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◯○◯◯は、偉大。

 松下さんが去ったあと、少ししてまた誰かが訪ねてきた。


 コン、コン、と控えめなノック音。


「……あの、望月さん、いますか?」


 ドアの向こうから梅野さんの声。

 振り返ると、ドアを少し開けて恐る恐る顔をのぞかせていた。


 あ、可愛い。おっ◯いデカい。


 ……じゃない。

 梅野さんはまだ少し目が赤い。

 そりゃそうだ、さっきあれだけ号泣してたし。

 でも、あの会議室の時よりずっと落ち着いて見える。


「ああ、どうぞ。入っていいですよ」

「失礼します……。準備、してたんですね」

「はい。武器選び、と言っても結局前と同じ金属バットですけど。地味に大事なんで。ほら、命預ける相棒ですし」


 軽く言ったつもりが妙にシリアスに聞こえてしまった。

 彼女が黙って、机の上に並んだアイテムたちを見つめる。


 そして、小さく呟いた。


「……ほんとに、戦うんですね」

「まあ。そうしないと、松下さんが怒りますし。叱られたくないんで」

「もう、冗談言ってる場合じゃないですよ」


 眉を寄せながらも、どこか安心したような顔をしていた。


 でも、俺は答えながらもなんか気まずい。

 また地雷を踏むんじゃないかって、ビビってる自分がいる。


 それに――地味に目線の置き場が困る。


 下向いたらアウトだ。

 いいか、絶対見るなよ!

 視線は上、上だぞ!

 またあんな感じで爆発したら、マジで俺が社会的に死ねる。


 でもなぁ、その《《上》》が顔だから、それもそれで気まずい。

 くそ、孔明の罠か!

 ああもう、どこ見ればいいんだよ。

 見てぇよ、おっぱ◯!


「あの、さっきの会議でのこと、ありがとうございました。慎ちゃん……竹原さんに色々言われた時、庇ってくださって」

「ああ、あれは別に。アイツの暴言、見過ごせなかっただけですよ」


「でも、嬉しかったです。あの人、いつまああなんです。口が悪いだけじゃなくて……本気で傷つけるようなこと平気で言いますから」


 そう言いながら、梅野さんが少し目を伏せる。

 あの時の竹原の言葉は酷かった。

 この子は今までずっと、アレをぶつけられてきたわけか。

 そりゃ拗れるわな。


「……それと、もうひとつ。さっきは、ごめんなさい」

「ん? ああ、あの『地雷爆発セクハラ事件』のこと?」


「じ、地雷ってなんですか……まぁ、そうです。あのとき私、完全に八つ当たりでした。あんな言い方、よくないって分かってたのに、止められなくて」


 俯いて、ぎゅっと両手を握る。


「望月さんの言う通り、あなたに勝手に期待して試すようなこともして。それで、勝手に失望して……。今までのことが頭にいっぱい、浮かんできて、止めようとしても止められなくて」


 梅野さんの声が、段々と涙声になっていく。


「いや、俺が悪かったですよ。どう考えても、あのセクハラ発言が原因ですし。あそこでキレるの、普通です。むしろ当然」

「……でも」


「だから、改めてごめんなさい。ほんと、あの時は最低でした。その後の開き直ったのも」


 頭を下げる俺を見て、梅野さんは一瞬きょとんとしたあと、ふっと笑った。

 なんだろう、今までで一番自然な笑顔かもしれない。


「なんか……意外です。もっと、怒られるかと思ってました」

「いやいや、怒らないよ。今回は俺、マジで反省してるの。さすがに社会的に死ねるのは回避したいし。それに俺、反省だけは早いんですよ。成長しないけど」

「ふふっ……そのとおりですね。成長、まったくしてません」

「えぇ? もうセクハラしてないじゃん」


 その笑い声が、ほんの少し空気を軽くした。


「だって、すごい頑張って見ないようにしてますけど……。さっきからチラチラ胸見てるの、バレバレですよ?」

「なっ、何を言っているのかな? 俺は胸なんて全く興味ないですし? 顔が可愛くて直視できないだけですし?」


「また、そんなこと言って……そんなに見たいなら、見ればいいんじゃないですか? 私、また脱ぎましょうか?」


「……は?」


 唐突に言われて、思考がフリーズした。

 そして、気づけば視線も胸でフリーズ。

 え、脱ぐんですか?

