風を導く者たち
朝の光が、塔の尖端を照らしていた。
谷を覆っていた薄靄がゆっくりとほどけ、
風が一筋、町をなでるように流れていく。
ノワルの屋根がきらめき、
香炉の蓋が静かに揺れた。
長く閉じていた扉が、ようやく開きはじめたのだ。
ミナが息を呑む。
「……見てみ。町が“呼吸”しとる」
ルナが頷く。
「眠っていた風が、ようやく目を覚ましたのね」
アリアがゆっくりと塔の階段を降りながら言った。
「風は怒っていなかった。
人の静けさの中で、ただ“待っていた”の。
――共に歌う声を」
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町の朝
広場では、老人たちが香炉の灰を整えていた。
その手は慎重でありながら、
昨日までのような恐れはもうなかった。
若い娘が近づき、
香をくゆらせて蓋を少しだけ開ける。
風が香を運び、町の端へと流れていく。
その香りに気づいた子どもたちが走り出し、
笑い声が広場を満たした。
ソラが鍋を抱えながら笑う。
「ほらな。風が戻ると、腹も鳴るんや」
ミナが火を整え、鍋の蓋を開けた。
湯気が立ち昇り、それが風に乗る。
町全体が、まるで“ひとつの呼吸”をしていた。
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新たな風守り
アリアは塔の前に立ち、
まかない部の四人を見渡した。
「この町には、もう“風を閉じる”必要はない。
けれど、導く者は必要。
――あなたたちが、その役を継いでほしい」
ミナが目を丸くする。
「うちらが……風守り?」
アリアが微笑む。
「風を恐れず、香りを交わせる人たち。
それが、この時代の風守りよ」
ルナが静かに頷いた。
「料理も、風を受けて変わる。
だからきっと、わたしたちも風の仲間」
ソラが笑い、風に向かって帽子を掲げた。
「ええで。
“食と風の番人”、なかなか格好ええやんけ」
ダグが短く言った。
「風は、命の音だ。
なら、それを絶やさぬように生きよう」
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再生の儀
町の人々が広場に集まった。
誰もが香を手にし、
かつて失われた“風の歌”を思い出すように、
低く、静かに声を重ねていく。
ルナが鍋のそばで、そっと歌い始めた。
ミナが火を見守り、ソラが風の流れに合わせて木杓子を回す。
まかない部の動きがそのまま“祈り”になっていた。
アリアが空に手を伸ばす。
「風よ――もう逃げなくていい。
ここには、あなたと生きる者たちがいる」
その瞬間、
塔の上から光が降り注いだ。
風が渦を巻き、香と光を抱えて町全体を包み込む。
まるで町そのものが、
新しい息吹を吹き返したかのようだった。
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結び
儀式のあと、町には穏やかな風が残った。
香炉の炎はゆらめきながらも安定し、
人々の笑顔に光が差していた。
ミナが空を見上げる。
「なあ、風ってな……人の心とよう似とるわ。
止めたら苦しくなるけど、吹きすぎても壊れる。
ちょうどええとこで、いっしょにおるんが一番や」
ルナが微笑む。
「それを“導く”っていうのね」
アリアが静かに頷く。
「風は生きている。
そして今日から――あなたたちの仲間」
ソラが笑いながら鍋の蓋を閉めた。
「ほんなら、今日の風にも味見してもらわなあかんな」
――風が町を巡る。
香が広がり、人の声が響く。
静寂の町は、今、
“風の町”として再び生まれ変わった。




