風の町ノワル
あの朝から、一週間が過ぎた。
ノワルの町は、まるで“別の顔”を持ったように変わり始めていた。
風は毎日違う匂いを運び、
人々の声が通りを渡っていく。
かつては閉ざされていた扉が開き、
窓辺には布がはためき、
香炉の煙が柔らかく空へと流れていた。
ミナが通りを歩きながら笑う。
「風の通り道が増えたなあ。
どの家も風の“味見”させとるみたいや」
ソラが荷車を押しながら頷く。
「ほんまや。昨日より今日の方が、ええ匂いや」
ルナが空を見上げた。
「風が、町を学んでるのね。
人の暮らしを覚えて、少しずつ優しくなってる」
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新しい営み
広場では、かつて儀式でしか焚かれなかった香が、
日常の料理や祭りに使われるようになっていた。
子どもたちは花びらを風に乗せ、
笑いながら追いかけている。
パン屋の女主人がまかない部に声をかけた。
「あなたたちのおかげで、
この町のパンが“風に膨らむ”ようになったのよ」
ミナが嬉しそうに笑う。
「ほんなら、風も働き者になったってことやな!」
ソラがパンをちぎりながら言った。
「風が運んで、香りが広げる。
うちらの飯も、ええ風に乗せて作らなあかんな」
ルナが微笑んで頷く。
「食と風が混ざり合う――それが生きるってことね」
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小さな芽吹き
昼下がり、まかない部は塔の前に立っていた。
塔の周囲には新しい花が咲き始めている。
風に乗って花粉が舞い、
香りがやさしく町へ広がっていく。
アリアが花を一輪摘み、塔の入口に置いた。
「風は、もう逃げない。
でも、また“試す”日が来るわ。
そのとき、この町が笑っていられるように」
ミナが穏やかに笑う。
「試されるのは嫌いやけど、風に叱られるんならええわ」
ソラが言った。
「風が教えてくれたんや。
動かんかったら、世界は止まるって」
ルナが静かに頷く。
「だから――また変わっていける。
風と人が、いっしょにね」
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新しい風守りの日常
まかない部は塔の下に小さな屋台を構えた。
風の向きによって、料理の香りを変える。
塩の量、火の加減、香草の種類――
すべて風と相談しながら決めるのだ。
子どもが笑いながら言う。
「今日の風は“しょっぱい”!」
ミナが笑って返す。
「そら、潮の方から来とる風やな。ほな、魚焼こか」
ソラが風の中で火を整え、
ルナが香りを重ねる。
アリアがその様子を見つめながら微笑んだ。
「……これが、本当の儀式ね」
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結び
夕暮れ、塔の上を風が通り抜けた。
陽が落ち、町の灯がともる。
香炉から立つ煙がゆるやかに夜空へ昇る。
ルナが目を細めて呟いた。
「静かな夜でも、風が息をしてる」
ミナが笑う。
「ほんなら、寝る前の“風まかない”でも作ろか」
ソラが肩をすくめる。
「風に飯の香り、覚えさせとけや。明日もええ風にしてもらお」
アリアが優しく笑い、
塔の方へ向かって囁いた。
「――おやすみなさい、風」
風が、応えるように吹いた。
短く、柔らかく、まるで笑うように。
ノワルの夜は、もう沈黙ではなかった。
それは“生きている静けさ”だった。




