風を織る夜
夜の谷は、息をひそめたように静かだった。
昼間に響いていた織り機の音も止み、
残されたのは風糸を撫でる月光だけ。
まかない部の四人は、職人の案内で高台に立っていた。
谷一面に張られた風布が、ゆっくりと光を帯びていく。
その光は白ではなく、淡い青と金、時折、緑や橙が混じる。
まるで空の色が地上に降りてきたようだった。
ルナが息をのむ。
「……風が、夢を見てるみたい」
アリアが小さく頷いた。
「ええ。風は夜になると“思い出す”の。
昼に触れた声、音、匂い――すべてを糸にして語るのよ」
⸻
光る糸の声
職人が手のひらで風布をすくうように撫でると、
光が揺れ、かすかな音が漏れた。
それは言葉ではないのに、
どこか懐かしい旋律に聞こえた。
ミナが目を細めて言う。
「これ……笑い声みたいや。
風が人のこと思い出して笑ろてるんか」
ソラが風に手を伸ばす。
指先に当たるのは冷たさではなく、
子どもの手のように柔らかい感触だった。
「風って、あったかいんやな……。
見えへんだけで、ちゃんと生きとる」
アリアが微笑む。
「風は記録者。
誰がどんな日を生きたかを、音と香りで覚えているの」
⸻
風の夢の中へ
ルナが風布に触れた瞬間、
光が彼女の足元を包み、視界が淡く変わった。
――谷が消え、風だけが広がる。
そこには声があった。
笑い声、歌、泣き声、祈り。
すべてが風に溶けて、一つの流れになっていた。
ミナも、ソラも、アリアもその中にいた。
身体は軽く、心だけが風の中を歩いている。
風が語る。
言葉ではなく、記憶そのものを。
見知らぬ人々が布を織る。
小さな村が祈る。
誰かが鍋をかき回し、
誰かが子を寝かしつけ、
誰かが静かに涙を拭う。
――それらすべてが、“風の夢”に溶けていた。
⸻
響く祈り
ルナが小さく呟く。
「この風、私たちの旅を見てたんだね」
アリアが静かに答える。
「ええ。風はいつも、どこにでもいる。
だから、私たちの喜びも、恐れも、
きっとこの夢のどこかに残っているのよ」
ミナが目を伏せて笑う。
「せやったら、ええ匂い残しとかなあかんな。
焦がした鍋の匂いは抜きで」
ソラが吹き出す。
「おまえの鍋の煙、風がまだ覚えとるで」
風がくすぐるように吹き抜け、
四人の笑い声をやさしくさらっていった。
⸻
風の目覚め
光が薄れ、谷に夜明けの気配が近づく。
風布の輝きが静かに収まり、
かわりに鳥の声が遠くで鳴いた。
ルナが小さく息をつく。
「……夢が終わる」
アリアが頷く。
「風はまた“現実”を運ぶ。
けれど夢は、ちゃんと残るわ。
この谷の布が、それを覚えてくれる」
ミナが鍋を抱えながら言った。
「せやったら、うちらの夢も布に織ってもらおか」
ソラが笑う。
「風まかない布。ええ響きや」
朝の風が吹き抜けた。
布がわずかに光り、
まかない部の足元に柔らかな風の道が現れる。
それはまるで――風が「次へ」と囁いているようだった。




