風の後に
朝のフレース岬に、静けさが戻っていた。
昨夜の突風で倒れた帆布が道に転がり、
屋根の板があちこちで鳴いている。
けれど、町には沈黙がなかった。
誰かの笑い声、木槌の音、水を運ぶ桶の音。
それらが風のように混じり合い、
新しい一日の音をつくっていた。
ミナが鍋を抱えて歩きながら言った。
「思ったより壊れとらんな。
みんな動くの早いわ」
ソラが笑って返す。
「風で倒れたもんは、風で乾かすんや。
この町、ええ意味で“立ち上がる癖”ついとる」
ルナが頷く。
「壊れても、形を変えてまた立つ……
それって、生きものと同じね」
ダグが静かに答えた。
「風が強い土地ほど、人が折れにくくなる」
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町の手
広場では、子どもたちが破れた帆を運び、
女たちが針で縫い合わせていた。
男たちは倒れた風車を支え、
老人が縄を結ぶ手つきを教えている。
パン屋の女主人が生地をこねながら笑った。
「風が止まると退屈ね。
でも、あの嵐のおかげで、みんな話が弾むのよ」
ミナが釜を覗き込み、うなずく。
「せやな。
風が混ぜてくれたんや、“人の間”を」
ルナは子どもに布を渡しながら言った。
「ほら、風を縫い込むようにね。
こうやって繕えば、また飛べるのよ」
子どもが首を傾げて笑った。
「布が、風を覚えてるの?」
ルナは優しく頷いた。
「ええ。風は忘れない。
触れたもの、全部を抱えて流れていくの」
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まかない部の手料理
昼にはまかない部が炊き出しを始めた。
鍋には根菜と貝、海草と塩――
昨日吹き荒れた風が運んだ“海の恵み”を使った。
ミナが味見をして言う。
「風の塩気、ええ感じや。
まるで海ごと煮込んだみたいやな」
ソラが笑う。
「風の後の飯ってのは、不思議と味が深い。
揺れた分だけ、染みとるんやろ」
ルナが鍋をかき混ぜながら言った。
「風のせいで大変だったけど……
でも、こうして一緒に食べると、
なんだか“祝福”みたい」
アリアが頷く。
「風は奪うこともあるけど、
そのたびに“繋ぐ”ものを残していくの」
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再びの風
午後、修理の終わった風車がゆっくりと回り始めた。
帆が鳴り、影が地面を渡っていく。
子どもたちが歓声を上げた。
「動いた! 風、帰ってきた!」
ミナが笑って手を振る。
「帰ってきたんやない、ずっとおったんや!
ただ、ちょっと散歩しとっただけや!」
町に笑いが広がる。
その笑いに、風が混ざっていく。
ルナが空を見上げて言った。
「風が、喜んでる」
アリアが微笑む。
「風も、人が笑えば安心するのよ。
だって、息を合わせて生きてるんだから」
⸻
結び
夕暮れ、まかない部の鍋の香りが町中を包んだ。
瓦礫の影にも光が落ち、
帆布の切れ端が風に揺れて踊っている。
ソラが火を眺めながら呟いた。
「嵐もええ薬やな。
忘れとったもん、よう思い出せる」
ミナが頷く。
「壊れるから、また作れる。
倒れるから、また立てる。
――それが、うちらの生き方や」
ルナが目を細め、灯台の方を見た。
「風もきっと、また新しい歌を覚えてるわ」
――夜風が、そっと町を撫でた。
焦げた木の匂いと、潮の香り。
それは“再生の風”だった。
町は生きていた。
風と共に、静かに、確かに。




