風の記憶
朝の空気は、まだ夜の名残を抱いていた。
広場の灯は消え、灰色の煙が空に溶けていく。
宴の後の静けさは、不思議と寂しくはなかった。
代わりに、胸の奥で何かが“続いている”と感じた。
ミナが荷車の後ろで鍋を磨きながら言う。
「風、今朝もよう吹いとるな。
なんか……“見送り”っぽいなぁ」
ソラが笑う。
「いや、“行け”や。
見送る風より、押してくれる風の方がええ」
ルナが目を細め、塔の方を見た。
「……聞こえる?」
微かな音が、風に混じっていた。
笛でも鐘でもない。
けれど、言葉のような、祈りのような響き。
⸻
塔の声
塔の最上部で、金属の輪がゆっくりと回転していた。
昨夜の光はもうない。
けれど、その静かな回転が風の流れを生み出していた。
まかない部が近づくと、
風が彼らの足元を撫で、塔の奥から音が響いた。
――『巡りゆく者たちへ』
声は柔らかく、どこまでも静かだった。
それは人の声でも、神の声でもない。
風そのものの声だった。
――『我らは見てきた。
争い、恐れ、祈り、そして赦し。
すべてが吹き抜け、すべてが混ざり、また流れていった』
ルナが静かに目を閉じた。
「……風の記憶が、語ってる」
⸻
託される言葉
風の声は、さらに続いた。
――『次に吹く地にも、人の息があるだろう。
そこでもまた、風は問われる。
“生かすか、縛るか”――その選びは、旅する者たちに託す』
ソラが小さく笑う。
「うちらのこと、ようわかっとるな」
ミナが頷く。
「せやけど、難しい宿題やな。
風は自由やけど、人の心はよう迷う」
風がその言葉を聞いたように、やわらかく吹いた。
それは慰めでも、命令でもなく――
まるで「それでいい」と言っているようだった。
ルナがそっと呟く。
「風は“答え”を求めてないのね。
ただ、“歩み”を見ていたいだけ」
ダグが静かに頷く。
「風は記録し、流す。
なら、俺たちは“続ける”だけだ」
⸻
贈られた兆し
風が塔の周りを一周し、
四人の間をくぐり抜けた。
その一瞬、ソラの肩に柔らかな光が触れた。
ミナが驚いて言う。
「……今、光った?」
ルナが微笑む。
「風が印を残したの。
“ここを通った”っていう、証みたいなもの」
光はすぐに消えたが、
風の香りはしばらく残っていた。
それは焚き火の匂いでも、草の匂いでもない――
“旅立ち”そのものの香りだった。
⸻
結び
ミナが鍋を荷台に積みながら言う。
「風って、優しいなぁ。
言葉やなくても、ちゃんと伝わる」
ソラが頷く。
「せやけど、油断したらすぐ後ろ押してくるんや。
“行け行け”言うてな」
ルナが微笑む。
「風は、止まることを知らないのよ。
だからこそ、命も続く」
ダグが最後に塔を見上げた。
「記憶は風に残り、風は人に渡る。
――それで十分だ」
まかない部は風の流れに身を預け、
新しい地平へと歩き出した。
風は彼らの背を押し、
まるで祝福するように、柔らかく吹き抜けた。
――その風の中に、
未来へと託された言葉が確かに響いていた。
『また会おう。どこかの風の交わる場所で。』




