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ぴえん超えてパオン

「……タケハラぴへ。私、アンタんとこじゃ、なんかバイブスあげてくのムリムリのムリで、ぴえんこえてぱおん。もうマジ退職しか勝たんから、今日からアンタと違ってかっこいい上司がいる職場で働くことにしました✌ いままで397❤️❤️ また会おーね!」









「「「「……は?」」」」








 







 避難所の中が、まるで時を止められたかのように固まっていた。

 誰もが口を半開きにし、呆然と吸血鬼を見つめている。

 その中で、竹原だけが口をぱくぱくと動かしていた。


「……な、何、言ってんだ?」


 やっとのことで言葉を発する。

 目が泳いでいる。

 頬が引きつっている。


 当たり前である。

 銀髪紅眼の絶世の美女が、突然訳分からないギャル語で退職する旨を伝えてきたのだから。


 みんなのその視線の先で、吸血鬼は――まるで別世界の話をしているかのように軽く首を傾げた。


「……ねぇ、この反応、なんなの? 貴方、言ったわよね? こっちで別れを切り出す時の一般的な挨拶だって。これ、完全に……」


 吸血鬼は、誰とも目を合わせぬまま微かに唇を動かす。


「何笑ってるのよ。ドン引きって、貴方が言えって言ったんじゃないの……」


 独り言のように呟きながら、指先で髪をくるりと弄ぶ。


「え? いや、だって……ねぇ? ……え、検証? 私の知識? ……貴方、まさか私で実験したの? 嘘でしょ?」


 まるで空気と会話しているようなその様子に、避難所の全員がますます混乱した。


 誰もがぽかんと口を開けたまま、吸血鬼を見つめている。

 その中で、竹原だけが顔を引きつらせながら声を搾り出した。


「……お前、イカれたのか?」


 さすがの竹原も目の前の女の頭がどうかしたのかと、声を掛ける。


「あ、え? 何かしら? ごめんなさい、聞いてなかったわ。ああ、貴方じゃないわ、気にしないで。タケハラが何か言ってるのよ。……で、何?」


「な、なんだよお前……誰に喋ってんだ……?」


「こっちの話だから気にしないでって言ったでしょ。とにかく、ぴえんでぱおんだから、退職しか勝たんなのよ。ムリムリのムリなの、分かるでしょ?」


 その軽い調子に、竹原の額に青筋が浮かぶ。

 竹原の顔が、ゆっくりと紅潮していく。


「……て、めぇ……」


 声が震えていた。

 手にした拳銃の銃口が小刻みに揺れる。

 避難所の照明がちらつき、銃口が銀の光を反射する。


「ぴえんとかぱおんとか、何言ってっだテメエ! 退職……退職だと? 俺を、バカにしてんのか!? お前、誰に口きいてると思ってんだよ、ああッ!!」


 怒鳴り声が避難所に響く。

 だが、吸血鬼は相手にもしない。

 ただ、竹原の叫びを、夜風のような静けさで受け流す。


 と言うより、無視している。


「ほら、また怒ったじゃない。やっぱり『ぴえんこえてぱおん』がダメなんじゃないかしら。言ってる私も意味分からないし。あとは『かっこいい上司』ってところも、ちょっと……。え、タケハラ? ……ふふ、確かに、面白い顔してるわね」


 竹原の怒りの叫びも右から左へ、また姿の見えぬ誰かと楽しそうに話す吸血鬼。

 脳内に響く声に、くすくすと笑いながら竹原をちらっと一瞥する。

 

「笑ってんのか……!? この俺を、笑いやがったなッ! この、薄汚ぇ魔物がッ!!」


「……え、ごめんなさい、なんて? 今、上司のモラハラについて話してて、ちょっと忙しいのよ。後にしてくれない?」


「……は?」



 ――ぷち。


 何かが切れる音。


「な、な、舐めてんのかコラァッ!!」



 パァンッ!


 銃声が炸裂。

 誰かが悲鳴を上げる。


 火花が散り、弾丸が空を裂く。


 だが――


 カキンッ!


 ……ぽとり。


 放たれた弾丸は吸血鬼の前でぴたりと止まった。

 微かな血の匂いと金属の音を立てて、鉛の玉はぽとりと床に落ちた。


「ちょっと、危ないじゃない。いきなり撃つなんて……驚かせないでよ」


 吸血鬼の目の前に、赤黒い膜のような盾が浮かんでいた。

 液体が揺れ、光を反射する。



――それは血の障壁。



「な、なんだよそれ……す、スキルか? そんなスキル、聞いてねぇぞ……!」


「あら、言わなかったかしら? 私、魅了以外も持ってるの」


 竹原の顔が、再び怒りで歪む。


「ふ、ふざけんなぁぁぁっ!!」


 怒りに任せて、再び引き金を乱暴に引く。


 パァン、パァン、パァン――!


