表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
今日も魔王城は飯がうまい  作者: 昼の月
183/259

風の向こう岸

午後の陽射しがやわらかく落ちるころ、

 まかない部は大きな川の前に立っていた。


 対岸には、霞のように森が広がっている。

 だが、その森へ渡る風がない。

 どれほど強い追い風も、川を越えるときにふっと途切れてしまう。


 ソラが眉をひそめた。

「……風が止まる。まるで“渡るな”言うてるみたいや」


 ミナが足元の草を見た。

 草の先端が、風に揺れずにじっとしている。

「ここだけ、息してへん感じやな。空気、止まっとる」


 ルナが髪を押さえながら、目を細めた。

「風の音がしない……水も、音を立ててないわ」


 ダグが低く呟く。

「自然が黙ってる場所、か」



川辺の静寂


 川の流れは緩やかだった。

 けれど、見ていると時間の感覚が消える。

 光が反射しているのに、揺れがない。


 ルナがそっと指を伸ばし、水面に触れた。

 冷たい――だが、その冷たさにも何かが欠けている。


 「……動いていない水って、こんな感触なのね」


 ミナが顔をしかめる。

「水って、流れてへんと生きもんやないんやな。

 風も水も止まると、こんなに“音”がなくなるんか」


 ソラが小石を投げた。

 波紋は立ったが、広がらず、そのまま消えた。


 「……こら、不気味やな」



川を知る老人


 背後から声がした。


 「その川は、“風を映す鏡”だよ」


 振り返ると、いつの間にか老人が立っていた。

 ぼろの外套をまとい、長い杖を持っている。

 顔は陽に焼けているが、瞳だけがやけに澄んでいた。


 ソラが警戒しながら尋ねる。

「じいさん、この川、どういうことなんや?」


 老人はゆっくりと川を見た。

「昔、ここでは風が強すぎた。

 森を裂き、人を流し、火を消した。

 それで、風そのものが“渡るのをやめた”」


 ルナが目を見開く。

「……自ら止まった?」


 老人は頷いた。

「風は、生きものだ。

 この川に、自分の姿を映して眠っておる。

 起こすことはできる。だが――静かに、話しかけねばならん」


 ミナが囁く。

「うちらが、また“まかない”せなあかんのやな」



眠る風への語りかけ


 夜になり、川辺に火を焚いた。

 風は吹かず、炎はほとんど揺れない。

 その静けさの中、ミナが鍋を火にかけた。


 ルナが水を注ぎながら言う。

「風のいない火って、こんなにも息が浅いのね」


 ソラが微笑む。

「けど、風が帰りたくなる匂い出せばええ」


 やがて鍋から香草と穀の香りが立ちのぼる。

 火の上で、湯気がまっすぐ昇っていく。


 老人がその様子を見ながら、目を細めた。

「……風が、目を覚まし始めておる」


 ダグが耳を澄ませた。

 川の向こうで、ほんのわずかに草が鳴った気がした。



結び


 夜明け前、川霧が静かに漂う。

 その霧の中に、淡い風の音が混ざった。

 かすかに、水面が波打つ。


 ルナが息を呑む。

「……風が、渡ろうとしてる」


 ソラが呟く。

「まだやめへんかったんやな」


 ミナが笑う。

「どんなに黙ってても、風は戻りたがるんや」


 老人が微笑んだ。

「風は人の声を聞いて眠り、

 火の匂いで目を覚ます。――お前たちのようにな」


 


 ――朝日が昇る。

 霧が溶け、風が川を越えて流れた。


 その一陣の風は、まかない部の頬を撫で、

 やがて向こう岸の森へと吸い込まれていった。


 


 静寂の奥で、何かが目を覚ます。

 風が渡ったその先に、まだ知らぬ“何か”が待っていた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