正義の名のもとに
鈍い音が響いた。
次の瞬間、床に何かが転がる。
「どうしたよォ? あんだけ威勢よく吠えてたじゃねぇか。もう終わりか?」
床には一人の若い男――先ほどまで威勢よく竹原に食ってかかっていた避難民――望月曰く“オラついた兄ちゃん”だ。
今は床に這い、顔を腫らし、血の混じった唾を吐いている。
その上から、竹原のブーツが容赦なく降っていた。
「ほらぁ、どうした? さっきまでイキってた口が利けねぇのか? あ? 『お前ら警察なんか信用できねぇ』とか言ってたよなぁ?」
竹原が笑っていた。
笑いながら、拳を振るい、蹴りを入れる。
避難所の壁に叩きつけられた男が、情けない悲鳴を上げた。
「や、やめてくれ……もう、やめてくれ……!」
「『やめてください』だろうが!! 社会のルールも知らねぇバカが!!」
竹原の靴が、再び振り下ろされた。
鈍い音。血飛沫。
「ったくよぉ、どの口が言うんだ、おい。てめぇがどんな態度取ってたか忘れたのか? このクソがよぉ! あれだけ『俺は俺の自由に生きる』って吠えてたくせに、なぁ! 自由ってのはな、強ぇやつが勝ち取るもんなんだよ! テメェみたいなクズが口にしていい言葉じゃねぇんだよ!」
竹原の靴が、男の頬を横殴りにした。
血が飛び散り、避難所の床に点々と染みを作る。
竹原の怒鳴り声が避難所に響く。
竹原は笑っていた。
その笑みは、正義を語る者のものではない。
自分が支配する立場にいることを確認し、恍惚としている顔だ
周りを見れば、竹原から同じような仕打ちを受けたのだろう傷だらけの男たちが転がっていた。
警察官に自衛官、他にもこの避難所を協力して守っていた者たちが、見るも無残な姿となっていた。
この自称『正義の執行』は先ほどから、避難所に暴漢がなだれ込んできてすぐから行われていた。
その様子を、松下と桐生、そして梅野が見ていた。
桐生が一歩、前へ出る。
「――やめろ、竹原!」
桐生の怒鳴り声が響いた。
竹原は振り返りもせず、男の頭を踏みつけたまま、ニヤリと笑った。
「どうしたんすか、桐生先輩。止めたきゃ止めてみろよ。いつもみたいにさぁ?」
「な、なんだと……!?」
竹原は振り返る。
だが、その顔には怒りよりも優越感の笑みが浮かんでいた。
竹原の目が、冷たく桐生をとらえた。
「お前、どうしたんだ。こんなことをして……。自分が何をしてるのか、分かってるのか!」
「『何を』? はっ……分かってねぇのはあんただろ」
竹原が正面から桐生の目を見据える。
その迫力に、桐生は一瞬怯む。
「俺はよ……秩序を作ってるだけなんだよ。バカどもが勝手に暴れて、俺に楯突く。だったら、しつける。それのどこが悪い?」
「な、何を言ってるんだ……っ」
「……あぁ、やっぱ分かんねぇか。あんたみたいな“いい人ぶった正義マン”には一生わかんねぇんだよなぁ、俺の気持ち」
竹原は、踏みつけていた足をどける。
男は泡を吹きながら床に転がった。
「慎ちゃん、もうやめて! その人死んじゃうよっ!」
梅野が叫ぶ。
竹原は鼻で笑う。
松下が一歩前へ出る。
「……竹原くん。冷静になりなさい」
「松下さん……あんたいつも偉そうだなぁ。あんたも結局は俺を見下してたんだろ? なぁにが『冷静に判断しろ』だよ。俺のこと使えねぇ部下とでも思ってたんだろ!」
竹原は唾を吐いた。
視線の先には、怯えた避難民たち。
「止めたきゃ止めればいい。ほら、動いてみろよ? こいつら全員、すぐ死ぬぞ」
竹原が笑う。
笑いながら、ポケットから拳銃を取り出した。
滑らせるようにカチャリと装填音が響く。
「お前ら、ほんっと学ばねぇな。馬鹿なのか? 何度も言ってんだろうが。見ろよ」
指差した先、無表情は男たちが並んでいる。
彼らは皆、魅了された者たちだ。
そして、その腕の中には――避難民たち。
刃物を首元に当てられ、身動きも取れずに震えていた。
中には、竹原が殴っていた男の家族らしき女も混じっている。