 良いんですか?

 穴が空くほど見つめますけど。


「ふふ、ほら、やっぱり興味あるんじゃないですか。鼻の下伸びてますよ」

「い、いや、ちょっと、これはだね? 違うんだよ、孔明のせいなんだ、分かるよね?」


「男の人って、本当に胸が好きですよね。こんなものの何がいいのか、私にはさっぱり分かりません」


 真顔。完全に真顔。

 真顔で自分のおっぱいを下から持って揺らしてる。


 ゆっさゆっさ、ユッサユッサユッサ……。


 おい、なんだこれは。

 挑発なのか、素なのか。

 なんだこれ、いいのかこれ。

 お金払ったほうが良い?

 あとで過度な請求されない?


 ……で、俺の口が勝手に動く。


「うぉっ!? すっご! デッッッッッ! ヤベェ、マジで神乳じゃん、拝まなきゃ、拝まなきゃ罰が当たる! ありがたやーありがたやー、かしこみかしこみ奉るー」

「…………」


 祈りを捧げ手を合わせたとこで、ジトッとこっちを蔑んだ目で見ているのに気づいた。


 見つめ合い、沈黙。


 あ、やっちまった。

 あまりの破壊力おっぱいに我を忘れてしまっていた。

 

「……ふふっ」


 梅野さんが、口元を押さえて吹き出した。

 笑った。

 さっきまで泣いてた人が。

 そのことに、俺はちょっとホッとする。


「……突き抜けてますね。真面目そうな顔して、頭の中それしかないじゃないですか。なんだかもう、呆れて笑えます」


 そう言って、梅野さんは口に手を当てて控えめに笑う。

 その笑顔が素敵で、少し見惚れてしまった。


「……ありがとうございます。そんな褒められると、恐縮です」

「褒めてないですけど。何興奮してるんですか……望月さんって、変態ですね」


「あ、いい……。癖になりそうです。最上級の褒め言葉ですね! ありがとうございます!」

「もうやだぁ、この変態」


 また笑った。

 その笑い声が、妙に心地いい。

 こういう空気、意外と悪くない……。


 ――けど、彼女の目が少し真剣になる。


「望月さん――最後に一つだけ、聞いていいですか?」

「はい? なんですか? 俺の胸のサイズですか?」


「違います。何言ってるんですか。……もし、その魅了を使う者が……人間だった場合、あなたは、どうしますか?」


 梅野さんの眼はやさしいが、その問いには本質的な重みがあった。


「……まぁ、松下さんと話したのは、攻撃は最小限に。できれば生かして捕らえたい。だけど、戦闘になったら命の保証は……できない、みたいな感じですかね」


 短い静寂。


「そう、ですね……それが現実的、ですよね。私もそれが正しいと思います」


 梅野さんは静かにうなずいた。

 その横顔には迷いと覚悟が混ざってた。


「人を守るために、人に手を上げる。理屈では分かっても、心が追いつかないんです」

「まぁ……俺もそうですよ。正義の味方じゃないし。けど、やるしかない時ってあるじゃないですか」

「……はい。わかります」


 二人の間に、静かな時間が流れた。

 お互いの視線が、ほんの一瞬だけ重なる。


 外の風の音と、遠くで誰かが笑う声がかすかに聞こえる。

 けど、この空間だけ、ゆっくりと時間が止まっているみたいだった。


「……怖く、ないんですか?」

「怖いですよ。正直、めちゃくちゃ怖いです」

「でも、行くんですね」

「行きますよ、嫌々ね。……松下さんに頼まれちゃいましたから」


 それを考えるとため息が出る。

 俺って頼まれると断れないタイプだから。

 松下さんは、なぜか俺のことを信頼してくれてるみたいだけど、本来俺はこういう誰かのためにってのが好きじゃない。


「松下さんがあんな感じで人にモノを頼む時は、本当に信頼しているんじゃないですか? 私、前から松下さんと知り合いなんですよ。その……前に付き合っていた彼が、ストーカーになったことがあって……」


