風の祈り
夜の岬に、静かな灯がともった。
町の家々が一斉に火を落とし、
代わりに小さな灯籠が道の端から順に並べられていく。
灯は風に揺れながらも消えなかった。
炎がひとつ、またひとつと繋がって、
町全体がゆるやかに光の帯となっていく。
ルナがその光景を見つめて呟いた。
「……きれい。
風が、灯を撫でてるみたい」
ミナがうなずく。
「火が怒ってへんのがええな。
燃えるんやのうて、ただ“生きとる”感じや」
ソラが笑って言う。
「風と火が喧嘩せん夜は、珍しいかもしれんな」
ダグは火の音を聞きながら静かに言った。
「喧嘩して、また仲直りしたんだろう」
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感謝の灯
広場の中央では、アリアが風鈴を下げた灯台の前に立っていた。
その足元にも、小さな灯籠が置かれている。
彼女は風に向かって目を閉じ、ゆっくりと語りかけた。
「……風よ、ありがとう。
壊すことで教えてくれて、
止まることで気づかせてくれて、
また吹くことで、私たちを繋いでくれた」
風がそっと吹き、灯がわずかに揺れた。
アリアが微笑む。
「ほら、返事をしてくれた」
ミナが鍋を抱えて歩み寄り、火の側に座る。
「風は飯も返事するんや。
あったかいとこ、ちゃんと覚えとるからな」
ソラが木の匙を回し、鍋の中を見つめた。
「今夜のまかないは、“祈り汁”や。
風と火の仲直り祝い、言うたらええか」
ルナが笑って言う。
「それ、風にも食べてもらわなきゃね」
アリアが小さく頷いた。
「ええ、風はきっと味を覚える。
そして、またどこかで誰かに届けてくれるわ」
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灯の輪
町のあちこちで、灯籠が人の手から手へ渡っていく。
壊れた帆布で作った灯籠、割れた貝殻の器、
どれも同じ形ではない。
だが、その不揃いさが、まるで町そのものだった。
子どもたちが小さな声で唱える。
「風、ありがとう」
「また、明日も吹いてね」
その声が風に混じり、海の方へ流れていく。
アリアが静かに目を閉じる。
「風は祈りを拾うの。
届かない言葉も、風に乗ればいつか還ってくる」
ミナが灯籠を手渡しながら言う。
「ほな、うちらの飯もその“おかわり”やな」
ソラが笑った。
「食って、笑って、祈って。
風が喜ぶ生き方や」
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結び
夜が深まるにつれて、
町はまるで光る風そのものになっていた。
灯の列が波のように揺れ、
その上を優しい風が渡っていく。
ルナが小さく呟く。
「風って、“過去を運ぶ”ものだと思ってた。
でも……今は違う。
風は“今”を生かしてるんだね」
アリアが頷く。
「そう。風は未来へ急がない。
ただ、ここを通り抜けていく。
その一瞬の間に、人が笑えばそれで満足なのよ」
ソラが火の明かりを見つめながら言う。
「ほんなら、うちらの仕事も同じやな。
今日一日、誰かの腹と心を満たせたら、それでええ」
ミナが頷いた。
「風も飯も、“続けること”が祈りや」
――夜風が、灯を優しく撫でた。
消えることなく、揺れることなく、
ただ穏やかに、町を包み込んでいた。
フレース岬の夜は静かだった。
そして、限りなくあたたかかった。




