風の乱れ
朝――フレース岬の空は、まだ青かった。
けれど、風の音だけがいつもと違った。
高くも低くもなく、まるで「落ち着く場所を探している」ような音。
ルナが丘の上で髪を押さえた。
「……やっぱり、風が迷ってる」
その言葉のすぐあとだった。
岬の端から、鋭い突風が吹き抜けた。
布屋の店先の帆がはじけ、干した魚が宙を舞い、
町全体が風の渦の中に呑みこまれた。
ミナが叫んだ。
「ソラ! 鍋押さえて! 飛んでまう!」
ソラが必死に支えながら叫び返す。
「そっちも火ぃ落とすな! 風が逆に吸うで!」
風は怒ってはいなかった。
ただ、どこかに“行きたがっている”――
それを人々も、肌で分かっていた。
⸻
揺らぐ町
風の勢いが増すにつれ、町の音が変わった。
風鈴が鳴りやまず、帆の布がきしむ。
粉屋の水車が逆回転を始め、
灯台の風車も悲鳴のような音を立てた。
アリアが声を張り上げる。
「皆、帆を畳んで! 風を“逃がす”のよ!」
人々が一斉に動く。
誰も叫ばない。慌てない。
この町は風と共に生きてきた――
“恐れずに受け入れる”術を知っていた。
老人が若者に言う。
「帆を縛るんじゃない、緩めろ。
風は掴むより、通す方が早い!」
女たちが縄を結び直し、子どもたちが布を押さえる。
ミナが手を貸しながら笑った。
「ここの人ら、よう動くなぁ!」
パン屋の女主人が笑い返す。
「風に育てられたからね! 怒鳴っても、風は聞かないの!」
⸻
まかない部の動き
まかない部は町の広場へ走った。
火が吹き消され、鍋が転がっている。
ルナが風の向きを読んで、ソラに叫ぶ。
「今! こっち側に火を回して! 逆流を止めて!」
ソラが石を並べて風を遮り、
ミナが鍋を押さえ、ダグが新しい火種を作る。
「風を敵にせんでええ。
“手伝わせる”くらいの気持ちで行け!」
ソラの言葉に、ミナが頷いた。
「よっしゃ、“まかない風”でいったる!」
風の通りを調整し、火の息を合わせる。
まるで風と一緒に料理しているようだった。
香りが再び立ち上り、広場に戻っていく。
アリアがその様子を見て微笑んだ。
「……風も、あなたたちには敵わないのね」
⸻
支え合う人々
やがて、町の人々が広場へ集まり始めた。
帆を押さえていた若者たちが、
子どもや老人を連れて風下に避難させる。
商人たちは倒れた品を拾い上げ、
互いに手を貸しながら笑い合っていた。
「おい、生地は大丈夫か!」「膨らんだまんまや!」
「じゃあ、風がお手伝いしたんやな!」
不思議と、誰も怯えてはいなかった。
風を責めず、風に逆らわず、
ただ“共に揺れて”立っていた。
ミナが小さく呟く。
「ええ町やな……。
風が荒れても、人が折れへん」
ルナが頷いた。
「それはきっと、風に教わったんだわ。
“立ち続けること”を」
⸻
結び
夕刻。
風はやがて穏やかに戻り、空が赤く染まった。
散らばった布が光を受け、海のように揺れている。
アリアが静かに言った。
「風は乱れたけど、人は乱れなかった。
――それが、この町の強さね」
ソラが笑う。
「風もそれ見て、笑ってるで。
“負けた”言うてな」
ミナが火を見つめながら言う。
「風も、人も、うまく“混ざる”んやな。
せやから飯もうまなるんや」
ルナが目を細めて呟く。
「混ざるって、生きることね。
乱れても、戻る場所がある」
――夜風が静かに吹いた。
その音はもう不安ではなく、
人々の笑いと重なって優しく響いていた。
フレースの町は、またひとつ、
風と共に強くなった。




