勝確
竹原の口元が、あり得ない角度で吊り上がった。
今から魅了を食らう側の顔じゃない。
むしろ逆のような……。
その瞬間、吸血鬼の指先がぴくりと震えた。
「……え?」
吸血鬼が、信じられないものを見たように目を見開く。
次の瞬間――
バチィッ!
吸血鬼が弾かれたみたいに一歩、二歩と後退った。
「っ……あ、ぐ……!」
瞳を押さえ、膝をつく吸血鬼。
悲鳴を噛み殺すような呻きが、部屋の空気を震わせた。
「吸血鬼さん!? な、なんで……?」
梅野さんが慌てて駆け寄るが、本人も状況を理解できていない。
「え……? ど、どうなったんだ? なんで吸血鬼さんの方が……?」
桐生さんも完全に混乱している。
対して竹原は――その全員を心底バカを見下す目で眺めていた。
そんな中、松下さんは魔力の流れを凝視し、目を細めている。
「……待ってください。今、魔力が……逆流して……?」
「逆流? どういうことですか?」
戸惑う桐生さんをよそに、竹原は喉の奥で笑い始める。
まるでこの状況すら全て読んでいたかのように。
「……くくっ、はっ……ああ、やっぱりなぁ! ハハッ、ハハぁッ!」
狂ったみたいに笑い出す竹原。
その笑いは、心の底から嬉しさが溢れて止められないような。
いや、笑いすぎだろ。イカれたか?
「待て……お前、何笑ってんだ」
魅了はどうなったんだ?
失敗……いや、それにしても俺の時とは違いすぎる。
竹原も吸血鬼も様子が変だ。
竹原は笑いながら、胸を張って言った。
「俺はな、《《この瞬間を待ってた》》んだよ。コイツが『魅了の魔眼』を俺に仕掛ける、この時をなぁ……」
「……っ!?」
吸血鬼が立ち上がろうとして――
「なっ!? おい、目から血が出てんぞ!」
アニメとか漫画じゃよくあるけど、目から血を流す人初めて見た。
実際に見たら、割とエグいなこれ。
「ま、まさか……私の……魔眼が……」
吸血鬼は狼狽し、俺たちを見向きもせずに手の平を見つめて震えてる。
手から滴る血がやけに鮮やかで――嫌な予感しかしねぇんだけど。
竹原が素早く吸血鬼の手首を掴んだ。
力は強くないのに、吸血鬼の腕が離れない。
「は、離して! なに、して――」
「遅ぇ。そう、全部遅ぇんだよ」
竹原の身体の奥から、ぞわり、とした魔力が溢れる。
空気の温度が下がるみたいな悪寒。
「テメェが魅了を発動させた瞬間、《《条件》》は揃ったんだ」
「「「……っ!」」」
俺だけじゃない。
全員が同時に背筋を凍らせた。
「……逆流じゃない。奪っている……魔力をっ!?」
松下さんの低い声が震えている。
「ハハッ、正解だよ松下さん」
竹原は満足げに笑う。
「松下さん! 何がどうなってる!? 吸血鬼、魅了は――」
「ああ、失敗だよ、詐欺師。だから言っただろ? 俺に魅了は効かねぇってな」
「な……っ……!」
血で濡れた吸血鬼の瞳が大きく揺れる。
抵抗しようとしても、掴まれた手が離れない。
夜の吸血鬼の力に勝つとか、コイツ何かやってんなっ!
「お前、うちの新人になんてことしてんだよ! 離せっての、セクハラだぞコラ!」
梅野さんが吸血鬼の身を案じるように叫ぶ。
「や、やめて慎ちゃん! 吸血鬼さんを離して!」
「黙ってろ美鈴。今忙しいんだよ」
竹原は完全に梅野さんを無視し、吸血鬼だけを見ていた。
――ヤバい。
何がどうヤバいかは分からんけど、これは絶対止めなきゃダメなやつだ。
俺はナイフを掴み、踏み出した。
「……ちっ、ヤベ――」
だが、俺より早く竹原が動いた。
吸血鬼の顎を掴み、無理やり顔を上げさせる。
「ハハッ、こうか?」
「や……め……っ……!」
吸血鬼のかすれた声。
竹原の顔は、心底楽しんでいるそれだった。
「ハハハッ! まさか自分がされるとは思わなかったろ、吸血鬼ィ!」
吸血鬼が苦悶に顔を歪める。
竹原は細い目で笑い、
「お前がさっき俺にやろうとしたこと――そっくりそのまま返してやるよ」
「っ……ぁ……」
吸血鬼の動きが止まる。
意識はあるはずなのに、抵抗の反射すら見えない。
「やめろ竹原!!」
ナイフを握り、距離を詰める。
竹原がちらりと俺に視線を向け――また、あの笑み。
「――遅ぇよ」
紅い光が吸血鬼の瞳に映り込む。
「……っ……こんな……の……いや……」
吸血鬼は震える声で抵抗しようとするが、体が言うことを聞かない。
「吸血鬼!」
「ぁ……ごめん……なさ……モチヅキ……」
泣きそうな顔で俺を見て小さく呟くと――吸血鬼はガクッと崩れ落ちた。
「お前! 俺のもんに何してんだ!!」
完全に間合いに入った。
うちの従業員に手ぇ出しやがって、マジでぶち殺すぞコラ!
