プライベートに干渉されたくない
で、結局……魅了は何時でも解除できるわけだけど、何か考えに変化はあったのか?
「なぁ……」
俺は軽くハンドルを傾けながら声をかける。
「ちょっと待ってよ……まだ整理してるんだから」
吸血鬼が言葉を詰まらせる。
夜風が髪を揺らし、返答の代わりに沈黙が続く。
ペダルのギシギシという回転音だけが、二人の間の《《間》》を埋めている。
「……いつまで落ち込んでんだよ。アンタの悩みも大体解決だろ」
「貴方には分からないわよ。私の魔眼が、どれだけ私を苦しめてきたか……」
おっと、トラウマモード継続中か。
めんどくせぇな、こいつ。
「ほら、元気出せよ。過去は変えられねぇんだし」
「私……」
吸血鬼が俺の背中に額を押しつけて、ぼそりと呟いた。
「……私、ずっと取り返しがつかないと思ってたの。魅了したら最後、その人の意思はもう戻らないって」
声が、少し震えていた。
悔しさとも安堵ともつかない、吐息まじりの声。
「だから、怖かったの。……でも、それも全部……私の勘違いだったなんて」
そう言って黙り込んだ吸血鬼は、そのまま小さくため息を吐いた。
俺は何も言わず、ただペダルを踏み続ける。
ほんの少しだけ、荷台の重さが増した気がしたのは……気のせいだろう。
夕陽が完全に沈む頃には、街全体が紫に染まっていた。
人気はなく、壊れた電柱が斜めに突き立つ通り。
遠くで、カラスの群れが一斉に飛び立つ音がした。
沈黙が長く続いて、どうにも気まずくなってきた頃。
俺はボソッと呟いた。
「竹原のことも……別にアンタが裏切ったんじゃない。あっちが勝手に悪事に走っただけだろ。気にし過ぎだ」
彼女からの返答はない。
俺は肩をすくめて言う。
「そんな恩人がどうとか気になんのかよ。……あ、じゃあ、次は俺が助けてやるよ。それでチャラってことで良くね?」
「……軽いわね、貴方。慰めるんならそんな適当に言わないでよ。私の悩みは……そんな簡単な言葉で慰められるようなモノじゃないの」
彼女が拗ねたように口を尖らせる。
本当、人間くさいなぁ。魔物感ゼロだぞ。
「そりゃそうだ。こういうのって……結局は他人事だしな。グチグチと考えすぎなんだよ、どいつもこいつも。恩とか義理とか、鎖みたいに首に巻くもんじゃねぇ」
軽いぐらいがちょうどいいんだ。
重く考えたって、世の中どうにもならんことばかりなんだから。
コイツが竹原に命を救われたことは事実だ。
けど、助けられたことと、何でも言うこと聞いて服従することは別の話だ。
「竹原はアンタを救ったつもりで結局、また縛っただけだ。恩人だろうがやってる事は今までのクズ達と同じ。助けたからってそれが正義なわけじゃない」
「……分かってる」
こんな世界じゃ、恩も信頼も簡単に鎖になるんだ。
だからこそ、簡単に切れる距離でいなきゃいけない。
「それに、今はアンタは俺の……仲間だ。契約しただろ? 労働枠で。どうせ縛られるってんなら、労働に汗を流すこっちのほうが健全じゃね」
「なによ、それ……もっと気の利いたセリフ言えないのかしら」
「面倒くせぇから無理。じゃあ好きに生きればいいだろ。縛られてるって思うのはアンタの気持ち次第なんだし」
言っててなんかムカついてきた。
コイツ、自分から縛られに行ってるフシあるよな。
ドMかよ。
まぁ……それはそれで、いいけど。
「今度は突き放すのね。貴方、良い人じゃなかったの」
「俺は一度もそんなこと言ってねぇよ。ほら、もう十分慰めの言葉は言ったし、ひと通り落ち込んだだろ。あとは業務が終わって落ち着いてから考えてくれるか」
俺の投げやりな態度に、彼女は深い溜め息をつく。
「……はぁ、ほんと適当ね。……分かったわ」
そして、やっと顔を上げた。
「これ以上迷惑かけるのも悪いし、今は考えないようにする。すぐに立ち直るなんて無理だもの、ゆっくり時間をかけて答えを出すわ」
「そうそう、それでいいんだよ。俺はな、メンドイことは未来の自分に任せるようにしてんの。楽だからアンタもそうしろよ」
