もう少しなんかあるだろ、おい!」


「いんやぁ、別に? つーか、お前に言われたかねぇし」


 竹原が目を丸くしてる。

 まるで理解できないものを見たような、そんな顔。

 分かる。

 俺も自分でビックリしてるし。


「じゃ、じゃあ、あのクズ女は! 吸血鬼はどうなってもいいのかよ!?」


「……吸血鬼?」


 血の涙。

 歪んだ呼吸。

 壊れかけた表情。


「そうだ! お前の仲間だろうが!」


 そうだ、あいつは俺の仲間。

 あいつが俺のせいで、壊れたように泣いて。


 でも……でもさ。

 やっぱり、《《それはそれ、これはこれ》》なんだよなぁ。


「おいおい、忘れたのか? 俺は『吸血鬼を裏切って捨てるつもり』だって、お前が言ったんだろ」


 さっきはノリで「あいつのために〜」なんて格好つけて出てきちゃったけど……考えたら俺、何も悪くなくね?


 うーん、その場のノリで動くと駄目だな。

 反省、反省。


 「竹原、考えてみ? 入社したての新人のために命かける奴なんている? いくらそいつが超絶美人のおっぱいちゃんでもよ? 普通に考えて、いないよね? じゃあ俺もそれっつーことで」


 それに、目当ての『魅了の魔眼』もお前に盗られて無くなっちゃったし。

 アイツももう……仲間としては用済みかなぁ。


 俺の本音を聞くと、竹原が口を歪めた。


「……なるほどな。じゃあ――」


 指を鳴らす。


「死ね」


 魅了された避難民たちが、一斉にこちらへ殺到する。


 俺は一歩前に出た。


 そのまま拳を――振り上げる。


 本気だ。

 そろそろ面倒くなってきたし、いい加減飽きたわ。

 こいつのくだらない王様ごっこもさっさと終わらせて風呂入って寝たい。


「望月さん、やめ――!」


 松下さんの声が、すぐ後ろから飛ぶ。


 だが、止める気はない。


 俺はそのまま右手で――


 背中からそれを引き抜き、勢い良く振り抜いた。


 パァン!


 乾いた、間の抜けた快音。


 倒れた避難民が一人、ゴロンと地面に転がる。


 ――怪我は、ない。


「……え?」


 松下さんが、呆然と見る。

 俺の顔を見て、そして手へと移る。

 視線の先、俺の手にあったのは――


「……ハリセン?」


 そう。

 ハリセンだ。


「いやさ」


 パァン!


 俺は、次の一人を叩き落としながら言う。


「今の俺が一般人殴ったら、下手したら死ぬでしょ?」


 パァン!


「別に構わんけど、それはさすがに後味悪いじゃん」


 パァン、パァン!


「で、なんかいい方法ないかなぁって考えてたらさ」


 パパン、パァン!


「さっき倉庫で見つけたのよ」


 パァンパァン!


「これは攻撃じゃない」


 俺は、言い切る。


「そう、ツッコミだ」


 そして、振り返って叫ぶ。


「だから松下さんも!」


 背中から予備のハリセンを引き抜き、松下さんへと放り投げる。


「……これ使って! それなら一線超えない!」


 松下さんは、呆然とそれを受け取る。


「……」


 一瞬、戸惑い。


 そして――


 ふっと、肩の力が抜けた。


「……まったく」


 小さく息を吐き、構える。


 片腕で。

 ハリセンを持って。


「……あなたは、本当に」


 苦笑とも呆れともつかない表情で。


「警察官泣かせですね、望月さん」


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