風の牢
夜、塔は沈黙していた。
昼間あれほど回転していた金属の輪が、
今はひとつも動いていない。
風が、息を潜めていた。
ソラは入口に立ち、そっと手をかざす。
冷たい気流が肌をなぞる――まるで「入るな」と言っているようだった。
「……行くで。止まった風ん中には、必ず理由がある」
ミナが小声で答える。
「うち、こない静かな風は初めてや。怖いくらいやけど……見届けなあかん気がする」
ルナが頷く。
「風が閉じられた場所には、“言葉を忘れた音”がいる。
聞ける者が来るのを、待ってるの」
ダグが短く言う。
「なら、聞いてやろう。――静かに、だ」
⸻
封じられた塔の中
塔の内部は暗く、石壁が光を吸い込んでいた。
それでもどこかで、かすかな脈動が聞こえる。
風ではなく、“息”のような音。
階段を降りるごとに、空気が重くなっていった。
まかない部は灯を手に、ゆっくりと奥へ進む。
ルナが囁く。
「ここ……風が“逆流”してる。
上に逃げられへんから、塔の底に溜まってるの」
ミナが指先を伸ばす。
風が、触れられるほど濃い。
「息、詰まるな……これ、風が泣いとる」
ソラが静かに頷いた。
「この空気、誰かの“罪”や」
⸻
風の心臓
塔の最下層。
そこには、巨大な結晶の塊があった。
淡い光を放ち、内部で何かが脈打っている。
ルナが息を呑む。
「……風の心臓。
ここに、全部の風が集められてる」
ダグが壁を調べ、刻まれた文様をなぞった。
「“風の逸失を防ぐため、ここに留める”……」
ソラが目を細めた。
「風を守るために、閉じ込めたんか」
ミナが小さく呟いた。
「守ることと、縛ること……紙一重やな」
ルナが灯を近づけると、
結晶の奥で微かな映像が浮かんだ。
荒れ狂う嵐、人が吹き飛ばされる街、
そして――誰かが風に手を伸ばし、封じる瞬間。
「……これが、“最初の封印”」
⸻
過去の記憶
ルナがそっと手を翳すと、
光がふわりと揺れ、声が響いた。
――『風は人を拒むのではない。
けれど、人が風を恐れた瞬間、
風もまた、人の手を離れた。』
静かな女の声だった。
まるで、この塔そのものが語っているように。
ソラが目を閉じた。
「風は敵ちゃう。けど、俺らが“敵やと決めた”んやな」
ミナが涙ぐみながら呟く。
「閉じ込められたんは、風やなくて……人の心や」
ダグが短く頷く。
「なら、開けるのも人間の仕事だ」
⸻
結び
ルナが両手を胸の前に掲げた。
彼女の呼吸に合わせて灯が揺れ、
結晶の奥に眠る風が、ゆっくりと震え始めた。
ミナが鍋の蓋を開け、柔らかな湯気を放つ。
香草と塩の香りが空気に溶ける。
ソラが笑う。
「風が帰る道は、やっぱり飯の匂いや」
結晶が微かに光り、
塔の中にほのかな風が流れた。
囚われた音が、息を吹き返したのだ。
――風は語らなかった。
けれど、その流れの中に、確かに“ありがとう”があった。
塔の外で、夜明けの風が動いた。
その風はもう、操られる風ではなかった。




