影の孤独
影の胸に露出した“もうひとつの風の心臓”は、
黒い霧の中で脈打ちながら、
たったひとつの言葉を求めるように光を震わせていた。
その光は弱い。
だが温かかった。
誓いの布の光と同じ気配が、
かすかにそこに宿っているようだった。
アリアは胸に抱えた布をぎゅっと握りしめる。
「……まだ、残ってる……。
あなたの中にも……風の“優しさ”が……」
影は胸を押さえ、
暴風の中心で立ち尽くしていた。
⸻
心臓の声が深まる
淡い光が揺れるたび、
心臓の声は少しずつ鮮明になった。
……あなたを置いていった……
……それは……わたしの弱さ……
……あなたを拒んだのではなく……
……あなたの痛みに……耐えられなかった……
その声は、
影の咆哮とは正反対だった。
柔らかく、震えるほどにか細い。
ルナが息を詰めて呟いた。
「……影に……届いてる……」
ソラも静かに頷く。
「あいつ……暴風を止めようとしてるんやない。
ただ……戸惑っとるだけや」
ミナは風をじっと見つめたまま言う。
「長い間……“怒り”だけ握りしめてきたんやろなぁ……」
⸻
影の独白
影は胸を押さえたまま、
かすれた声で呟いた。
「……私は……
人の心を……読みすぎた……
痛みも……醜さも……
その全部が……私を壊した……」
暴風の音が少しだけ弱まる。
広場の倒壊音が風の隙間から響く。
「……息ができなくて……
ただ逃げたかった……
でも……戻る道を……
誰も示してくれなかった……」
その言葉は、
憤怒ではなく、
ただの“寂しさ”だった。
心臓の光が、影の胸に向けて脈打つ。
……戻りたかったのは……
……あなたの方……だったでしょう……
影の黒い身体が、
わずかに震えた。
⸻
風と人の和解の可能性
アリアはそっと一歩、影へ踏み出した。
「あなたは……“拒まれた”風じゃない。
本当は……ずっと戻りたかったんでしょう?」
ルナが続く。
「あなたが怖がる気持ち……
風の心臓も……全部覚えてるよ……」
ソラは風の流れに耳を澄ませ、
ひとつだけ確信したように言った。
「この声……
影を責めんと、ただ寄り添っとる」
ミナが頷いた。
「せや。
“置き去りにした風の弱さ”を謝っとる」
影は耳を塞ぐように両腕を上げた。
しかし、その動きには迷いがあった。
「……やめろ……
そんな声……
今さら……
聞きたくない……」
光は揺れ、
影の胸の裂け目に寄り添うように広がった。
……遅くなって……
……ごめんなさい……
影の腕がゆっくりと下がった。
⸻
優しさに揺れる影
影はわずかに後ろへ下がりながら、
胸の奥に手を押し当てた。
その仕草は攻撃ではなく――
痛みに耐えるような、
心臓を抱きしめるような動きだった。
「……どうして……
今になって……
こんな……声を……」
風の心臓が答える。
……あなたの声を……
……ずっと探していた……
……届かなかっただけ……
影は震えた。
黒い輪郭が淡く揺らぎ、
霧がほんの少し薄くなる。
アリアが静かに言った。
「あなたの孤独は……
風の痛みであり、人の罪でもある……」
ルナは涙を拭きながら。
「もう……一人じゃないよ……」
ソラは影の風を読み取りながら。
「怒りや憎しみより……
“帰りたい気持ち”の方が強くなっとる」
ミナはそっと言う。
「戻ってきてもええんやで」
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結び:揺らぐ暴風
影は胸の裂け目から漏れる光を見下ろした。
黒い霧が薄くなり、
暴風が、ほんの一瞬だけ静まる。
「……私が……
戻ってもいい場所など……
どこにも……」
そこで言葉が途切れた。
風の心臓の光がひときわ強く脈打ち、
影の胸を照らす。
……ある……
……ずっと……
……ここに……
暴風が揺れ、
影がゆっくりと頭を垂れた。
広場に初めて、
“風の静けさ”が戻り始める――。