拘束されたまま涙で顔をグシャグシャにして、倒れて動かない男の元へ駆け寄ろうと必死にもがいている。
「お前らが余計なことしようとすれば、こいつらは死ぬ。簡単な理屈だろ? 俺は秩序を守ってるんだよ。俺のルールに従う限り、誰も傷つかねぇ。なぁ、最高の社会じゃねぇか」
桐生は奥歯を噛み締めた。
竹原はニヤニヤと笑いながら続ける。
「……慎ちゃん、こんなの間違ってる!」
梅野の声が震える。
竹原は、まるで面白い玩具でも見つけたように笑った。
「おいおい、美鈴ぅ。お前まで泣きそうな顔してどうした? あのとき言ってただろ。『警察がいてくれてよかった』って。なぁ? 間違ってる? 誰が? 何がだよ、おい!」
「ひっ……!」
竹原の持つ拳銃が梅野に向けられる。
「はっ、何もできないクズのくせに、文句だけは一丁前だなぁ! いいか、お前らバカどもを、俺が管理してやってんだ。俺がルール。俺が法律。俺が王様。それのどこが間違いなんだよ、俺は間違ってねぇ!」
桐生が堪えきれず前へ出た。
竹原が銃口を向ける。
指先が微かに震えていたが、笑顔は崩れない。
「……竹原。お前、正気か?」
「正気? はっ、正気も何も、俺が一番正しいんだよ。お前らみてぇに口ばっかの正義マンと違ってな」
桐生はさらに一歩、前へ出る。
「竹原、もう――」
「おい、止まれ。止まれって言ってんだよ! ……いや、ほら、桐生先輩、ははっ、やってみろよ。いいぜ、ほら! 俺に逆らって、また正義ごっこしてみろよ」
「ひっ――」
捕まっている避難民から恐怖の声が漏れる。
数人の首から血が滲んでいる。
それを見て、桐生はそのまま動けずに固まる。
「くっ……」
「なぁ……松下さん。あんたもさ、黙ってねぇで何か言ってみたら? 冷静ぶって傍観者か? いつもそうだよな。最後にそれっぽいこと言って仕事したような顔しやがってよぉ、ウザいんだよ老害が!」
松下が鋭い視線を竹原へと向ける。
その冷たい瞳の奥が淡く輝く。
「……竹原くん」
「くっ……な、何だよ!」
その威圧感に、竹原の威勢が一瞬削がれる。
「君は、いつからこんなことを考えていた」
「な、くっ……得意の質問タイムかよ? まぁいいっすよ。優しい俺が答えてやりますよ。いつから、ねぇ……そりゃ最初からだよ。最初に力を手に入れたときから、俺はこうなるって決めてた」
その言葉に、松下が眉をしかめた。
「魔物が現れて、世界が変わった。そいつらをぶっ殺して、力を手に入れた。その時、声が聞こえた! 天啓ってやつだ! そして……俺は確信したんだ。俺は、間違ってなかったってなぁ!」
「な、何を言ってるんだ竹原! お前は、こんなことを望むようなやつじゃ――」
「うるせぇな!」
怒鳴り声が響いた。
「うるせぇんだよ、あんたはいつもいつもっ! 俺がどう生きようが俺の勝手だろ! 俺はな、ずっと思ってたんだよ。間違ってるのは俺じゃねぇ、世界の方だってな。警察だって同じだ。どれだけ正しいことしても、上が気に入らなきゃ潰される。だから俺が上になる。そうすりゃ誰も俺を否定できねぇ」
「竹原……お前は、そんなやつじゃなかったはずだ」
「そんなやつ『じゃなかった』? はは、何だよそれ。あんたに何が分かる……俺がどういうやつだったか、あんたが決めんのか? 理解ある先輩気取りか? あー、ムカつくわ。昔からそうだよな。《《桐生先輩》》は正しいことしかしねぇ。俺の言うことは全部間違い。そりゃ、ムカつくだろ?」
狂気と苛立ちが入り混じる笑い。
梅野が小さく言う。
「……慎ちゃん、まさか、誰かに操られてるんじゃ……魅了されてるんじゃないの?」
「……はぁ?」
竹原の笑いが止まる。
その目は完全に狂気を孕んでいた。
梅野が、怯えた声で言う。
「……そう、そうよ、いくら慎ちゃんでも、こんな事するはず――」
「あー……馬鹿か、お前?」
竹原が振り返る。
ゆっくりと、梅野に歩み寄る。
「俺が? 誰かに? 魅了されてるって? はは……おい……おい! おい、美鈴っ!
