風の宴
塔の前の広場に、穏やかな風が流れていた。
朝から絶えず吹き続けるその風は、
どこかくすぐったく、優しい匂いを運んでくる。
誰もが笑っていた。
泣いている者もいたが、涙の中にも微笑みがあった。
風が頬を撫でるたび、長いあいだ止まっていた時間がほどけていくようだった。
ミナが大きな鍋を火にかけながら言った。
「ええなぁ……風が吹いとるだけで、火がよう笑うわ」
ソラが笑って返す。
「ほんまや。昨日まで息詰まっとったのにな」
ルナが目を閉じ、風を頬で受けた。
「風が“ありがとう”って言ってる。
でも、ほんとは――人の方が礼を言わなきゃね」
ダグが静かに頷いた。
「風がいる。それだけで、世界が呼吸している」
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集う人々
塔の周りには、人々が次々と集まってきた。
風使いたちも、村の子どもも、旅人も。
皆が一つの火を囲む。
笛の音はもう命令ではなく、調べへと変わっていた。
青年の風使いが、笛を吹く。
その旋律に合わせて、塔の輪がゆっくりと回転する。
音は柔らかく、どこまでも遠くへ伸びていった。
ミナが鍋をかき混ぜながら呟く。
「……この音、ええな。
風の音と、笛の音と、飯の匂い。
ぜんぶ混ざって、“生きとる”感じするわ」
ソラが頷く。
「昔の人も、こうして風と話してたんかもな。
言葉より前の言葉で」
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感謝の食卓
やがて香りが広場を包んだ。
風がその匂いを拾い上げ、空へ運ぶ。
風下の子どもたちが、笑いながら駆けてくる。
「まだ?」「もうちょっと?」
ミナが笑う。
「ほな、風が合図してくれたら出来上がりや」
風がそよぎ、火がぱちりと弾けた。
「――今やな」
鍋の蓋を開けると、湯気が空へ伸び、
風と混ざって白い帯を描いた。
人々が椀を手に取り、互いに分け合う。
誰も声を張り上げない。
ただ「おかえり」「いただきます」「おいしいね」という言葉が、
小さく、風に乗って流れていく。
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風と灯
夕方、塔の影が伸びるころ。
人々は持ち寄った灯を並べた。
それぞれの灯が小さく揺れ、風が通り抜けるたびに炎が寄り添う。
ルナが静かに言った。
「風が通るたびに、灯が強くなるの。
まるで、人と風が“呼吸を合わせてる”みたい」
青年の風使いが頷いた。
「我らは風を支配していた。
けれど今は――ただ、隣にいるだけでいい」
ソラが笑う。
「風は、隣が一番似合う相手やな」
ミナが杓子を持ち上げ、ゆっくりとかざす。
「これが、今日の“まかない風”。
風が食って、人も食う。それで、ええ」
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結び
夜風が静かに広場を撫でた。
炎の光が人々の顔を照らし、
笑い声が風とともに遠くへ運ばれていく。
ルナが空を見上げる。
「風って、食べものみたいね。
噛めば味がして、息をすれば心が満たされる」
ソラが頷く。
「せやな。
風も人も、出会って混ざって、また流れていく」
ミナが笑って言う。
「それが、ほんまの“まかない”や」
――風が、再びひとつの旋律を奏でた。
優しく、穏やかに、
世界を包み込むように。
宴は静かに続いていた。
終わりではなく、これからのための食卓として。




