上司の無茶振り
「遅えぞ、吸血鬼! 何してやがった、このクズが!」
「……ごめんなさいね、処理に時間がかかってしまって」
黒コートを翻しながら現れた美女。
銀髪が月明かりに妖しく光り、紅い瞳が静かに竹原を射抜く。
まるで氷の上に立つ女王のような佇まいは、ただ美しく、冷たく、妖艶だった。
「うるせぇよ、魔物風情が。処理ってなんだ、俺の命令を無視してんのか、あぁ?」
竹原の声に棘が刺さる。
吸血鬼は小さくため息を吐き、視線をわずかに逸らした。
その瞳の奥に、どこか呆れた色が浮かぶ。
「はぁ……、彼の後だとなおさら酷く見えるわね」
無意識に、先程まで一緒にいた彼――望月と比べてしまう。
竹原の幼稚で支配欲丸出しの態度が、彼女の中で滑稽に映った。
「はぁ? さっきから訳分かんねぇこと言ってんじゃねぇぞ! 何の話だ!」
「いえ、こっちの話よ。あなたには関係ないわ」
「なっ!? お前……!」
竹原の頬が引き攣る。
思いがけない吸血鬼の言葉に、タケハラは苛立を募らせる。
だが、彼女の瞳は揺らぐことなく、むしろ鋭く、静かな威圧を放つ。
「……お前、その生意気な態度は何のつもりだ。あんなに俺に媚び売ってた奴がよ。ちょっと使ってやったからって、調子のってんのか?」
「聞こえなかったの? あなたには関係ないって言ったわ。……それで、あなたは何をやっているのかしら。ずいぶん楽しそうだけど」
吸血鬼の声は低く、甘く、しかし底に冷たい棘を孕ませていた。
竹原の眉がピクリと跳ね、唇が歪む。
「……ちっ、まあいい。何をやっているか、だと? 見てわかんねぇか? 《《しつけ》》だよ」
「しつけ?」
「そうだ。言うことを聞かねぇ馬鹿どもに、誰が一番偉いのか教えてんだよ。まったく、俺は忙しいってのに、手を煩わせるクズばかりで困ったもんだぜ」
「……ふぅん」
吸血鬼は興味無さげな顔で聞き流し、視線を床に転がる男へ落とす。
血と唾が混じった染みが、ゆっくりと広がっていた。
「それでよ、アイツはどうなった」
「あいつ……?」
「あぁ、あの詐欺師だよ! あのまま放置したのか? それとも、魔物に食わせたのか? こいつらが気になってるみたいでよぉ、ハハッ、あいつの最期を教えてやれよ」
竹原はまだ、自分の命令に従う道具として吸血鬼を見ている。
拳銃を握る手がわずかに震え、銃口が無意味に宙をさまよう。
「そうね……私の知る限りでは彼、魔物に貪られていたわ」
吸血鬼はその美しい顔をニィっと歪ませた。
紅い瞳を潤ませ何かを思い出すような、どこか恍惚とした表情で語る。
「よっぽど美味しかったのね。飛びついた魔物が彼の滴り落ちる赤い血を口にした瞬間、幸せそうな顔して蕩けていたわ」
その顔を見、その言葉が落ちた瞬間。
松下たちの表情が一瞬凍る。
「ハハッ、そうか! あいつ、魔物に食われやがったのか! ハハハッ、聞いたか、おい! 傑作だ! お前らのお友達は薄汚え魔物の腹ん中だとよ! 一般人のくせに俺に楯突くからだ! ハハハッ!」
松下の瞳が鋭く細まり、梅野の肩が小さく震える。
桐生は奥歯を噛み締め、拳を握りしめた。
「あ、あなたは……誰ですか! 望月さんをどうしたの……!」
梅野が恐る恐る問いかける。
声は震え、瞳は涙で潤んでいた。
吸血鬼はゆっくりと首を傾け、鋭い視線を梅野に突き刺す。
「……あなたが、彼の想い人ね?」
「なっ……!? 何言ってるんですか!?」