その未来の自分は、そのまた未来の自分に任せるだろうけど。
つまり、考えるだけ無駄ってこと。
「まったく、なんなのその態度。最初はもっと私にときめいてなかったかしら。こんな可愛い女が落ち込んでるのよ、もっと親身になってくれてもいいじゃない。情とか恋とか、そっちに持っていっても良かったのに」
「何言ってんだよ、面倒くさい。俺は仕事の同僚とは一線置くタイプなの。職場恋愛とか面倒くさいだけだしNGで。情も恋も経費で落ちないんだぞ、コスパ最悪じゃねぇか」
「……ほんと、貴方って変な人ね。私、こんな人についてって大丈夫かしら」
「へいへい、変で結構。ほら、元気だせよ。仕事は待っちゃくれないぞ。うちは零細企業なんだからな」
「……ふふっ」
彼女の小さな笑い声が、夜の風に溶けた。
その一瞬だけ、終末の空気がほんの少し柔らかくなる。
「で、せめて情報はくれよ。竹原のこと、何か知ってるだろ?」
「そうね……関係ない人が傷つくのは本意じゃないし、いいわ」
吸血鬼は少し間を置いてから、静かに言葉を継いだ。
「タケハラに言われて魅了した人間は、全部で五十人くらい」
「……は? 神社にいた奴らだけじゃなかったのか」
そんなにいるのかよ。
あのゾンビみたいに何度も起き上がってくるおっさんみたいなのが。
「周辺にも散らばってるわ。タケハラは、彼らに『魔物を狩ってレベルを上げろ』と命じていたの」
「だからこの辺、魔物が少なかったのか……松下さんたちも狩ってるって言ってたしな」
「今のところ魅了したのは男だけ。でも、避難所を手に入れたら——女も、言うことを聞かない者は魅了するつもりだったみたい」
安定のクズムーブ。
それ聞いて安心したわ、逆に。
「魅了して何する気だったんだよ、あのクズ」
「さぁ……たぶん、支配して安心したいんじゃない? 弱い人間ほど、支配に酔うのよ」
「皮肉だな」
「ええ。……さすがに女の子を魅了するのは私も拒否するわ、きっと」
そこは守るのか。
男女差別はダメだぞ。
おっさんも拒否してやれよ。
可哀想だろ、俺の全力蹴り食らって吹っ飛んでたんだから。
普通に起き上がってくるくらいタフだったけど。
「なぁ、避難所を手に入れるって言っても、どうやってだ? 全員魅了して裸の王様か? でもそれなら、アンタを放置する理由がない。……もう魅了を使うつもりがないってわけじゃないだろうし」
「……わからない。でも、彼、私の魔眼とか、魅了した男たちのスキルにも妙に興味を持ってたのよね」
「興味って……どういう風に?」
「ええ、私に聞いてきたのは『魔眼の仕組みを教えろ』とか『どうやって発動するんだ』とか、あとは条件なんかを根掘り葉掘り」
「……へぇ、なるほどな」
胸の奥が、嫌な予感でざらつく。
「男たちにもそんな感じでスキルのことを聞き出してたわ。しつこいくらいに。まるで――」
「――まるで、自分で使うことを想定してるみたいに、か」
「……そう、よく分かったわね。彼、そういう話し方だったわ」
「……そうか」
……分かるよ、だって俺もそうだし。
そっか、アイツが妙に自主満々だったのはそれか。
自分で使うことを想定、か。
そんなもん、「スキル奪取系のスキル」持ち確定じゃん。
俺の「魔物解雇時のスキル承継」とは別物だろうけど。
俺の場合、貰ったスキルは自分で試してみて確認するけど、貰う前にそんな根掘り葉掘り聞くのは……発動条件とかか?
「……面倒くせぇな」
その時だった。
遠く、避難所の方角から煙の匂いが漂ってきた。
街灯の切れた空に、うっすらと赤い光。
「……あれ」
「クソ、もう始まってるのか」
ブレーキを握る手に力がこもる。
タイヤがアスファルトを擦って、鈍い音を立てる。
荷台の吸血鬼が、月光の下で小さく息をのんだ。
「……間に合わなかった。急ぐぞ」
「……ねぇ、その前に……お願いがあるんだけど」
吸血鬼がこちらを見た。
その瞳は、どこか優しくて、少しだけ寂しそうだった。
「私の名前、つけてよ」