 すべての弾丸が、血の盾に弾かれて床を転がった。

 乾いた音が途切れ、銃が空打ちの音を立てる。


 カチ、カチ、カチ――。


 沈黙。

 その中で、吸血鬼が小さく首を傾げる。


「……子どもの癇癪みたいなこと、やめてくれる? いい大人がみっともない。それに、攻撃力の割に音がうるさいのよ、それ」


 吸血鬼が、ゆっくりと目線を上げた。

 その瞳は、もはや人のものではない。

 紅く、深く、吸い込まれるような光が、竹原の心を掴み取る。


「で? もう終わりかしら?」


「く、くそ……くそがぁ!」


 竹原が拳銃を投げ捨て突進。

 怒りのままに吸血鬼に殴りかかる。


 その拳を、吸血鬼は無造作に――片手で受け止めた。


 パシッ、と乾いた音。


「……は? な、なんで……!」


「言ったでしょう? 私は吸血鬼。夜の眷属よ。夜の私に、あなた程度の拳が届くと思って?」


 パッと拳を離され、竹原はたたらを踏んで尻もちをつく。

 みっともなく床を這いながら後ずさる。

 先ほどまでの威圧感はもはや見る影もない。


「ひぃっ……や、やめろ、くるな……!」


 吸血鬼はゆっくりと歩み寄る。

 コツ、コツと黒いブーツの音が、静かな避難所にひとつひとつ響いた。

 紅い瞳が暗闇で妖しく光り、唇の端が愉快そうに吊り上がった。


「あらあら、どうしたの? 私のことを『犬』とか言って、あんなに偉そうだったのに」


「や、やめろって言ってんだろぉ!」


 恐怖で逃げる竹原の背中に、どん、と何かがぶつかる。

 振り返れば、魅了された兵士が無表情に立っていた。

 竹原の顔が一瞬にしてひらめく。


 ――ニヤリ。


「……は、ははっ! どうだ? こいつらがどうなってもいいのかッ!?」


 竹原は魅了兵を前に突き出す。


「動くなよ! 一歩でも近づいたら、コイツら全員ぶっ殺す! 言ったぞッ!」


 突き出した兵士の腕には、怯えた避難民の姿。

 松下たちが息を呑み、叫びかける。


「竹原くん!」

「やめろ、竹原!」

「や、やめて慎ちゃん! その人たちは……!」


「うるせぇ! お前ら黙って見てろ! コイツがまた逆らったら、一人ずつぶっ殺してやる!」


 吸血鬼は冷ややかに睫毛を伏せた。


「好きにすれば?」


「な……っ!?」


 月光に照らされて輝く銀髪をくるくると弄び、毛の先ほども興味無さげな吸血鬼。


「別に構わないわ。私には関係ないもの。赤の他人がどうなろうと知ったことじゃない」


 竹原の口が、あんぐりと開く。

 松下たちも驚愕で動けない。


「で、でも、その人たちは何の罪もない――」


 梅野が叫ぶ。

 しかし、吸血鬼は梅野の言葉を遮る。


「あなた達、何か勘違いしているようだけど……」


 吸血鬼が振り返り梅野たちを見る。


「私はヴァンパイア、吸血鬼よ。人間に近い見た目をしているけれど、紛れもない魔物。あなたたちからしたら敵よね。私を迫害した奴らと同じ人間が、勝手に潰し合ってくれるなんて……願ったり叶ったりだわ」


「な……っ!」






「……ただね」


 吸血鬼が小さく笑う。

 どこか、懐かしむような、柔らかな微笑。


「私の上司なら、彼なら、きっと気にするの。面倒くせぇとか言いながら、助けようとするのよ……あの人、ああ見えてお人好しだから」




 それを聞いて、竹原が、勝ち誇ったように笑う。

 この女の弱点を見つけたとばかりに。


「そうかよ! じゃあ見せてやる! こいつらががどうなるかをなぁ!」


 怒号とともに命令を飛ばす。


 「やれ! 人質を殺せ!」



 ――だが。



 誰も、動かない。


「……あ?」


 竹原の顔から笑みが、凍りつく。


 再び命令を飛ばす。


 「おい! 命令だ! やれ!」


 沈黙。


「殺せ! 動けっ! そいつらを殺せって言ってんだよっ!」


 ピクリとも動かない魅了兵たち。


「……な、なんでだよ……おい、聞こえてんのか!?」



 また、一瞬の静寂。



 誰も動かない。

 竹原も松下たちも、捕まっている避難民たちも何が起こっているのか分からない。


「……ふ、ふふ」


 そのとき、静寂を破るように、吸血鬼の口元がふっと上がった。


「ふふふっ……残念だけど、タケハラ」


 小さな笑い声が、避難所に木霊する。


「その子たちはもう、あなたの犬じゃないわ」


 その言葉と同時に、魅了兵たちが糸が切れたようにその場へ崩れ落ちた。

 床に倒れる音が、連鎖して響く。


 口元が妖しく弧を描く吸血鬼。

 吸血鬼が肩をすくめ、小さく笑っている。


「やれやれ。助かったわ。あなたがペラペラと演説してくれたおかげね」


「……は?」


「おかげで、じっくり仕込みができたもの。あなたがご自慢の支配者ごっこをしてる間にね」


 吸血鬼が、白い指をひらりと掲げる。

 そこに、霧のような血の粒子が漂っていた。


「私の血を霧にしてその子たちに吸わせて、頭の中で少しだけ魔力を流したの。頭に宿る魅了の魔力を、血を媒介に上書きして無効化」


 吸血鬼が、一歩、竹原に近づく。


「出来ないと思って今までやらなかったけど……試してみたら意外と簡単でね。どうして今まで気づかなかったのかしら。……私の長年の後悔や葛藤は、なんだったのかしらね」



「さて。次は、あなたの番ね――」



紅い瞳が、薄暗い室内で妖しく光った。




「タケハラ?」

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