梅野が動揺し、吸血鬼のが唇が妖しく弧を描く。
「あら違うの? 彼、魔物の餌食になる前にそんなことを言っていたわよ。『避難所に可愛い子がいる、話した時間は短いけれど俺が守ってあげたい』って。……あなたのために単身危険な偵察任務に来たんじゃないの?」
吸血鬼の挑発的な視線が梅野を舐めるように這う。
口元に、妖しい笑みを浮かべたまま。
「ふふ、こんなかわいい子なら、守りたくもなるわよねぇ。……彼、好きそうだし」
吸血鬼の視線が梅野の胸元で止まり何かを呟いた後、ゆっくりと上目遣いに見上げる。
その視線を振り払うように、梅野が吸血鬼に詰め寄る。
「だから、何言ってるんですか! 望月さんはどこですか! あなた、何か知ってるんでしょ!?」
「ふふ、彼が心配なの?」
目の前の女からは異様な雰囲気が漂う。
しかし、震える拳を握りしめ、声を張る梅野。
「あ、当たり前です! だって、望月さんは――」
吸血鬼は首を振る。
銀髪がさらりと揺れ、月光を弾く。
「出会って間もない男をそんな心配するかしら?」
「――え」
梅野の言葉が、喉の奥で詰まる。
吸血鬼は一歩近づき、梅野の耳元で囁いた。
熱い吐息が、耳たぶをくすぐる。
「そうでしょう? あなたと彼はここで少し話しただけの、ただの顔見知り程度のもの。お人好しの彼の善意につけ込んで、一人で危険な場所に向かわせて……」
梅野は顔を伏せ、唇を噛んだ。
肩が小さく震え、涙が一筋、頬を伝う。
吸血鬼は間髪入れず畳みかける。
「それに……あなたは彼に酷いことを言ったそうじゃない。八つ当たり、と言ってもいいわね」
「な、なんであなたにそんな事……!」
梅野が顔を上げる。
吸血鬼はそれを受け、余裕の表情――
「なんでって……え、なんでかしら? あれ? 私、こんなこと言うつもりじゃ……」
だったはずが。
ふと我に返るように、紅い瞳を瞬かせる。
「……え?」
吸血鬼の余裕ぶった態度が一変。
どこかポンコツな気配を漂わせ始める。
紅い眼が泳ぎ、顔を赤らめ、「そ、そんなんじゃないの、貴方何言ってんのよ!」と小声で誰かと話すように呟く。
突然の変貌ぶりに、梅野は涙で濡れた目を丸くさせ呆ける。
「失礼、もしかして、あなたは望月さんの……」
松下が会話を遮り吸血鬼へ問う。
そしてまた、何かを呟くと誤魔化すように咳をする。
「ちょ、うるさいわね! 今いいとこなんだから邪魔しないでよ! んっ、んっ! あら……へぇ、あなたがマツシタね。話は聞いているわ。私の魅了を打ち破った、とか」
ポンコツから妖艶な女へと瞬時に切り変わる。
吸血鬼の紅い瞳が月光を反射し怪しく光る。
その視線が松下の目を貫かんとする。
「っ……!」
どこか様子がおかしい目の前の女。
さりとて油断せずに観察していた松下は反射的に視線を外し、眉を寄せる。
だが、己の眼――魔眼に映る、吸血鬼から湧き出ている魔力に違和感を感じる。
「……大丈夫よ、安心して。魅了するつもりはないわ」
しかし、吸血鬼は素早く指を口元に当て、静かに「シーッ」と制す。
竹原に聞かれても不自然にならない範囲で、松下だけに小さな声で囁く。
「……あなたの眼は魔力を映すのでしょう。なら、ね?」
「……なるほど。そういうことですか」
松下は魔眼で魔力の流れを確認し、そこに宿る魔力を見た。
吸血鬼の言葉と眼に映る魔力。
望月と契約し、血を取り込んだ彼女の魔力には、当然、その雇用主の魔力が混ざる。
