帰還の匂い、雪原を渡る
魔王城の厨房では、夜通し火が燃えていた。
大鍋はぐつぐつと音を立て、獣骨の出汁が香草と混じり、
湯気が白く天井へ昇っていく。
外の冷たい風が窓の隙間から入り込み、湯気を城外へと運び出す。
「……味、変わってないな」
ソラは木杓子でスープをひとすくいし、口に含む。
ルナが頷く。
「香りも大丈夫。これなら遠くまで届くはずよ」
「ほら、ミナ、具材追加や。火を落とさんようにやで」
「わかっとるって! あの人らの帰り道、途切れさせへんからな!」
その頃――
雪原を、十数人の影が進んでいた。
吹雪こそ止んでいたが、雪の深さが足を重くする。
先頭を歩くギルドマスターの肩には、怪我をした仲間が背負われていた。
「……まだ、どのくらいだ」
「わからん。方向感覚がもう……」
足取りは重く、全員の表情には疲労が色濃く刻まれている。
だがその時――
かすかな匂いが風に乗って漂ってきた。
「……これ……」
「鍋の匂い……か?」
最初は誰も信じなかった。
戦場で幻覚のように感じることはよくある。
だが、次の瞬間、後ろの若い冒険者が叫んだ。
「これ……あの鍋の匂いや! 帰還の鍋や!!」
全員の胸に、一気に熱が灯った。
疲労で重かった足が、自然と前に出る。
風向きが変わるたび、香りは鮮明になり、
湯気のような温もりが鼻から心臓へ染み込んでいく。
「方向は……間違ってない! あれを追え!」
雪原を踏みしめる音が強くなった。
それはもう、ただの行軍ではなく――帰るための疾走だった。
一方、魔王城。
ソラは大鍋の蓋を少し開け、湯気を確かめた。
魔王様は窓辺に立ち、遠くの雪原を見やっている。
「……来るわ。あの匂いを嗅げば、必ず」
その横顔は、普段の余裕ある笑みではなく、
まるで家族を待つ者のように真剣だった。




