影、風の中より
広場の風が、突然“形”を持ち始めた。
それは砂塵でも霧でもない。
風そのものが、輪郭を探すように濃く、重く渦を巻いたのだ。
アリアが歯を食いしばる。
「……来る。風の奥に潜んでいた“誰か”が」
ルナが誓いの布を必死に抱え直した。
「布が震えてる……怖がってるみたい」
ミナはまな板を握るような手つきで柄杓を構えた。
「どんな奴でも、ここで暴れさせるわけにはいかんで」
ソラは風の動きを読むために目を細める。
「輪郭……出てきよるな。気配が濃い」
その瞬間。
広場全体の風が一斉に逆巻き、
渦の中心から“影の塊”がゆっくりと背を伸ばした。
⸻
影の輪郭
黒い渦の内部に――
人型の影が立っていた。
顔はまだ見えない。
腕も、輪郭の半分しか形を成していない。
しかし、その“存在感”だけで、
兵士たちの喉は音を失った。
神官の一人が震える声でつぶやく。
「……あれは……まさか……
風裂きの異端者……?」
別の神官が口元を覆う。
「禁じられた“風の否定者”が……
本当に存在していたというのか……」
兵士も狼狽し、槍の先が震えた。
「風を……裂く者……?
風の国の根を否定する存在だぞ……!」
影はゆっくりと首を傾けた。
その動作ひとつで、広場の旗が三本、同時に折れ曲がった。
まるで、風が屈服したように。
⸻
威圧
アリアが一歩前に出た。
その瞬間、影の輪郭が“こちらを向いた”とわかった。
視線は見えないのに、確かに感じられた。
空気が、押しつぶされるように重くなる。
風が沈み、広場の温度が数度下がったかのようだ。
影が声を発した。
風が裂かれたときと同じ、ざらりとした音。
「……不要だ……
誓いも……風も……」
その声だけで、旗がばさりと落ちた。
市民たちが息を呑む。
アリアが布を掲げる。
「風と人は共に在る。
その誓いを否定する権利は、誰にもないわ」
影の輪郭が、わずかに揺れた。
笑ったようにも、怒ったようにも見える輪郭の震えだった。
「……共に……?
人は風を従えようとし……
風は人を導こうとする……
均衡など……虚構だ……」
ルナが小さく震える声で言った。
「……風の声を……否定してる」
ミナが影に向かって低く言い放った。
「うちらは風を従えとらん。
ただ、隣に居たいだけや。
それの何が気に入らんねん」
影の輪郭がさらに濃くなる。
鋭い風が足元から走り、
石畳に細い傷が刻まれた。
ソラが息を呑んだ。
「……都に喧嘩売っとるな、あれ」
⸻
崩れゆく均衡
影の存在が広場の中心に立つだけで、
風の均衡が揺らぐ。
白旗の裂け目がまた広がり、裂けかけた布が悲鳴をあげるように揺れる。
アリアは布を強く抱きしめ、
その震えを受け止めるように目を閉じた。
「風よ……逃げないで。
この誓いはあなたを守る。
あなた自身のための記憶よ……」
誓いの布が光を帯び、
影の渦へと静かに光を返す。
しかし、それでも影は後退しなかった。
光を飲み込み、丸め、ねじり、
風の中で黒い輪郭をさらに濃くしていく。
広場の風が凍りつく。
影が、本当の姿を現そうとしていた。