「お前のもん? ハハッ……違ぇよ、詐欺師ぃ」
「うるせぇよ! お前はもう死ねッ!」
――先制斬り。
視界が竹原の首元だけに細く絞られる。
刃が首に吸い込まれるように――
ガキィンッ!!
「はっ……!?」
手に走った衝撃で、腕の骨が軋むように痛む。
確かに入ったはずの斬撃。
だがそれは、金属の音を立てて止まった。
微かな血の匂い。
そして……硬い感触。
「な、なんで……!?」
竹原の首元に、何かが浮かんでいる。
「ハハッ、ハハハッ! 残念だったなぁ、詐欺師ぃっ!」
紅黒い液体が固まったような、小さな盾。
血が光を反射し、揺れている――血の障壁。
「っ! 舐めんなッ!」
俺は連続で斬りつける。
一撃、二撃、三撃、全部叩き込む。
だが――
ガキィン、ガキィン、ガキィンッ!!
全て止まる。
全部、この血の盾に弾かれる。
「くっ、そがっ!」
斬っても斬っても、何一つ届かない。
そのとき――
「……ごめんなさい、モチヅキ」
絞り出すような、小さな声。
思わず動きを止めた。
「吸血鬼……?」
彼女は――まだ崩れた姿勢のまま、震える指先を床につき、ゆっくり、ゆっくりと体を持ち上げた。
「まさか……私が、こんな……」
「お前、どういうつもりだ!?」
「違う、違うの……っ! 身体が、勝手に……! 私は……っ!」
「はぁ!? 何言って――」
彼女はゆっくりと顔を上げた。
「……っ、お前……」
彼女の顔は、今にも泣きそうだった。
血の涙が流れていて、見るからに痛々しい。
「ハハハッ! どうだ気分は!? なぁ、おい! 吸血鬼よぉ! 意識があるまま、勝手に身体が動いて、嫌でも俺を守る! なぁ、今どんな気持ちなんだよ! これで魅了される奴の気持ちが分かっただろ! 教えてくれよ! ハハッ!」
「わ、私……今まで、こんな……」
「そこの詐欺師も『やったらやり返される』って言ってたよなぁ! 今まで散々魅了してきたんだ、自分がされても文句はねぇだろ!」
……なんだ、何言ってんだコイツら。
ちょっと何言ってっか分かんないんだけど。
「あぁん? まだ分かんねぇのか。察し悪ぃな」
「はぁ? お前調子乗んなよぶっ殺すぞ」
「やれるもんならやってみろよ。ほぉら、ここだここ。ここ狙えよ?」
自分の首を指差し挑発してくる竹原。
俺はイラッとしつつ反射でナイフを振るう。
ガキィン!
でも。
また血の盾に邪魔される。
「おい、邪魔すんな吸血鬼!」
「だ、だから言ってるでしょ! 身体が勝手に動くのよ!!」
「はぁ!?」
そこへ、松下さんが鋭く叫ぶ。
「望月さん! 彼女は今、操られています!」
「……は?」
「皆さん、竹原くんの目を見ないで!」
ちょっと待て。
その言い方は、まるで竹原が。
「やっぱりあんたは気づいたかよ。松下さん」
竹原が舌打ちをして松下さんを睨む。
「ええ、竹原くん。あなた、奪いましたね?」
「奪った……? 何言って……あっ!」
そうだ。
そういや、竹原はスキル奪取系のスキルを持ってる可能性が……あるんだった。
うっわぁ、ヤッベぇ。すっかり忘れてたわ……。
「竹原、お前……。吸血鬼から奪ったのか? 『魅了の魔眼』を」
竹原は、まるで核心を突かれたことすらご褒美みたいに、口の端をわずかに吊り上げた。
「なっ!? てことは今、彼女は……! おい、竹原! やめろ! それ以上は……!」
「慎ちゃん! やめて、やめてよ! 吸血鬼さんが……!」
桐生さんと梅野さんの叫びもむなしく、竹原はただ笑うだけだ。
「ハハッ、やっと気づいたかよ馬鹿どもが」
竹原がすっと手を挙げる。
吸血鬼の体がビクリと震え、竹原のほうへ勝手に一歩動く。
竹原はその様子を見て、にやりとさらに唇を吊り上げた。
「――これで分かったよな? 今、この場で一番《《上》》にいるのが誰なのか」




