裂け目の夜
旅籠町の夜は静まり返っていた。
昼間の広場を覆った怒号は消えたが、代わりに町の家々には硬い沈黙が広がっていた。
灯りは早くに落とされ、人々は互いの視線を避けるように戸を閉ざしていた。
「……町が息を潜めてるみたいやな」
ミナがぽつりと呟いた。
「争いを恐れてるんだ」
ソラは頷きながら、焚き火に薪を足した。
「だから静かなんじゃなくて……怖いから、声を出せないんだ」
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不安の空気
夜風が吹き抜けるたび、木の看板がきしむ音がやけに大きく響いた。
まかない部の四人は町外れの広場に身を寄せ、火を囲んで座っていた。
ルナが鍋を見つめながら言う。
「……町が裂けても、私たちまで裂けるわけにはいかない」
ダグが静かにうなずき、剣の柄に手を置いた。
「せめて、この夜だけでも守ろう。旗も、人も」
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小さな温もり
そのとき、足音が近づいてきた。
現れたのは、昼間に声を上げたあの少年だった。
小さな手にパンを握りしめ、照れくさそうに差し出す。
「……これ、わけてあげる。
ぼく、おなかいっぱい食べたこと、まだないんだ。
でも今日は、少し余ったから」
ミナは目を丸くし、すぐににっこり笑った。
「なんや、あんた……ええ子やなぁ!」
パンを分け合いながら、焚き火の周りに笑いが戻っていく。
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結び
町全体を覆う不安は消えていない。
裂け目は深く、明日には再び争いが顔を出すかもしれない。
けれど、この小さな灯りの輪の中には、確かな温もりがあった。
鍋の湯気と子どもの差し出したパンが、夜の静けさをわずかに和らげていた。
――裂け目の夜にも、灯は消えてはいなかった。