……お前、頭おかしいんじゃねぇの?」
顔を近づける。
「俺がそんなもんにかかるわけねぇだろ。舐めすぎだろ、俺は強いんだ。支配する側の人間なんだよ! 弱ぇ奴に操られるわけねぇだろうが!」
竹原が梅野の胸倉を掴み凄む。
「なぁ、なぁオイ! 美鈴、おい! ……俺を誰だと思ってんだ? 『警察官』だぞ? こっちが人を操る側なんだよ。分かるか? 支配する側の人間なんだよ俺は」
竹原は吐き捨てるように笑い、梅野の手元のスマホを奪い取った。
「ほら、得意の鑑定してみろよ。俺の頭ん中、覗いてみろよ。クズなお前にはそれしかないんだからなぁ!」
震える手で梅野がスマホをタップ、『人物鑑定』を起動させる。
たが、結果を見て青ざめる。
そこに《魅了》の文字はなかった。
「そ、そんな……、ま、松下さんっ!」
梅野の縋るような視線を受け止めた松下が、そっと首を横に振る。
松下のスキル『魔眼』。
その眼で視ても、竹原の魔力に魅了されたものの特徴である歪みはない。
竹原は勝ち誇ったように笑う。
「どうだ、何もねぇだろ? 『魅了されてる』だの『操られてる』だの、妄想もたいがいにしろ! 見ただろ? な? 俺が正しい。俺は《《正気》》なんだよ」
そう言って、竹原は嬉々として語り出した。
「俺はこの避難所をまとめる。俺に従う奴は、俺の国の国民にしてやる。反抗する奴は――ああなる」
魅了された男たちの列を顎でしゃくる。
その声は自慢げで、幼稚な高揚感に満ちていた。
「なぁ、すげぇだろ。こいつら、絶対裏切らねぇんだぜ。言えば何でもやる。ハハッ、最高の部下だ! 裏切りもしねぇし、文句も言わねぇ!」
竹原が銃をくるくると回しながら言う。
「おい、お前ら。自分の顔を殴れ」
「「「――――」」」
――ゴッ、ガっ、ドゴ!
避難所に響く鈍い音。
後ろの魅了兵たちは無表情のまま、その命令を受け入れていた。
「……く、狂ってる」
「狂ってる? 何言ってんすか桐生先輩。狂ってるも何も、俺が一番まともだろ。お前らこそ現実見ろよ。もう世界は終わったんだ。優しさじゃ人は救えねぇんだよ」
「魔物を見ろよ。アイツラは人間を襲う害獣だ。コイツラも同じ、何の罪もない人間を襲うクズだ! 秩序を乱すクズどもは魅了して有効に使う。俺は正しいことをしてるんだよ! は、はは、ハハハハっ! 」
竹原は笑い、しかし急に苛立ったように周囲を見渡した
「……にしても、あの吸血鬼、どこ行きやがった使えねぇ」
「吸血鬼?」
松下が聞く。
「ああ、俺が拾ってやったんだ。昨日、哨戒中に見つけてな、ボロボロで死にかけてたから《《助けてやった》》んだよ。優しいだろ、俺は」
「なるほど……その吸血鬼が魅了使い」
「そうだ……まぁ、見た目が良かったから飼ってやろうと思ったんだけどよ……正体は魔物だとよ! 騙しやがって、気持ち悪い。だが、命の恩人の俺に媚び売って来やがったから、しょうがなく使ってやってんだ。まぁ、便利な犬だよ。魅了のスキル持ってたしな」
吐き捨てるように笑い、つまらなそうに床を蹴る。
唇の端が歪む。
「でもよ、アイツ、逆らうんだよ。恩を仇で返すとかあり得ねぇだろ! 見た目が良くても所詮は魔物、害獣だ。誰にモノ言ってんのか分かってねぇ。俺が上だっつってんのに、たまに目ぇ合わせてくんだよ。ムカつくよな? だから躾け直してやるつもりなんだ」
竹原が笑った。
歪んだ、ひきつるような笑いだった。
「……そういや、他にもムカつく野郎がいたなぁ。何故か魅了が通じなかった、あのクソ。ま、どうせまたズルしたんだろうがよ」
松下の眉がピクリと動く。
「……」
「ん〜? 気になるんすか、松下さん。はは、そうですよねぇ? あれぇ? そういや、あんたの可愛い駒どうしたんだっけなぁ? ほら、なんだっけ……あぁ、望月って言ったか?」
その言葉に、梅野が目を見開き、松下がわずかに表情を変えた。