松下は吸血鬼の立場をすぐに理解し、小さく頷いた。
「彼に聞いたわ。まさか、あんな方法で魅了を解くなんてね……我ながら盲点だったわ」
「……昔から、悪いことした子にはゲンコツと決まってますから」
どこか居心地悪い風な顔で零す吸血鬼に、松下が淡々と返す。
吸血鬼はくすりと笑う。
「悪いこと、ね。なら私もゲンコツされちゃうのかしら」
「さぁ? それは……あなたの有能な《《雇用主》》に聞いてみてはいかがですか?」
「ふふ、そうね。あとで聞いてみるわ」
「ええ、それがよろしいかと」
先程までの緊張感は消え去り、まるで知り合い同士で世間話でもするような2人。
「あ、あの、二人とも、何を……?」
梅野は涙の跡が頬に残ったまま、視線は二人の顔の間を行ったり来たりして困惑していた。
二人の会話が途切れた瞬間、
「おい、お前ら! グダグダ勝手に話してんじゃねえよ!」
竹原が苛立ちが爆発し、威圧的に声を張る。
拳銃を振り回し、銃口を吸血鬼に向けた。
指が引き金をカチカチと鳴らし、顔が赤く歪む。
吸血鬼は浮かべていた笑顔をスンッと引っ込め、冷ややかな目で竹原を見据える。
「はぁ……本当に。彼と比べたら雲泥の差ね。これなら最初から彼に拾われたかったわ」
「その場合、面倒くさそうな顔してボヤいてる彼の顔が浮かびますね」
「でもなんだかんだ世話してくれそうだわ。嫌そうな顔してるくせに」
「ふふ、違いありません」
「だから、テメェら! 何楽しそうに話してんだ! 俺を、俺を無視すんじゃねぇっ!!」
竹原が苛立ちを爆発させる。
「吸血鬼! テメェ、俺を無視して勝手なことしてんじゃねぇ! あの詐欺野郎がどうなろうが知ったこっちゃねぇが、俺の言う通りに動けよ!」
銃口が震え、汗が額を伝う。
「誰のお陰で生きてられると思ってやがる! 死にそうだったお前を助けたのは誰だ! 命の恩人に歯向かうつもりか! わかったらさっさと魅了兵増やしてこい、クズが!」
吸血鬼はゆっくりと首を振る。
銀髪が揺れ、紅い瞳が竹原を見据えた。
その瞳に、初めて――微かな嘲笑が宿る。
「ふふ……タケハラ。あなた、本当に何もわかってないのね」
「あぁっ!? 何言ってやがる!」
静かに、しかし確実に。
避難所に漂う絶望の空気が変わる。
「……え、それ言えばいいの? 変なことじゃないでしょうね? 何それ……新しい呪言か何かかしら……? 本当にこっちで使われてるそういう挨拶なのよね? ……はぁ、まぁいいわ。上司命令だしね……んっ、んっ、ごほんっ!」
「だから、さっきからブツブツと何言ってんだテメェ!」
吸血鬼が。
まるで、どこかから頭に何か声が響いているような。
何か悪い電波を受信しているような。
上司からの無茶振りに応える部下のような。
何とも言えない顔で指でこめかみ辺りを叩き、少し首を傾げる。
紅い瞳がきらりと瞬いた次の瞬間――
「……タケハラぴへ。私、アンタんとこじゃ、なんかバイブスあげてくのムリムリのムリで、ぴえんこえてぱおん。もうマジ退職しか勝たんから、今日からアンタと違ってかっこいい上司がいる職場で働くことにしました✌ いままで397❤️❤️ また会おーね」
避難所の空気が凍りついた。
竹原が、口を半開きにしたまま動けない。
言った吸血鬼も、その空気に違和感を覚えて髪をかき上げる。
吸血鬼の頭の中で。
一人の男の「マジで言ったよコイツ!」と、噴き出したような笑い声だけが響いていた。