「あぁ、その時に世話になった感じなんですね。というか……大変ですね。なんか、すみません。マジで」


 この子、割とキツい人生送ってんな。

 二十歳そこそこで、色々拗れるのも分かる気がする。

 それなのに、あんなセクハラしちゃって……マジごめん。


「ふふ、なんで望月さんが謝るんですか。私が世話になったときも、松下さんはああいう感じで親身になって相談に乗ってくれて。だから、私にとって恩人みたいなものなんですよ」


「へぇ、最初はあんまそういう感じには見えなかったけどね。合理的で冷たい印象があったけど、話してみると熱い感じもする。利より筋とか誇りとかを大事にしそうなタイプ」


「そうですね、最初は冷たい印象なんですけど、話してみるとお茶目で優しいんですよ。あ、望月さんもそういう印象ですね」


 そう答えると、梅野さんは少しだけ笑った。

 今度の笑みは、さっきまでの無理な作り笑いじゃなくて、

 本当に、心の奥からのものだった。


 その話を聞きながら、俺は冷めたツッコミを呑み込む。

 正直に言えば、こういう「人を熱く語る」雰囲気は苦手だ。


 いや、正確に言うと――煩わしい。


「……俺は、そういうタイプじゃないよ」


 つい、本音が口をついて出る。

 声は淡々としている。

 察しのいい奴なら、ここで空気が少し重くなるのを感じるはずだ。


「そうなんですか? でも……」

「俺はね、あんな『人の為に』って考え方できない。『見捨てることのできない人間』? いや、見捨てるのは得意だよ。昨日も今日も、ここに来るまでに何人も助けを求める声を無視した。助けられた命も、やろうと思えば救えたやつもいる。だから、あの人にそういう風に見られるのは……正直、重い」


 言葉は冷たいが、嘘はない。

 胸に刺さるのは、自分で決めて見捨てたことの重さだ。

 見捨てたことに苦しんで、罪滅ぼしみたいに今ここで動いてる。

 格好よくも崇高でもない、ただの自己中な流れ。

 そういう自分を隠す気もなく言ってしまう。


「……そんな風に思ってるんですか」


 梅野さんは、少しだけ目を伏せた。

 すぐに何かを言おうとして、でも言葉が見つからないみたいに唇を噛む。

 たぶん、俺の《《正直》》が想定外だったんだろう。

 でも、否定も責めもしない。

ただ、静かに受け止めようとしていた。


「思ってる。だからさ、俺が協力するのは誰かのためってより、都合のいい面もある。自分を正当化するためだったり、後ろめたさを減らしたかったり。まぁ……成り行き、ってやつだな」


 梅野はじっと俺の顔を見た。

 驚きとも失望ともつかない表情が一瞬よぎるが、すぐに――柔らかくなる。


「でも、今回は……協力してくれるんですよね?」

「えぇ、まあ。今言った、成り行きってやつで」


 間を置いて、俺が続ける。


「だって、君に『やれることをやればいい』って言ったのは俺の方だろ? その言葉のとおり、今回はたまたま俺が『やれる』と思っただけ。別に、そこに誰かを助けるためとかは……まぁ、ちょっとはあるかもしれないけど、自分の都合だよ」