竹原がそれを見逃さない。
「……」
「……し、慎ちゃん、望月さんが、どうしたの」
「ハハッ、思い出しても笑えるぜ、あの無能。あんたら、俺に黙って偵察任務に出したんだろ? 『魅了使いを探ってこい』って。笑っちまうよなぁ。張り切って出て行ったくせに、現場で即効見つかってビビって逃げやがったんだよ」
竹原は愉快そうに笑う。
「でな、逃げる途中で男どもにボコボコにされてよ。あいつ、情けねぇ声で泣きながら命乞いしてたぜ。『助けてくださいぃぃ』ってよ。いい年こいてみっともねぇったらねぇ! ハハッ!」
嘘八百。
だが、竹原は信じて疑っていないような口ぶりだった。
「笑えたぜ……ま、警察官として放っとくわけにもいかねぇから、助けてやったんだよ。俺がな。あんなに舐めた口を利いてきた奴を救うなんて、俺って優しいだろ? 命の恩人ってやつだ」
自分の語る真実が、この場の空気を支配していることを楽しんでいる。
「……彼に、何をした」
「何したって? はっ、調子乗ってたからちょっと痛い目見せてやっただけだよ。裸にして縛って放っといた。今ごろは魔物の餌にでもなってんじゃねぇか? あのクズ。……まぁ、いらねぇスキルしか持ってなかったしな」
「スキル?」
「ああ、『魔物使い』とか言ってたな。笑っちまうよな。魔物使い? なんだそりゃ。魔物なんて気持ち悪い生き物に頼って強くなって、恥ずかしくねぇのかよ。どうせコソコソ後ろに隠れてズルして稼いだだけだろ。自分が弱いからって魔物任せで戦って、情けねぇ!」
竹原は唾を吐き捨てる。
その目には、あからさまな劣等感が滲んでいた。 竹原の指が引き金をカチカチと無意味に弾く。
「しかもよ、レベルが十五? はぁ? おかしいだろ。俺が八だぞ? 人間で警察で、訓練もしてんだ。それなのに、あんな冴えねぇ一般人に負けるわけねぇんだよ! あのクズはどうせ魔物使ってズルしてんだ! いや、ズルでなきゃ詐欺だな。そうだ、『詐欺師』だよあいつは。他人を騙して、自分だけ安全圏でカッコつけてよ!」
言葉の端々に、望月への“見下されていた”という劣等感が滲む。
竹原の笑いは、勝利の笑いではなく、歪んだ安堵だった。
「ハッタリで俺に楯突いてきたが、世の中そんな甘くねぇんだ。ズルしたヤツは、ちゃんと裁かれる。正義である俺に、な。魔物使いの野郎は、もうこの世にいねぇ。今頃、魔物の腹の中だよ。松下さん、あいつが死んだのはあんたのせいだ。あんたが頼んだんだからな。ハハッ、良かったじゃねぇか! あのクズも大好きな魔物に食われて本望だろ!」
「……嘘よ……望月さんが、そんな……」
静寂が落ちる。
梅野が顔を覆い、嗚咽を堪えるように肩を震わせた。
松下は、表情を殺していた。
だが、その拳は小さく震えている。
竹原はそれすらも快感に変えるように笑った。
「なぁ、見たろ? 結局俺が正しいんだよ。そもそも魔物使いなんてジョブ選ぶのがイカれてんだよ。魔物に襲われた被害者のこととか考えたことあんのかね。……あぁ、そうか。あいつ、魔物をけしかけてここを襲うつもりだったんだな。ズルで卑怯なあのクズらしいな! ハハッ、じゃあ俺は避難所を守ってやったんだ。お前らは感謝しろよ。王様に」
その笑みは狂気ではなく、確信。
自分が正義であるという妄信の果ての顔。
「……チッ、ダンマリかよ面白くねぇ。いいさ、どうせ俺の邪魔はできねぇ。俺の国は完璧だ。反抗したやつは消す。誰も俺を否定できねぇ」
その時――、
――コツ。
乾いた音が響いた。
――コツ。
硬い靴音が、静寂を裂く。
闇に包まれた通路の向こうから、ゆっくりと一定のリズムで近づいてくる。
薄闇の中、月明かりを反射して輝く二つの紅い光が浮いている。
――コツ。
――コツン。
「……あら。ずいぶん楽しそうじゃない――タケハラ」
静かに微笑みながら、吸血鬼の紅い瞳が竹原を見据えていた。