 そう、全部、俺の都合だ。

 俺には何も無い。


 松下さんのような人を守るって信念も、梅野さんのような誰かの役に立ちたいなんて想いも、そんな胸を張って言えるような立派なもんは何も無いんだ。


 俺は真っ直ぐと見つめてくる梅野さんの視線から逃げるように目を逸らす。


「……それで、いいじゃないですか」

「え?」


「私に言いましたよね。それ、今の望月さんにも当てはまると思います。たまたま、やれることが協力することだっただけ。理由なんて、後からついてきますよ。たぶん」


 そう言って、梅野さんはふっと笑う。

 その笑みが、ほんの少し泣きそうで。


 でも……あたたかかった。


「……必ず、帰ってきてくださいね?」

「へ?」


「え? なんですかその『へ』は」

「いや、あまりにもストレートに言うから……可愛すぎて心臓に悪いんですけど」


「べ、別に深い意味はないですよ? 望月さんって、意外と捻くれてて子供みたいなんですもん。ストレートに言ったほうが効くかなって」


 梅野さんはドッキリが成功したみたいに得意げな顔で笑う。


「それに、ただ……せっかく仲良くなれそうなのに、ここでいなくなられたら困りますし」


 そう言いながら、視線を逸らして頬を赤くしている。


 うわ、なにその反応。

 さっきまで真剣な話してたのに、いきなり恋愛フラグっぽい雰囲気出してくるのやめてほしい。

 心臓が仕事しすぎてうるさい。


 俺みたいな奴はね、そんなこと言うとすぐ惚れちゃうんだよ?

 いいの?

 セクハラおじさんだよ?


「……まぁ、俺も、もう少し話してみたいと思ってますけどね」

「えっ?」


「いや、ほら。単純に、梅野さんて可愛いし。あとはおっ……いや、ごめん。また、セクハラするとこだった」

「はぁ……もう望月さんがおっぱい大好きな変態だって分かってますから。今さら取り繕っても、ねぇ? また視線がチラチラしてますし。……まぁ、ほどほどにしてください」


「え、マジ? 今のセリフ、破壊力高いんだけど。公認? いいの? 勘違いしちゃうよ?」

「あ、そういうんじゃないので調子のらないでくださいね」


 そんなやりとりの中、ほんのりと笑い合う。

 張り詰めていた空気が、少しずつ、柔らかくほどけていく。


 ――その時。


「友人さん、一つ言い忘れたことが……おっと、失礼しました」


 ドアが静かに開いて、松下さんが顔をのぞかせた。

 いつもの落ち着いた顔で、でもどこか目が優しい。


「……お取り込み中でしたか。いや、いい雰囲気ですね、邪魔をしましたか?」


「い、いやいやいや! そういうんじゃないのですよ、松下さん! ただの世間話です! 俺みたいなおっさんがこんな可愛い若いことどうにかなるわけないじゃないですか! ねぇ、梅野さん!?」


「え、ならないんですか? 私は別にいいですよ……友人さん?」

「え」


「ふふ、冗談ですよ。すごい顔ですね、望月さん」

「ちょ、おま、からかうなよ……、マジで心臓止まるかと思った……」


 突然の名前呼びとか、マジでやめて?

 この人は一度、自分の可愛さを客観的に見たほうがいいと思う。

 そんなやりとりを見てる松下さんが、柔らかい笑顔でふっと笑う。


「……本当に、いい雰囲気ですね。どんな話であっても、《《人と向き合う》》というのは良いことです。特に、今のあなたたちのように」


 その言葉に、少しだけ息を呑む。

 ああ、やっぱりこの人、よく見てるな。


「では、私はこれで。……望月さん、必ず生きて帰ってきてください。あなたは、まだ《《やれることをやり切っていない》》ようですから」


 そう言って、松下さんは静かにドアを閉めた。


「……やっぱあの人、ちょいちょい名言吐くな。しかも全部こっちに刺さる系の」

「ふふっ……本当に、ですね」


 梅野さんが最初とは違う、明るい顔をして無邪気に笑う。

 梅野さんを見て、俺はなんとなく思う。






 ――おっぱいって、すげぇなって。




 なんかさっきからいいこと言ったりしてるけど、結局はこれ。これに尽きる。

 どれだけ理屈を捏ねても、俺の中身はこんなもんなんだ。

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